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大学4年の春、ぼくはテレビ局主催のシナリオコンクールで最終選考に残り、プロデューサーからの誘いを受け、連続ドラマの作成集団に加わった。
その集団はプロデューサーがヒットしそうなコンセプトを提示し、その意向に伴って設定、人物などを考え、ストーリーを検討していくというものだった。
ぼくは懸命にアイディアを出したが、一向に採用されず、結局のところベテランの無難な意見が全体を支配しているのを感じて、だんだん嫌気がさしてきた。
もちろん無給だったので、仕送りが打ち切られる卒業までに目処をつけなくてはならない。
これをステップにスペシャルドラマや映画の脚本を担当したいなどと思い描いていたが、現実の糧につながるまではずいぶん時間がかかりそうだった。
あきらめたころにはもう、就職活動の時期はすぎていた。
あわてて履歴書を送ったが手遅れで、卒業後第二新卒を狙うか、中途採用の枠に滑り込むしかなくなっていた。
しかし、ともかく春からは生活費を稼がなければならない。求人誌を調べていたら、撮影助手という仕事があったので面接にいってみた。
その会社は企業や自治体のPR映画を作製する会社で、やはりというべきか、映画好きが集まっている職場だった。
同僚とうまくいきそうなところを買われたのか、採用され、翌日から契約社員として働き始めた。
広報課のお姉さんたちにかわいがられたり、態度の大きい役人に嫌味を言われたりしながら企画を立て、わざとらしい演出のVTRを撮影していく。
賃金に反比例してハードなスケジュールが組まれており、ほとんど休みもとれない日が続いた。
気がつけば3年が過ぎ去り、4年目に突入していた。
社長から正社員にならないかと打診があり、迷ってはいたものの、受けることにする。
直子が一緒に暮らすことをずっと希望していたからだ。
収入が増えたのを機に、すこし大きな部屋を借りようと、引越しの準備を始める。
すでに時代はLDやVHSではなく、DVDのものになっていた。大半のテープを処分しながら、少しずつ廉価版のDVDで買いなおしていくことを決意する。
そんなとき本棚の一角を占めるシナリオ関係の本のなかの、『シナリオの基礎』に目が留まったのだ。
封筒に半券をしまう。
ふとぼくは今月「ニュー・シネマ・パラダイス」のデジタル・リマスター版が、銀座のミニシアターで上映されることを思い出した。
今度有給を取って、行ってみようか。
それは心が躍る賭けだった。
静香が現れても、現れなくてもいい。
自分の青春がもうすぐ終わることを、ぼくは自覚していた。
ぼくの人生は、直子によって折りたたまれ、なにか別のものに変貌するだろう。
直子には内緒で休暇を取った平日の午後、ぼくは銀座を歩いていた。
「ニュー・シネマ・パラダイス」の看板を見つけ、チケット売り場の列に並ぶ。
中に入ってみると、100席ほどの小さな劇場だった。
平日の昼間ということもあり、人はまばらだったが、ぼくは客席全体が見渡せるよう一番後ろの中央を陣取った。
照明が落ち、予告編、本編と映画が流れていく。
高揚して、字幕がうまく読めない。
途中で人が入ってくるたびに、静香だったらどうしようと、目をやってしまう。
映画をほとんど楽しむことなく、ただ長いだけだった上映時間が終わる。
もったいないことをしたかな。そう思いながらも、帰る人波に逆らって、客席の外周を一回りすることにした。
静香は、いた。
中段の、右よりの席に、うつむいた横顔があった。ぼくはその姿だけで確信していた。
ゆっくりと歩み寄って、隣に腰をおろした。
「……また、泣いちゃったんだね」
「……うん、いつも泣いちゃうんだ」
ぼくたちは空白などなかったかのように言葉を交わしていた。
涙がおさまるまで、スクリーンにかかった赤いカーテンを眺める。
「コーヒー、飲もうか」
静香は顔を上げ、うなずいた。化粧を直すのを待ってから、劇場を出る。
中央通りを横切り、スターバックスに入った。ぼくはアメリカーノとカフェラテを注文した。
静香は、道路が見下ろせる、2階窓際のカウンターを選んだ。
人の群れがせわしなく行き交うのを見て、あのクリスマスのときの気持ちを、少しも失っていないことに気づいた。
カフェラテのカップを手渡し、静香が微笑む。
よく似た、何度でも繰り返した光景。
でもその夕刻は、冷たい日差しを受けた静香の目尻に、しわが増えていることに気づいた。ぼくもきっと同じように歳をとっている。
それでも、その静香のしわも、ぼくは愛していることに気づいた。
ぼくはカップを傾けて、熱すぎるアメリカーノを喉へ流し込んだ。舌を焼いた。
そして赤ん坊みたいな表情で、ハンカチに包んだカップを両手で抱えている静香へ、伝えるべきことを思い出した。
「お守り、まだ持ってるよ」
「嘘」
静香が、カフェラテをあわてて口からこぼしそうになる。
ハンカチが活躍し、被害は広がらなかった。
静香は左手でカップをカウンターへ置き、目だけで笑った。
ぼくもその姿に、微笑みを返しながら続ける。
「本当はただの偶然。『シナリオの基礎』にはさみっぱなしだった」
「……書いてるの?」
「ぜんぜん」
静香は視線を落とした。たぶん静香は、ぼくが書き続けていることを期待していたのだ。
「あのさ、兵士がなぜ100日目の夜、バルコニーの下に立たなかったか、わかったよ」
ぼくの言葉に、静香が再び視線を上げた。
ぼくたちは、本当にひさしぶりに、見つめあった。
その瞳を見つめながら思った。
きっと10年歳をとればとっただけ、20年歳をとればとっただけ、ぼくはこの人を愛することができる。
「怖かったんだ。一番好きな人を、不幸にしたくなかった。美しく、輝いていてほしかった。だから」
「やめて」
静香は、驚くほど強く言った。
そして、カップとともに顔を伏せた。
「主人が、転勤になったの。3年間シアトルにね。わたし自身はずっと迷ってたの。ついて行くか、ついて行って幸せになれるのか……」
静香は、やっと重荷を下ろしたような、ため息をついた。
「あなたがいたから」
抱き起こそうとする気配を察したように、静香がつぶやく。
「……直子さんは、元気?」
静香は、ゆっくりと顔を上げた。
泣いてはいなかった。
「発つ前にね、一度声を聞きたくて、空港から部屋に電話したの。そうしたら、直子さんが出た。なんて非常識な人だって怒られた。そうだよね。もう二度と電話しないでちょうだいって言われた」
途方にくれているような声音で話すうちに、静香の双眸が、赤く、潤んでいった。
静香は顔を背け、荷物をつかむ。
「もう、帰るね」
小走りになった静香のヒールが、階段で立てる響きが遠ざかっていく。
ぼくは立ち上がる。ガラス越し、静香が大通りへ飛び出していくのが見える。
『ねえ、今夜が、99日目の夜だったら、どうする?』
雑踏に消えてしまう前に、早く。
叫びだしたくなるほどなのに、足が動かない。
早く……早く……
99日目の夜 @KENSEI
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