第3話

「旦那方もアレですか?あの島に美人シェンがいっぱい居るつて噂で来たんでござんすか?だつたら止したが良いですぜ?シェンも居るかもしれんですが、恐らくそいつには足が無いか、有っても気が狂つてるのが精々つて、この辺ではもつぱらの噂でさぁ」

 船員帽こそ被つて居るが、その他の着物は擦切れだらけで、一張羅らしき濃紺の背広は塩が浮いて居り、生地目も潰れた髭面の男は、煙管を加えたまま一方的にそう告げて来た。

 辺鄙な田舎町に来た所為でもあろうが、安藤が手配した船頭が中々話の通じない者で参るばかりである。それでも、この男は機帆船の操縦に能う技能と知識を持つだけ、此の辺りではインテリゲンチァの部類なのだらふ。


「兎角、日暮れ迄ですからなぁ!日が傾ひたら、あつしは帰らせて貰いますぜ!」

「その時は此処で夜を明かすから、明日の朝また来てくれ給え。心付けは弾む」

「せ、正気ですかぁ?」

「何なら、今先に一圓程渡しておこう。無事戻れたら、更に払う」

 迷信に支配された頑迷な船頭を説得し、漸く島に着くと、そこには立派な港とも呼べる船着き場が有り、そこで船と船頭を待たせる事にし、私と安藤は島の中へと入つていつた。


 事前に仕入れた地図に依らば此の島は丸ごと療養施設との事であり、船着き場から少しも行かない内に、石造りの門柱と鉄の棒を組み合わせた門扉が現れた。

「これは、開くのでせふかね?」

 安藤が思わず声を上げる。

 ベトンで拵へた門柱や塀には、これまたベトンのガァゴイルが組み合わさり、その合間に或る鉄格子の門扉と共に、蔦や蔓に占拠され自然が錠前を造つて居た。

「何とも、此処は廃棄されて久しい様だな」

 私は其等を鉈で取り除き門扉をこじ開ける様試みるも、蝶番が錆びで癒着して居り安藤と二人仕事となつた。

 暫くは緑の絨毯の上に所々有る苔むした飛び石を目安に緑の中を進んで行くと、突然女の顔が現われた。女は赤い洋装をして居り、見開いたままの目と共にギシギシと音を立てて此方に向き直る。そして右腕を上げたかと思うと、その腕の肘から先がボロリと落ちた。

 よくよく見れば、それはセルロイドの人形であつた。

「ヨ、ヨウ、ズズ、コソ、ズ、ズザザ」

 女の中から音が来る。如何も今踏みし飛び石を合図に動き、足元だか中に仕込まれた蓄音機が鳴る仕掛人形の様である。

「ぼ、坊ちゃま……」

「シェンは居たし、足も有つたが、腕が無くなつて終つたな」

 怯える安藤の為にも冗談を云うと、そのまま先に進む。清子の為にも時間が惜しひ。


 其まま先に進むと、植物に浸食されていない大きな十字路とその中心の広間に出た。

 その中央にはメリィゴゥラゥンドが置かれている。ふと、興味を引かれ、その回転木馬に近づかば、突如として拡声器より手回しオルガンから拾つてきたかの如き、陽気だが命の通わぬ音が流れ出し、眼前のカルゥセルも回り始めた。

 遠目には尋常であつた回転木馬も、近づいてみると回つているのは竜に麒麟、朱雀に玄武等、東洋的なモティフであり、大黒天や恵比寿等の七福神も居た。皆、目だけは笑つて居た。

 暫し二人して惚けて居ると、車の足をした洋装の女人形が再び現れた。

「コチララデゴザ、、ザザ、、イマススス」

 その絡繰女は我々を導くのだと云ふ。他に宛も無く、其に着いて行く事にした。蓄音機の針がズレたのか、女は只管「スススススス……」と繰返し乍ら我等の先を行く。

 途中、絡繰女の試作品で余つた部品なのか、マヌカンを組み合わせたアァチや張り付いた笑顔の目や口から灯りの漏れる連結提灯等で我々を歓迎して呉れた。

「これが気狂いの所行で無いのでしたら、恐らく私奴の気が狂つたので御座いましょうか」

 私の隣で安藤が独りゴチる。

「何、案ずるな、何れ人の所行だ」

 車女に案内されるまま着いて行つた先には擬洋風の大きな館が現れた。更に目を凝らせば、元々は歴とした洋館だつたのが、先程のマヌカンアァチが如く増築され、その際に東洋的モティフを加へられし事が見て取れた。


 此等も同じ者の手になる物なのだらふか。


 絡繰り女は此方に振り返ると姿勢を直し、道の脇に避けた。

 此中に入れ、と云ふ事らしひ。

 携帯電灯を灯し、促されるまま二人して内に入ると、そこはホテルの受付の様な造りになつて居り、帳簿等を扱うカウンタァに居たセルロイドの女は、既に首も落ち、中の絡繰りも埃と苔等で動かなくなつていた。帳面の紙も上部にある物は朽ちて読めなかつたが、その下の物や、受付け内の物は、酷い黴を除けば、何とか判読可能であつた。日付等は読めぬが、その中には慥かに黒羽子爵一家の名前も記されて居た。

「此処で、間違い無い様だ」

 確証を得た私は、そのまま洋館の中に入り捜索を始める。

 洋館は医療施設でもあつた様で、彼方此方に放棄された医療器具やカルテ等が散らばつていた。地下には遺体安置所の様な処も有り、安藤と二人で恐る恐る調べたが、遺骸の類いは出なかつた。しかし、此処で処理した事も有るらしき事は記録はあつた。

 そうこうして居る内に日が暮れ始め、船頭との約束も有るので、資料を目星の付き次第集めるだけ集めると、一旦戻る事とした。

 薄暗くなり始める中、女の顔から漏れる灯りや陽気な音楽に囲まれ、船着き場に着くと、そこには既に離れゆく船の影しか見る事はできなかつた。

「明日の朝お迎えに上がりやすから、是非とも御無事でぇ!」

 紫と茜色の混じる空と海の狭間から、その声だけが響く。

 船頭を見送るより他に為す術も無い我々は、その場に居ても詮無しと諦め、携行食料を食べるべく、また風雨が来るに備え、再度件の洋館に戻る事にした。


 洋館では、丸々温室に用いられた一角が有り、そこで月明かりと焚き火を頼りに簡便な食事を済ませ、その後はする事も無き故、書類や資料を読み込む事と為した。

 その資料によると、此施設は明治の終わりにサナトリウムやホスピスの一環として建てたのが始めらしひ。ただし、寒冷な方が結核には良ひとの事で、サナトリウムとしての機能は中座し、そこに温暖な島の気候を利用したヒステリ療養所として換骨奪胎したとの事。

 ホスピスとしての機能は残つて居る為、安らかに最期を迎えられる様、娯楽施設や芸術活動を推奨した様で、洋館が増改築を繰返したり、マヌカンのアァチや回転木馬も遊園地としてのその一環らしひ。

 成程、氏来歴を辿つて見れば、何の猟奇も無い。唯、気の難しい人々がその気のまま表したに過ぎなかつた訳だ。

 此が判ると安藤と二人で笑ひ合ひ、漸くウィスキィが呑めた。


 さて、そんな中、漸く清子の資料に行き着く。

 清子の場合は、スペイン風邪の流行や震災で多くの友人を亡くした事が原因で神経衰弱に陥り、遂にはヒステリ症状が出た為に、ここに来たらしい。

 ここでは温室が気に入り、その中にハンモツクを設えたりする事も有つたとの事だ。


 今、私の眼前に有る朽ちたハンモツクが其かも知れぬ。


 さて、しかし、此の資料はおかしひ。

 と云うのも、私と清子が出逢つたのが正しくこのスペイン風邪流行の年で、特に二回目の感冒に因る死者の多かつた年である。

 即ち、此の資料が「正しひ」のならば、清子は今も此処に居る事になる。


 次に、他の帳面では紙の痛む事甚だしき為に判読不可能であつたが、この清子の資料に出て来る日付がおかしい。否、日付と云ふより、年号がおかしい。「未来」の記録が有るのだ。

 何だ、この「昭和」等と云う聞いた事も無い、巫山戯た年号は。気狂いが考えたにしても、此処迄気の抜けた元号が考えられるのだろうか。しかも、此「昭和」と云う未来には戦後不況から金融恐慌、更にはウォル街の株価暴落による世界恐慌も受け、遂には取付け騒ぎで銀行までもが潰れたらしく、此施設も其為に資金繰りが焦げ付き、閉鎖の憂き目に陥ひり、清子は二十七歳で此処を立ち退いたのだと云ふ。

 即ち、私と清子は出逢つて居らず、清子はスペイン風邪、戦後不況、関東大震災、昭和恐慌と次々と友人を失い、或は没落し、黒羽子爵家自体も困窮の中に有る、と云ふ事になる。


 数年前、大正の御代に私が結婚し、蜜月旅行に行き、現在妊娠二十ヶ月の、あの二十二歳の清子は、一体何者だと云うのだ。


 此を書いた相手は狂人であらふ故詮無き事とは云へ、こんな現実味の無い事を、しかもこの病院の用紙を使つて良く書けた物だ、と逆に感心さへしてしまふ。


 それとも、私の存在自体が狂つて居るのだらふか?


 私はすつかり落ち着きを失ひ、ウィスキィをもう一杯飲み干すと、そのまま、夜空を見上げる。

 夜空は既に白み、遠くから機帆船の音が聞こえた。

 私は半分寝て居る安藤を起こすと、清子に関する資料を選び、そのまま船着き場迄向かう。

 途中、マヌカン女の首提灯がケタケタと嗤つて居る様に見えた。



「如何なされやした?そんな白い貌をされて?やつぱりシェンには足が無かったので?」

「足は有つたが、首が取れていたよ。済まないが少し頭を整理したいので、此を渡すから、今日は何も云わずに岸まで運んで呉れたまへ」

 船頭の頓珍漢な応えに十圓札だけ渡すと、私はそのまま船の上で寝て、岡に上がるなり、直様東京行きの汽車に飛び乗り、清子の待つ自宅へ向かった。





「此は、一体如何云う事なのだらふ?」

 私は、白い光に包まれ、仕合せそうな表情で腹部を撫でる清子に訪ねる。

 清子は、此方に笑い掛けると、特に何を云ふ事もなひ。

「なぁ、僕は気が変になりさふなのだ、清子」


 漸く清子が口を開く。

「何も気になさらないのが宜しいのではなくて?」

 窓から入る風に合せ、さらりと述べる。

「しかし」

「現に、貴方は此処に居る……それだけで充分なのではなくて?」

 私に何も云わせようとはしなひ。

「しかし、此処には『過去』だけでなく『未来』が記してある」

 清子の意志を撥ね除け、私は言葉を続ける。

「僕達の、有り得ない『未来』の他に、抑、僕等の『現在』の前提となる『過去』がおかしい事になる、これは一体……」




「貴方も、気付いて仕舞われたのですね……」



 その言葉はするりと出て来た。


「もし、『過去』がおかしくて、今が『未来』だとして、なら、今、ここに居る貴方は『何』?」

 一言一言が、秘儀の匣を開ける様な音を立てる。


「もし、そうなら、今、此を見て居る、貴方は『誰』?」



 その言葉を合図に、喇叭が鳴り響く。

 無限のアーチが後退し、鐘が打ち鳴らされる。





 夢を——見た。



 時は大正十四年。愈々、我が福田家と黒羽清子子爵令嬢との婚儀が目前である。



 私は、仕合せ者であつた。

 ただ、仕合せであつた……


 其は、夢であつた…………

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大正永劫怪奇譚 @Pz5

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