八話
「……ならば、致し方あるまい」
ハイトの周囲に黒い渦のようなものが巻き起こる。弛緩しかけていた空気が一瞬にして張り詰めたものへと変わった。
「感情を消す前に、貴様らを消し去ることとしよう」
衝撃波が俺達に襲いかかる。地面を削りながら数メートル吹き飛ばされるが何とか堪え、俺はヒーロー姿へと変身してハイトに肉薄した。
「無駄だ」
ハイトの声に呼応するように、グラウンドのあちこちから黒い泥のようなものが湧いた。それは人の形を成し、できそこないの操り人形のように俺達へと襲いかかる。
圧倒的な数の暴力、怯みかけた俺の耳に聞き覚えのあるメロディーが届いた。
これは、フルクルの曲だ。
眼前まで迫っていた人形達の動きが途端に鈍くなる。苦しむように身もだえ、中には人としての形を失い崩れるものもいた。
「行って、美泉くん!」
藍原唄がギターを鳴らしている。全身全霊をもって大音量をかき鳴らしている。音の波が押し寄せてくる負の感情を押し返し、さながら試合を彩る応援歌のように球場を席巻する。
俺は力強く頷き、地面を蹴った。
「ヒーロー、ッ!」
余裕ぶっていたハイトの顔が小さく歪んだ。その脇腹には野球ボールがめり込んでいる。
「こんなスパルタやったら、今の時代じゃすぐ問題になりそうだけど」
そんなくだらない冗談を交えて、座間球一はすっかり身体に染みついたフォームで構えた。
「千本ノック、いくぜ」
ひっきりなしに襲いかかるボールが、銃弾の雨のごとくハイトを攻める。
鎧の上からとはいえ堪えきれないのかハイトは後退、ならばとばかりに座間も作戦を変えて打球をわざと下へ向かうようにする。強烈なスピンのかかったボールが地面に突き刺さり土埃を巻き上げる。粉塵が視界を埋め尽くす中、ハイトが舌を鳴らすのが聞こえる。
「小癪なッ!」
「人間ってのはそういう生き物なんだよ、悪いけどなっ!」
息を呑む音が聞こえる。ほぼゼロ距離まで迫り、とうとう視界にハイトの姿を捉えた。
「く、らえっ!」
がら空きの頭部に、耳かき棒を振り下ろす――!
「無駄だと」
しかし、
「言っているッ!!」
身体を襲った突風に、俺は呆気なく吹き飛ばされた。砂埃も飛び去り、そこには未だ威風堂々たる立ち姿のハイトがいる。
「私の身体には今まで集めた数百人分もの負の感情エネルギーが宿っているのだ! 貴様らが束になったところで勝ち目などないと理解しろッ!」
「大事なことを、教えてやるよ」
俺は立ち上がる。数百人分のエネルギー? 上等だ。
「人間ってのは、好きなもののためなら何百倍だって頑張れる生き物なんだ」
「あまりにも、愚かだ。あまりにも非合理的だッ!!」
ハイトが吼える。彼の掲げた手のひらの先に巨大な黒い球体が顕現する。それが高密度のエネルギーの塊であることは、わざわざ問いただすまでもなかった。
「目障りだ、消えろッ!!」
飛来するエネルギー弾を、俺は正面から受け止めた。衝撃で全身がバラバラにちぎれそうになる。巻き起こる風と粉塵、エネルギーの奔流で目の前すら見えなくなる。誰かが俺を呼ぶ声がする。座間か、藍原か、ヴェールか、それとも――
「――カキタロー」
すぐ耳元で聞こえたその声に、俺は不覚にもぞくりとした快感を覚え、またどうしようもない安心を抱いた。
「プリシア、戦おう」
「うんっ」
嬉しそうに弾む声。
「私がカキタローにもらった全部、いま返すよ」
背後から肩に回される腕、背中に当たる柔らかな胸、それらの感覚が一瞬にして、消える。プリシアの肉体が、消える。
けれど、包み込まれるような温かさはなくならない。俺は肩にとまった小さな光の塊を一瞥し、裂帛の気合いを発した。
走り出す。闇の中を抜け、その先にいるハイトのもとへと疾駆する。
彼我の視線が交錯する。火花が散るような錯覚、俺は手にしていた巨大耳かき棒をさながら投げ槍のごとく投げつける。
猛スピードで空中を滑るそれを、ハイトは避けない。俺の感情の全てを否定しようとするかのように、その分厚い鎧で受け止めた。
「武器を捨てるなど、愚かなこと、をッ」
その隙に俺は跳んだ。ゴールポストにダンクシュートを叩き込むように、左手に生み出した〝もう一つの武器〟をハイトの頭へと叩きつける。
「なに、をっ!?」
戸惑うハイトに返事すらせず、取り出しておいたスマホを操作。ハイトの頭に叩きつけた〝ヘッドホン〟へと、決して耳を傷つけないレベルで快感を最大限味わうことのできる最大音量にしたその音を流し込む。
それは耳かき音声を支える土台にして、大黒柱。
たとえどれだけいい脚本でも、イラストでも、演技でも、それがなければ決して耳かき音声にはならない。
効果音。
ダミーヘッド、バイノーラル録音、あらゆる技術を尽くし職人達が作り上げた生粋の効果音を、いまッ!!
「あふっ」
ぶちかます!!
「なん、だ、これ、は」
ハイトの身体から瘴気のような黒い霧が漏れ出ていく。
それは負の感情エネルギー。ハイトの中に淀んでいたそれが、浄化されていく。
「こんな、ものは、知らない」
鎧の形が崩れ、その下の裸身が露わになっていく。さながらルネサンスに生み出された彫刻のように均整の取れた肉体を晒し、精霊は涙を流した。
「これが……」
そうだ、それこそが、
「快、感」
「おまえが人間のせいでいろんな嫌なことを知ったっていうなら、俺がそれよりも多くのいいことを教えてやる」
視線が合い、俺はハイトに笑いかける。
「それはそれとして」
握った拳を、弓を引くように振りかぶる。
「とりあえず一発、殴らせろ」
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