終章 ヒーローはもう一度、耳かきしてほしい
最終話
あれから何かが劇的に変わったかといえば、意外とそんなことはない。
今日も今日とて、俺は高校に通い、これといったイベントもない日々を過ごしている。
「いやぁ、ついに待ちに待った夏休みだな!」
爽やかな晴天の下、日光に照らされた屋上に座間のやかましい声が響き渡る。
「そうだな。終業式終わったもんな。だからもう帰っていいか?」
「つれないこと言うなよカッキー、耳かきまでした仲だろー」
肩を組もうとしてくる座間を肘で押し返す。こんな炎天下に密着とか、すでに暑さでやられたとしか思えん愚行だ。
というか、あの一件以来妙にスキンシップが激しくなっている気がする。耳かきの話さえ、何か吹っ切れたのか自分からネタとして振ってくる始末だ。
ちなみにだが、我らが鈴見高校野球部は準々決勝で惜しくも敗れ去り、甲子園に駒を進めることは叶わなかった。現実はそう甘くないということだろう。
座間の中に、どれほどの後悔が残っているかはわからない。ただ、来年の夏にはもっと伸び伸びとしたピッチングを披露してくれるんだろうと思う。
「三年になったらいやでも受験勉強とかで忙しくなるんだぜ? だったら今年の夏休みを最高に満喫するしかないじゃんよ。まあ俺は勉強じゃなくて野球で超多忙な予定なのでよろしく!」
「はいはい、次はちゃんと自力で甲子園目指そうな」
「いまそれ言う? 言っちゃうんだカッキー、くっそ辛辣!」
たはーっ、と笑う声はやはりやかましい。声がデカいのは甘んじて受け容れてやってもいいがもう少し離れた場所で叫んでほしいものだ。具体的には俺から十メートルぐらい離れてくれたら嬉しい。
「わ、私も。どこか、遊びに行きたいな」
ポツン、と雨だれが石を打つような澄んだ音色。それは藍原のものだった。
見やれば、そこには臆病な小動物の上目遣いがある。
「……別に、どこも行きたくないなんて言ってないだろ」
そうとだけ返すと、藍原は大袈裟なくらいに安堵した表情を見せた。
「カッキーも男なんだな。俺と藍原さんとの対応の差えぐくない? すげぇ落差のフォークボールを投げられた気分だわ」
「カキタローはね、ツンデレ? なんだよ!」
「おいポンコツ、覚え立ての単語をむやみに使うんじゃない」
聞こえた声に振り返る。そこには光る球体がぷかぷかと浮いていた。
プリシアだ。
「あー確かにカッキーはそういうとこあるわー。当たり強そうに見えて実はめちゃくちゃ甘いとこあるわー。妹ちゃんもツンデレこじらせてるっぽいし?」
「あ? なんだおまえ、誰に断って梨子のこと貶してんだ? バラすぞ?」
「めちゃくちゃシスコンじゃん! っていうかバラすってなに、俺何をバラされるの?」
恐怖に身震いする座間を鼻で笑い飛ばす。ちなみにバラすというのは暴露するという意味ではないことを付け加えておこう。何をバラすのかと訊かれれば「おまえを」と答えることになる。
「妹さん、調子、どう?」
「元気だよ。まあ、今まで通りだな」
梨子と俺の関係性にも特に変化が訪れることはなく、今までどおりだ。顔を合わせるとたまに罵倒してくるし、顔が合わなくても罵倒してくる。
梨子はあの日起こった出来事を知らない。ハイトによって連れ出された妹は終始意識を失っていたのだから当然だ。俺の方は図らずも梨子の本心をのぞき見てしまったものの、梨子の方は何も知らない状態である。
だから、正直言って探り探りの状態だ。「実は紆余曲折あっておまえが俺に耳かきをしたいらしいってことを知ったんだけど、どうだい、やってくれるかい?」などと言おうものならそれこそ今まで通りの関係性ではいられなくなる可能性がある。まず俺が脳の不具合を疑われて病院に連れて行かれる危険がある。
大きな変化こそないものの、ところどころ態度が軟化したように感じることはあった。お守りをあげた効果だろうか。残念ながら梨子の所属するバレー部も大会で敗れてしまったようだが、あのお守り自体はあれからずっと通学鞄につけているのを見た。もどかしいが、少しずつ昔みたいに仲良くやっていけるようになればと思う。
「カキタロー、その顔はどういう顔なのだ?」
「うわぁ、ニヤニヤしてるよ。気持ち悪いよー」
「この腐れ精霊どもは本当に好奇心旺盛でいいことですね……」
知らぬ間にヴェールも姿を現し、プリシアと揃って俺の顔を覗き込んでくる。というか、ヴェールは実体化こそしていないもののやたら美人さんなのに変わりはないのであまり至近距離に迫らないでほしい。
「あー、カキタローなんか照れてる! 私が顔を近づけても何の反応もしなかったのに!」
「だっておまえ、玉じゃん」
「いまの話じゃなくてー!」
「そういえば耳かきしてもらったんだって? いいなぁカッキー、俺もヴェールに耳かきしてもらいたいなぁ」
「……考えておこう」
「え?」
きょとんと目を丸くしている座間は置いておき、俺はふと思い出したことをプリシアに尋ねることにした。
「そういや、おまえあの時」
「うん? なに?」
「……いや、なんでもない」
気が変わったので言葉を止めると、プリシアはなになになんのはなしー、と子供のように騒ぎ始めた。見た目がこれなのにうるさいことこの上ないのも相変わらずだ。
俺はプリシアが突然デートをしようなんて言い出した日のことを考えていた。
そういう人間の営み的なものに興味があった、純粋にそれだけの話なのかもしれない。
しかし、プリシアがいなくなってから俺は気づいた。あの日プリシアが購入した服が、ある耳かき音声作品のパッケージイラストの女の子が着ていたものと酷似していたのだ。それは彼女とのデートから耳かき、添い寝まで含めたやたら濃密な作品だった。
――全部、俺のためにしようとしたことなのか?
などと、改めて尋ねることがいかに恥ずかしいかに気づいてしまった。これはあれだ、必要な恥ずかしさだ。言うなれば奥ゆかしさである。だから問題ない、俺の気持ちを貶めることにはならない、うん。
「む、カキタロー、君から妙な感情エネルギーを感じるが、それはなんだ?」
「あ? 気のせいだろ? 気のせいだよ?」
「えー、私も感じるよそれ……んん?」
何かに気づいたようなプリシアの声の直後、周囲が光に包まれる。それはほんの一瞬の出来事で、眩い閃光が去ったそこには、
「あ、あれ……?」
プリシアが、〝立って〟いた。
「わ、わあ! やったよカキタロー、元の姿に戻れたよ!」
「思ったより早かったな」
「むぅ」
俺の感想を聞いて、プリシアは頬を膨らませる。
「なんだか反応が淡泊じゃない? シオタイオーっていうんだよそれ」
「はんっ、姿が戻ったからってなんだ、どうせ触れもしねぇんだから関係な――」
そうして伸ばした腕は空を掴む、ことはなく。
何か柔らかいものを掴んで、
そのふにゃぷるとした感触をたっぷり五秒ぐらいは味わって、
ショートした思考回路はようやく正常な動きを取り戻す。
……触れてるわ、おっぱい。
「わ、わわっ、わわわわわわ!?」
姦しいプリシアの悲鳴、それをかき消すほどに鋭い音を発したビンタが俺の頬を襲う。
自分の身体を抱くようにして胸を隠したプリシアが非難の視線を向けてくる。
「カ、カキタローのエッチ、ヘンタイ!」
「なんで触れんだよ……一段飛ばして二段階進化経てんじゃねぇよ……」
「いやいやカッキー、触れないにしたって女の子の胸に手を伸ばすのはどうかと俺は思うぜ?」
大発見だ、座間に正論を言われると五倍ムカつく。
「ふむ、いまプリシアから感じる感情エネルギーは先ほどカキタローから感じたものと酷似しているな」
「つまりカキタローは、何かに怒ってたんだね……今の私みたいに!」
「おまえがバカで助かったよ、本当に」
「あ、あはは……」
なぜか藍原が感情のない瞳で抑揚のない笑い声を上げている。怖い。
と、そんな時だった。
それが訪れたのは。
「「「っ」」」
全身をなめ回すような寒気に、俺も座間も藍原も神経を張り巡らせた。
これは、間違いない。
怪人だ。
「さあさあ怪人が出ましたよ美泉柿太郎様! ささ、さくっとやっつけちゃってやっちゃってください!」
「……何してんの、おまえ」
突如として現れた声の主に、俺は複雑な感情の籠もった視線を投げた。
それは精霊だった。しかし、プリシアでなければヴェールでもない。そして、俺が知っている精霊など、他には一人しかいない。
「私は文字通り生まれ変わりました。美泉柿太郎様のおっしゃられまする通り、私は人間の感情をより深く知り、そしてその素晴らしき側面にどっぷりと浸かっていく所存!」
古代ローマの人々が着ていたような衣服に身を包んだ筋骨隆々の男の名は、ハイト。
怪人を生み出してきた張本人であり、俺達の敵、だったはずの精霊である。
「キャラ変わりすぎだろ、おまえ……」
「失礼ながら申し上げますと、以前までの私は人間の感情エネルギーにより強く影響を受けたがゆえにああなっていたのでございます。ですが今はっ、敬愛する美泉柿太郎様から正の感情エネルギーのレクチャーを受けた今はっ、ご覧の通り愛と正義に生きる使徒なのでございます!」
「よくわかんねぇけどわかった」
要するにめんどくさい奴ってことだ。
「だいたいなんでまだ怪人が出てくんだよ」
「またしても失礼ながら再三申し上げた通りにございます。人間の負の感情の波に溺れ精神に異常をきたした精霊は私だけではございません。私と同じように人間に恨みを抱く者がいてもおかしくはないかと」
そう、何も変わっていないのだ。本当に、何も変わっていないのである。
相変わらず代わり映えしないメンバー(一人変なのが増えたが)で、妹との距離は縮まりそうに見えて縮まらなくて、あまつさえ怪人が未だに出現する。
まったくもって、ふざけた話だ。
俺は嘆くように顔を手で押さえた。
「俺はヒーローなんかやりたくないってのによ……」
「カキタローは耳かきしてほしいんだもんね」
視線を上げると、プリシアがニヤニヤと笑みを浮かべている。
「頑張ったら、ごほーびにしてあげるよ、耳かき」
「調子にのんな下手くそ」
ため息を吐きながら立ち上がる。まあ、そういえば片方の耳しかまだやってもらってない気がするし、そのままだと気持ち悪いからな。
「それじゃ、さくっと人類を救うとしますかね」
耳かきをしてもらうために。
ヒーローは耳かきしてほしい 夢煮イドミ @yumeni_idomi
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