綺麗な意図 (お題:糸 所要時間1時間10分)

 馬鹿な女だった。

 それでいて、耳障りな八方美人な音を響かせて観客を騙しては悦に浸る悪い女だった。


 面識はあるものの、きっと向こうは私のことなんて覚えていないだろう。ステージに立って演奏する人間にとって個性がないというのはマイナス要素になり得るが、悪目立ちするほど下手でもなく、あくの強い演奏をするわけでもない私はきっと、彼女にとってつまらない存在に映っている筈だ。

 何度か対バンしたことのあるバンドのギタリスト。記憶に残っていてもそんなものだろう。対して向こうは、MCを振られるとすぐに「んー、よく分かんない」と言って誤魔化すことしかしない癖に、それが毎度何故かウケるというクソ女だった。

 能天気。センスだけで生きている。いっつもへらへらと笑っている。それが女、シキについて知っていることの全てだ。


 だけど、これほど馬鹿だとは思わなかった。見る度に苛ついていた、心のどこかできっと憧れすら抱いていた女が、新宿の路地に座っていたのだ。見間違いかと思ったけど、あの真っ白に脱毛された長髪と、ギターケースに付いたベースのキーホルダーを見間違える筈がない。なんでギターにベースのキーホルダー付けるんだよ、アホかと思ったのをよく覚えている。

 シキは繁華街の路地で、ギターケースを背負ったまま膝を抱えて座っていた。ついでに頭も抱えていた。悪い輩に目を付けられればそれまでだ。いや、警察に事情を聞かれる方が早いか? とにかく、私の見間違いでなければ、シキは泣いていた。


「あのさ。こんなところで何してんの?」

「ふぇ……?」


 女が顔を上げる。やっぱりシキだ。泣き腫らした目に、徐々に光が宿る。声を掛けられたことが嬉しかったのか、シキは私を見上げてしんちゃんと叫んだ。辺りを見渡してもしんちゃんと思しき人物はいない。ちなみに、私はマナという名前で活動していて、断じてしんちゃんではない。


「……は?」

「こんなところでしんちゃんに会えるなんて、声かけてくれてありがとう~!」


 シキはいつものへらへらとした笑顔を取り戻しながら、私の手を取る。……しんちゃんって私かよ。

 誰かと勘違いしてるんだろうと解釈して、私はその珍妙なあだ名を聞き流した。シキを立たせると、一応何をしているのか訳を聞く。しんちゃんじゃないとか、何度か対バンしたことあるDCってバンドのマナだとか、そういう説明は全部省いた。覚えられていないことがショックだったからこれ以上傷口に塩をすり込むような真似はしたくないとか、そういうのじゃない。違う。


「私、弦買いに来たんだけど、お財布忘れちゃってて、とりあえず家に帰ろうとしたらSuicaのチャージも30円で、ミカに連絡しようとしたらケータイも持ってきてなかったの」

「馬鹿なの?」


 そんなに一辺に色んなことを忘れられるなんて、ある種才能だ。こいつみたいなギタリストになるためには、ここまで一般的な何かを失わなければいけないのかと絶望しそうになる。

 私は財布から千円札を二枚取り出すと、シキに押し付けた。一枚でもいい気がしたけど、こいつがどこに住んでるか知らないし。


「ほら。今度のトークンのイベント、あんたらも出るんでしょ? その時でいいから」

「しんちゃん……? いいの……?」

「いいよ、別に」


 しんちゃんじゃないけど。出かけた言葉を飲み込んで振り返る。私は、こいつと長々と話すような間柄じゃないから。だけど、後ろからとんでもない声が聞こえてきて、私はシキを睨みつけるしか無くなった。


「やったぁ! これで弦が買えるよー!」

「まず帰れよ!」


 駄目だコイツ。やっぱりとんでもない馬鹿だ。

 しかし、私に怒鳴られたシキは、眉をハの字にしてまた泣き出しそうな顔に戻ってしまった。


「だって、もう夜だし……明日のライブまでに弦替えないと。大分ヘタってたから」

「あぁー……明日ライブなの?」

「うん……」


 私は背負っていたギターケースのポケットに手を突っ込むと、毒々しい色のパッケージを掴んで、それをそのままシキに押し付けた。


「普段使ってるのと違うだろうけど。いつ切れるか分かんない弦よりマシでしょ」


 そう、私はストックを分けてやることにしたのだ。予備はないけど、私のは多分まだ保つから平気だ。素直に私から弦を受け取ったシキは、また想定外のことを口にした。


「同じの使ってるんだね!」

「……は?」


 ギターの音色が弦で決まる訳じゃない。ギター本体とか、アンプとかエフェクターとか、音の決め手となる要素はごまんとある。だけど、それでも彼女が私と同じものを使っているというのは聞き捨てならなかった。

 シキのギターの弦は、いつだって私にとって特別なものに見えていた。ステージ上で照明を浴びて時折輝くそれは、弦とは違う、綺麗な糸みたいだった。彼女に直接触れられて音の発生源となっている弦が、私が使っているものと同じだとは、にわかには信じがたい。


「嘘でしょ……」

「ホントだよ。安くていいよね、これ」

「……っはぁ。とにかく、もういいでしょ。私、これからスタジオだから」

「えー! しんちゃん、駅まで付いてきてくれないの?」

「しんちゃんじゃないから付いてかない」

「なんで? マナって呼んだ方が良かった?」


 言葉を失った。

 こいつ、私の名前知ってて……。


「ね? じゃ、しゅっぱーつ」


 手を引かれ、そのまま駅の方へと歩き出してしまった。手は離してもらえなさそうだったのでほっといた。それよりも聞き出さなきゃいけないことがある。


「なんでマナでしんちゃんなのよ」

「私の高校のクラスメートでね、真実の真に、奈良の奈で真奈って子が居たんだよ。だから」

「カタカナなんだけど、私」

「え!? その発想はなかったなぁ……」


 むしろそっちの発想の方がおかしいわ。私は呆れてぶんぶんと振られる自分の腕を見つめた。名前を覚えていてもらったことが、私を私として認識してもらっていたことが、嬉しくないと言えば嘘になる。だけど絶対に表情に出さないようにした。


「しんちゃんの演奏、好きなんだよ」

「え?」

「私の演奏って、個性的って言えば聞こえはいいけどさ。浮いてるなーって思う事が多いし。しんちゃんのはメンバーの音と常に合わさってて、合奏してます! って感じなの。分かるかな。ごめんね、私、言葉って苦手で」

「……そんな風に言われたこと、無かった」

「そうなの? じゃあ私が無いものねだりしてるだけなのかもね」


 指を絡めているだけで分かる。細くて長くて、形のいい手。それが意味深に私の手を引き寄せて、鼻先がぶつかりそうなくらい顔が近付く。


「ちょ、何?」

「だから、誰にでも言うって訳じゃないんだよ。こんなこと」

「はぁ?」

「弦の代金、体で支払っちゃダメ?」

「……っふざっけんな」


 私はシキの手を振り解いて、小さく怒鳴りつけた。そして踵を返す。こんな奴に付き合った自分が馬鹿だった。

 シキは、私の背中に声を掛けない。当然だ、今しがた見せた顔が、彼女の本性なのだろう。どんな意図があってあんなことを口走ったのか知らないけど、それでもシキにとって私がどうでもいい存在なんだってことははっきりと分かった。本当に尊敬している人と、適当な理由で寝ようとするヤツなんて、いたとしても絶対にろくでもない。


 翌日、私はライブハウスに居た。

 自分があげた弦が、これまで見てきたシキの弦と同じようになっているのかが、どうしても気になったから。

 疑いは一曲目で晴れた。あれは、普段と全く変わらないシキの演奏だ。二曲目もそう。そして三曲目の前に挟まれたMC。ドラマでそういうシーンを観たというボーカルのミカが振った話題は、奇しくも昨日の私達そのものだった。


「体で支払うってホントにあるのかな。シキ、どう思う?」

「んー、よく分かんない」

「だよねー。シキには難しかったかな」


 そうして観客達が笑う。だけど、シキと目を合わせた私は、どうしても笑うことが出来なかった。


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殺伐手習い作品集 nns @cid3115

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