ドラコ=アフリカヌス

ももも

ドラコ=アフリカヌス

 檻の向こうで1頭のドラゴンがぐるぐると寝室を歩きまわる。

 5秒に1回は部屋を1周している。もう何周しているだろうか。

 顔ははっきり見えないが苦しそうな、戸惑うような彼女の様子が全身から伝わり、今にもそばに駆けつけたい気持ちが湧き上がるがぐっと抑えつける。

 人が見える位置にいればかえってお産に集中できなくなるため、遠くから見守ることしかできない。ただ祈るだけだ。


――母子ともに無事でありますように、と。


 世界でたった2頭しかいないドラゴンの出産が今、始まろうとしていた。




 種名ドラコ=アフリカヌス、和名アフリカドラゴン。

 どんなドラゴンマニアであろうと、その名前を聞いてぱっとイメージがわく人間はほぼいなかった。それもそのはず。そのドラゴンは翼を持ち炎を吐く姿はまさにドラゴンであったが、それ以上の特徴が何もなかった。

 体長2メートル体重70kgほどで、見た目は羽の生えたでかいトカゲとしか言い様がない。

 バジリスクのように見た者すべてを石化させる力もない。

 恐ろしくもなんともなく、華美さも荘厳さもない。加えて伝説らしい伝説もなかった。

  

 名前の通りアフリカに生息していたが、アフリカには他にも実に個性豊かな動物たちが数多く暮らしている。

 シマシマのシマウマ、首の長いキリン、ぬっと伸びる長い鼻をもつ地上最大の哺乳類アフリカゾウ。

 そんな中、いまいちぱっとしないドラゴンは存在ごと埋もれてしまっても仕方がない話であった。


 ドラゴンは人々の幻想により存在が強化される。

 科学がまだ発展していなかった時代、人は自然災害や理由のつかない現象をドラゴンという幻想の生物による仕業と考えた。

 それからというもの、人はドラゴンとともにあり、多くのドラゴンの伝説や英雄が誕生した。けれど、時代の移り変わりとともにその存在は揺らいでいった。

 雷が鳴るのは、雲の中で水や氷の粒がぶつかり大量に発生した静電気が地上に落ちてくるからだった。

 疫病は、ウイルスや細菌などの微生物が原因であった。

 科学の発展とともに自然の仕組みが解き明かされた結果、ドラゴンの神秘性ははぎとられ、〝そんな生物は存在しない〟という否定は、多くのドラゴンを絶滅へと追いやった。現在、世界に数カ所しかない保護施設でのみドラゴンを見ることができる。


 アフリカドラゴンにもかつては伝説があったのだろうが今はもう現存していない。

 誰にも読まれない物語が消えゆくように、かのドラゴンもやがては幻想に還る運命にあった。


 ――25年前にとあるプロジェクトぶちあがるまでは。


 



「それが『ドキドキ★世界にたった2頭のドラゴン!? 運命の相手にプロポーズ大・作・戦!! 法螺貝ぶぉ~プロジェクト』……?」

「そうだ」


 先輩飼育員の野上が抱えた何冊もの分厚いファイルを会議用テーブルにどんっと置き、パラパラとページをめくる姿を立島は眺めていた。ファイルから飛び出ている紙は黄色く変色し年代物を感じさせる。25年前なんてまだこの世に存在していなかったなと立島が考えていると、野上が「あったあった」と声をあげ、開いたファイルを目の前に置いた。そこにはアフリカドラゴンの2枚の写真の載る新聞記事が貼られていた。


「ケニアのナイロビ国立公園の一角で飼育されていた雄のアフリカンドラゴンのトゥマイニをここドラゴン保護センターへ連れてきて、雌のリカとつがいをつくる。言葉で説明すればそれだけのことなんだが、世界でたった2頭というフレーズへの反響がすさまじかった。当時はネットがまだ一般的に普及していなかったから大量の手紙が世界中から届いて、事務所におさまりきらないほどの段ボール箱があふれかえっていたほどだ」

「すごいですね。手紙にはどんな内容が書かれていたのでしょうか」

「〝アフリカドラゴンたちはひとりぼっちじゃなくなるんですね〟〝子供、楽しみにしています〟という好意的な意見、〝相性が悪かったらどうするんだ?〝雄と雌を無理矢理くっつけることが幸せだろうか〟という否定的な意見が半々ってところだな。新聞やテレビでは特集を組まれ、聞いたこともないドラゴン専門家がコメントを述べ、電話は常時鳴りっぱなし。どいつもこいつも今の今まで存在すら知らなかったくせに勝手なもんだよ」

「でもその結果、多くの人にアフリカドラゴンは認知されたんでしょう?」

「そう、園長のもくろみ通りに。だが当時の俺は計画には大反対だった。今のお前のようにな」


 野上にちらりと見られて、立島はどきっとした。

 組織に所属する者としておおっぴらに口にこそださないものの、心の底で抱いていた疑問を見透かされている視線だった。


 ――2頭の間に生まれてきた子供は果たして幸せだろうか?


 あの日以来、立島のなかで日に日につのる疑問であった。

  





 ことの始まりは1年前のこと。 


「リカのお腹、大きくないか?」


 この道40年のベテラン飼育員の松本が雌のアフリカドラゴンを見て放った一言であった。 


「たしかに下腹部が少しぽこっと横にでているように見えます」

「だろう?」

 

 観察こそが飼育員の要。日々の些細なことでも見逃さないよう立島は気をつけてはいたが、松本に言われて初めて気づいたほどの、微妙な変化だった。



「お腹にガスでもたまっているのじゃないでしょうか。先日、展示場の土を取り替えて以来、外に出せば2頭そろってずっと砂遊びしていますし、何かの拍子で口から砂が入ってしまい消化不良を起こしているとか」

「そうだったら、食欲と排便がまず減る。だが最近はむしろいつも以上にがつがつよく食べているし、うんちも特に問題ない」

「たしかに」


 あれこれ考えても仕方ないと無線機で獣医を呼ぶと、しばらくしてやってきた獣医の下原は、お腹ちょっとでていますねーとリカを触診をしたあと、レントゲンを撮り、できあがった画像を見てすっとんきょんな声をあげた。



「……え? ええっ!?」

「どうしたんですか? もしかして腫瘍とかですか?」

「……います」

「なにがですか?」


「子供が……子供がいます……!!」


 リカのお腹に子供。それは青天の霹靂の出来事だった。 




 リカの妊娠が発覚してから、しばらくはなんの出産兆候もなかった。

 アフリカドラゴンの妊娠期間については資料が全くなく、同じぐらいの大きさであるコモドドラゴンの妊娠期間は8ヶ月ほどだったのでそれぐらいと見積もっていたが、1年たっても状況は変わらなかった。

 ようやく変化が現れたのは、ほんの2週間前だ。

 リカの陰部が腫脹し始め、ときおり粘液がちらりと見えるようになったのだ。出産が少しずつ近づいているのは明白だった。


 その日以降、アフリカドラゴン担当チームの4人はローテンションでドラゴン保護センター事務所で夜間待機をすることになり、設置された監視カメラでリカの様子を確認しつつ、何かあったらすぐに準備をとれる体勢をとっていた。

 今日の夜番は野上と立島の2人だった。といっても2人はのんびり構えていた。

 出産前、ドラゴンの食欲が落ちると聞いていたが、夜7時になってもリカはむしゃむしゃと乾草をいつものように食べていた。

 食欲のある今日は出産はないだろうと考え、昔の資料が見たいと立島が言うと、野上はトゥマイニが搬入された日の映像ファイルを取り出してきたのだ。

 



 画質の悪い映像の中では、大きな木箱がクレーン車で6本のワイヤーに吊られていた。

 木箱の中には、はるばるアフリカから搬入された雄のアフリカドラゴンのトゥマイニがいる。

 ドラゴン舎は基本的に寝室と室外展示場の2つの空間に別れてており、ドラゴンたちは夜は寝室で休息し、朝になると外へでていく。

 アフリカドラゴン舎の室外展示場は小学校の校庭グランドほどの広さがあるが、映像の中では、その展示場をぐるりと報道記者たちが取り囲み、逐一展示場へ降ろされていく木箱の様子を撮っていた。

 アフリカから日本への移動時間は実に3日。長い旅路に疲れたのか木箱はまったく動かず、そのまま地面に接地した。 


「どうして外展示場に降ろしたんですか?」

「箱が大きすぎて、ドラゴンが出入りする外扉から入れるしかなかったんだ。本来であれば、このまま職員らで木箱ごとトゥマイニの寝室へ移動させてから木箱とその中の檻を開く予定だった。そしてトゥマイニがこっちの環境に慣れたころを見計らってリカと檻越しでお見合いからスタートし、徐々にお互いの存在に馴れさせ、いずれ同居させるはずだった」


 隣で見ていた松本が腕を組んで言った。 

 

「トゥマイニが日本にやってくると決定してから、何年も何度も会議を重ねて色々と手順とか対策を考えていたんだがなぁ」

 

 

 画面に視線を戻すと、輸送業者が木箱に取り付けられたワイヤーフックを取り外している最中だった。最後のフックをカチリととった途端、木箱が動いたと思いきや、すさまじい轟音とともに、上下左右に暴れ始めた。

 慌てて逃げ始める人々。直後に檻ごと木箱が破壊され、中からトゥマイニが現れた。

 

「GURUUAAAAAAA!!」


 咆哮をあげるや、トゥマイニは展示場内を一目散に駆け、アフリカドラゴン施設の寝室への扉に向けて頭突きを何度も繰り返す。予想だにしなかった事態に怒号が響きわたった。 

  

 過去の出来事とはいえ、ハラハラと立島は見ていた。

 重厚な鉄製である扉はどんどんへしゃげていく。けれどトゥマイニは頭部の角が折れてもがむしゃらに突進し続けた。 

 あまりの痛々しい様子に見ていられなくなった時、トゥマイニの目の前の扉が音をたてて開いた。

 中から現れたのはリカだった。

 


「〝リカをトゥマイニのいる展示場にだせ〟という園長の判断を聞いたときは耳を疑ったよ。リカに何かあったらどうするんだって俺は抗議したが聞き入られなかった。展示場の中には逃げ遅れた業者がいて、トゥマイニの気をそらすにはそれしかなかったんだ」 


 トゥマイニはリカの姿を見るや、動きを止めた。

 さきほどまでとは打って変わった静寂な展示場で、2頭のアフリカドラゴンの様子を誰もが見つめていた。

 トゥマイニがリカに突進したらどうしよう、そんな不安をよそに2頭は鼻を突き合わせお互いの体をかぎあいはじめ、そしてペロペロとなめ合った。

 初対面のはずなのに、長年寄り添った夫婦のような仲睦まじい姿だった。

 ほっとした空気が流れたのもつかの間、リカはそろっとトゥマイニから離れ尾を向け、その背にトゥマイニが覆い被さるように乗っかった。

 まさか、と思った瞬間、トゥマイニは腰を振り始めた。



「会ってすぐさま交尾するとは誰も予想していなかったよな。翌日のアフリカドラゴン日本到着のニュース映像ではさすがにカットされていた」

「でも交尾はこの1回きりだったんですよね」

「ああ、仲は良かったがなぜか後にも先にもこれっきりだった。だからこそ今回の妊娠はびっくりだ。まぁ哺乳類の中には着床遅延する動物もいる。受精後、母親の置かれた状況が整うまで受精卵が着床せず発生を休止したまま、子宮内をただよっているそうだ」

「それにしても25年は長すぎるでしょう。そんな生物、他にはいませんよ」

「ドラゴンだからな」

 

 野上はふーっとため息をついた。 



「俺は2頭のアフリカドラゴンを引き合わせず、そのまま幻想に還すべきだと考えていた。伝説を失ったドラゴンなんてもんは、根のない木のようなもの。基盤がないまま無理矢理存続させるなんてただの人間のエゴだと。でも、そんな考えは寄り添いあう2頭の姿を見て変わったよ。俺はアフリカドラゴンに滅びの美を見いだして押しつけていたんだってな。そんなの、アフリカドラゴンのことをよく知りもせず好き勝手述べている連中と一緒だ」 

「でもそれは結果的にうまくいったから言えることじゃないでしょうか」

「そうかもな。でもうまくいったから今がある」


 2人しかいない事務所に、野上のかかっと笑う声が響く。

 夜の帳はすっかり降り、明かりのついた事務所の窓に虫たちが集まってきていた。

  


「2頭は出会えて良かったのかもしれません。でも子供はどうでしょうか。ドラゴンだって生物である以上、寿命はありいずれ両親が先にこの世界を去ります。そうなると正真正銘世界でたった1頭になってしまった時、その子供はあまりにかわいそうだと思いませんか?」


 静かな空間にいると、立島の心の中で抱いていた疑問がむくむくと大きくなり、口から飛び出ていた。野上は、うーむとぽりぽりと頭をかいた。


「52ヘルツの鯨を知っているか?」

「52ヘルツの鯨……ですか? 知りません」


 露骨に話題をそらされたと眉をしかめる立島を見ながら、野上は話を続けた。

 

「正体不明の鯨だ。1980年代から海に設置された水中のマイクが鳴き声を観測しているんだが、その声は特殊で52ヘルツの周波数。そんな声で鳴く鯨は他にはいない。それゆえ、その鯨は誰にも理解されないまま、誰にも届かない声で鳴き続けていると言われている」

「孤独ですね」

「そう感じる人は多い。通称、世界でもっとも孤独な鯨。でもそれは、本当に鯨かどうか分からない生物に対して人が勝手に幻想を抱いているだけじゃないだろうか。案外、その生物は自由でのびのびしているかもしれない。頭の中で考えた答えがすべてじゃない。実際に目で見て感じて初めて分かることだってあるんだ」


 野上は立ち上がり、再生の終わったテープをビデオデッキから取り出しケースに閉まった。

 立島は釈然としない思いを抱えながらも、先ほど映像を見ていたテレビとは別の、42型の液晶でリカの寝室での様子をのぞいた。そろそろリカが寝始める20時だった。

 けれど、リカは横になっておらず室内をぐるぐるまわっており、足下には大量の水がまかれたような痕があった

  

「野上さん! これ……!」

「おいおい、破水じゃないか。誰だよ、出産直前は必ず食欲落ちるっていった奴は! 立島、みんなに連絡を頼む。俺は先に現場に行って道具一式準備しておく!」 

「はい!」



 30分とたたないうちに、アフリカドラゴンチームと獣医らは寝室の隣の部屋に集合した。顔をだせば檻越しにリカが見えるが、今彼女を刺激してはかえって出産が長引いてしまうため必要最低限のぞく程度にとどめている。

 リカは変わらず室内をぐるぐる回っている。

 獣医たちは緊急事態にそなえて手順や器具の確認をおこなっているが、飼育員らに出来ることなどない。ただ祈るだけだ。

 子供の顔の向きが悪く産道でひっかかってしまったり、体が大きすぎて出てこれないなんてことがないように。 

 母子ともに無事でありますように、と。

 

「あ……」


 スマホカメラアプリでリカの様子を確認していた野上が小さくつぶやいた。 


「足がでている」


 その声に周りの人間がいっせいに群がり、押し合いながら画面をのぞいた。

 リカの陰部から小さな2本の前足がでていた。

 

「前足? 後足?」

「まだ分からない」


 しばらくすると足に続き、ぬめっと粘液につつまれたかたまりもでてきた。顔だ。


「正常位だ」


 獣医の下原が隣でほっとした声をだす。 

 けれど、顔は全く動かずだらりと伸び、リカの動きに合わせてゆらゆら揺れているだけに見えた。 


「……生きていますか?」

「分からない」


 少しずつ時間をかけて子供の体が押し出されていく。そして体が半分ほど外に出たと思った瞬間、ぼとりと粘液に包まれた色黒のかたまりが大量の体液とともに地面に産み落とされた。

 水たまりの中心にいる子供は動かない。

 リカはすぐに振り返り子供に近づくと顔をなめ、丁寧に粘液をなめとる。

 すると、子供の体がぴくっと動いた。

 

 ――生きていた

  

 子供はびくびくっと大きく体をふるわせるとクアッと小さな口を開け、顔をゆっくりとあげた。その顔にリカが頬を寄せた。

 世界でたった2頭しかいないアフリカドラゴンの子供が生まれた。


 今日この日まで立島は、子供には孤独な未来しかなく生まれない方がいいのではと思っていた。

 けれど果たしてそうだろうか。

 そんな独りよがりの自分の考えで、目の前の光景を否定していいのだろうか。  

 未来なんてものはいつだって白紙なのだ。

 そして心から思った。


 この世界に生まれてきてくれてありがとう、と。


 

  


 リカの授乳を確認し、撤収作業が終わった時にはすっかり夜が明けていた。

  

 

「何事もなくよかったですね」

「まったくだ」


 これで終わりな訳ではない。子供が虚弱な場合やリカの体調が悪化したり充分なお乳を出せない可能もあり、生まれてから1週間はまだ気の抜けない状態が続く。

 けれど昨日から一睡もしないままではさすがに辛い。ちょっと休もうと2人して休憩室に向かおうとしたとき、慌てた様子の下原がこちらに走ってくる姿が見えた。


「何かあったのか!?」


 ただならぬ様子に野上がかけより声をあげた。

 下原は足をとめ、はぁはぁと荒い呼吸をいったん落ち着けると口を開いた。

 

「今、他園の施設から連絡がありまして! 中国のドラゴン保護研究センター基地でアフリカドラゴンが5頭見つかったそうです! なんでも今まで別種と勘違いされていたそうで……!」


 野上と立島は顔を見合わせた。


「この結果をどう思うか、立島?」

「そうですね。この25年間でアフリカドラゴンの認知が広まって存在が強化された結果、こっそり戻ってきてくれたんじゃないでしょうか。そしてリカは産むのを待っていたんだと思います。子供の未来の相手が現れるのを」

「それまた人間がドラゴンに勝手に押しつけた幻想だな。それに相手との相性が悪かったらどうする?」

「そりゃあ、大事な娘ですもの。突進しようものなら、相手はただではすませませんよ」

「そりゃそうだ。今からスクラムの練習でもしておくか」  



 立島の目に入った青空はどこまでも澄み渡っていた。

 空を空だと認識して見るのは久々だった。

 

 かぼそい糸でも守っていれば、紡いでくれる人が現れるかもしれない。

 つなげられるなら、つなげよう。

 それがドラゴンの存在を守り維持していくドラゴンズキーパーたちの使命なのだ。

 

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