九話
鼻っ面に強烈な一発、ハイトは地に伏し大の字となって空を仰ぎ見た。
「ああ……」
ハイトの口から、憑き物が落ちたような涼やかな声が漏れる。
「空が……青い……」
そうして、悪の精霊は沈黙した。
気を失ったハイトを見下ろしていると、突然足から力が抜ける。さすがに身体を酷使しすぎたようだ。俺は地面に尻餅をついた。
そんな俺のもとに、仲間達が駆け寄ってくる。
「カッキー!」
「美泉くん!」
息を整えながら二人に笑いかける。二人ともホッと胸をなで下ろしていた。
「感情を消す……か。一歩間違えれば、私も彼と同じようになっていたのだろうか」
神妙な面持ちで零したヴェールの言葉に、俺は座間へと視線を投げた。その意味を察したのか、座間は彼女に向き直り頭を下げる。
「ごめん、ヴェール」
「キュウイチ……」
「ヴェールは悪くない。あれは俺が弱かったから……自分の力で勝つ自信がなかった。ヴェールの申し出を断る勇気がなかったんだ」
「違う。私が余計なことを言わなければ、君は」
「いいんだって。そんなことより、俺を勝たせようとしてくれたことが嬉しいんだ。応援してくれて、ありがとう」
「…………………………」
座間の言葉を聞き終えて、ヴェールは彼に背中を向けてしまった。しかし、俺の位置からはその横顔が赤く染まっていることが確認できた。
「っていうか、ヴェールマジで美人さんなんだけど。危うく惚れかけるわ」
「なんだおまえ、意外と元気そうじゃないか。もう一回怪人になっとくか?」
「それは勘弁……」
一瞬で声を沈ませる座間。なんだかんだ今回の一件には懲りたらしい。
「あ、あの……美泉、くん」
「ん?」
藍原が手で顔を覆いながら何か言ってくる。指の間からチラチラと視線を投げて逸らすその仕草の意味がわからず後ろを振り向くと、それで察することができた。
「なんでこいつ全裸なんだよ」
「カッキーが剥いたからじゃね?」
あまりにも誤解を招く物言いを無視して、俺はとりあえずヘッドホンの耳に当てる部分でハイトの股間を隠すことにした。感情エネルギーで生み出したものだし、別に汚れてもかまわない。
「そうだ。梨子は?」
「カッキーの妹ならベンチに寝かせておいたよ。怪我とかあるわけでもないし、しばらく寝かせておけば回復するってヴェールが」
「そうか。ありがとう」
素直に礼を言うと、耳元でまた声がする。
「おつかれ、カキタロー」
「おっまえ、至近距離から声かけてくるなよ」
「ビクッとするカキタローが面白いからいけないんだよー」
軽やかな笑い声に毒気を抜かれる。ただの光の球となってしまったプリシアが元の姿に戻るのに、今度は何日かかるだろうか。
何日だっていい。それまで一緒にいればいいだけの話だ。
「さて、それじゃあ最後の仕事を済ませないとな」
「ん? 仕事って、さすがにもう黒幕はいないだろ」
「何言ってんだよ、球一くん」
すっとぼけたことを言う座間の名前を呼ぶと、彼は何か悪い予感でも察知したように身体を震わせた。すかさず後退ろうとする足を掴んで引き倒し、そのまま彼の身体をこちらへと寄せる。
坊主頭をがっちりとホールドして、あぐらを掻いた俺の膝の上へと乗せた。
「怪人の浄化、終わってないだろ?」
「浄化……え」
ポカンと口を開く座間に、俺は笑いかける。
怪人を浄化し、内に溜め込んだ負の感情エネルギーを掻き出すことで本来の人間の姿へと戻す。それが浄化である。それこそがヒーローとしての俺達の一番大事な仕事だ。
そして、俺が怪人を浄化する手段はもちろん、
「さあ、耳かきをしてやろう」
「い、いやぁぁぁ!!」
野太い悲鳴を上げながら逃げようとする座間の襟首をつかみ取る。
「逃げるなよ。別に痛くしねぇって」
「男に膝枕してもらって、そのうえ耳かきっ!? ないないないないない! 膝枕童貞も耳かき童貞も彼女に捧げたい!」
「安心しろ、おまえの耳かき童貞ならとうの昔に母親に奪われてる」
「その言い方やめて!?」
「言い出したのおまえだろ」
ため息を吐きつつ、再び膝に乗せた座間の頭に耳かき棒を突きつける。もちろん、今度は手のひらにおさまる本来のサイズだ。
「観念しろ。知ってんだろ、妹でたっぷり鍛えてあるから技術は保証する」
「気持ちよかったらそれはそれでおかしいから! みんなからもなんとか言ってよ!」
「いいなー、私もカキタローに耳かきしてもらいたい」
「えっ……ま、まあ、興味はある、かも?」
「その滲み出る自信には惹かれるものがあるな」
「皆さん!?」
「だとさ。よかったな、みんなおまえが羨ましいってよ」
そうこう言っているうちに俺は耳かき棒の先端を座間の耳へと差し込んだ。
「もう暴れられないぞ。鼓膜が破れても責任は持たんからな」
「……や」
「や?」
この期に及んで「やだ」とか抜かすつもりかと思えば、そうではなかったらしい。
座間は何かを悟った菩薩像のごとき表情で、
「優しく、してね……」
「安心しろ」
俺は応えるように、努めて優しく耳元で囁く。
「最高に気持ちよくしてやるよ」
球場に最後に響いたのは、ホームランに沸く観衆の熱狂でも高らかに宣言されるスリーアウトのジャッジでもなく、一人の高校球児が漏らした低いあえぎ声だった。
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