殻を捨てたい

尾八原ジュージ

殻を捨てたい

「『星の金貨』という物語を知っているか?」


 私が雨上がりの庭に出ると、アジサイの葉の上にいたカタツムリの三郎が、いきなり話しかけてきた。


「三郎! お前喋れたのか」


「まぁな。で、知らないのか? グリム童話なのだが」


「知らないなぁ」


 三郎は気難しい親父のような厳めしさをもって、「嘆かわしい」と首を振った。


「貧しい少女が、自分が持っている少ない持ち物を、さらに貧しいものへと分け与える話だ。最後には着ている服すら人にやってしまうが、その美しい行いは神によって報われる。彼女の元に夜空の星がいくつも降ってきて、それらが金貨になるのだ。『星の銀貨』となっている本が多いようだが……」


「どうせ神様があげるものなんだから、銀貨だと半端よな。金貨でいいよな」


「それな」


 三郎は触覚をニョキニョキと動かし、どうやら賛成の意を表したらしかった。


「で、私もその少女を見習って、唯一の私の財産をあえて捨てようと思う」


「唯一の財産って?」


「この殻だ」


 三郎はぐねっと首を動かして、背負っている貝殻を私に示した。


「実は兄の一郎も二郎も、すでに殻を捨て、広い世界へと旅立っていった。私はこのまま、この小さな庭の安楽な生活に甘えていてよいものか? いや、よくない。すべてを捨て、この身ひとつでやり直すのだ。さすれば必ず、道は拓かれ……」


 熱く語る三郎に、私はふと問いかけてみた。


「三郎、お前の殻って取れるの?」


「え? 取れるんじゃないの?」


「取ったら死んじゃうぞ」


 そう教えてやると、三郎はカタツムリながらポカンとした表情を見せた。


「じゃあ、兄さんたちの殻は何なんだ? 私はこの庭で、兄さんたちの空っぽの殻を見たんだ。ふたりともそれから姿を見ないし……」


 真剣に訴える三郎の顔を見ると、私も悲しくなってきて、真実を伝えるのに勇気が要った。


「三郎、すごく言いにくいんだけど……兄さんたちは他の生き物に食べられたりして、殻だけが残ったんだと思うよ……」


「なんと……」


 三郎はヨロヨロしながら、アジサイの葉からポタリと落ちた。私は急いで虫籠を持ってきて、三郎を中に入れてやった。




 それから死んで殻だけになるまで、三郎はずっと虫籠の中で過ごした。


 私も三郎も、もう『星の金貨』の話はしなかった。

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