これは個人的な感想になります。
独り言だと思って下さい。
数年前、車で道路を通行中に駐車場の車止め、車輪止めと読んだ方が正確でしょうか。そこに座り続ける中年男性を見かけたことがあります。
信号が赤くなり、しばらく停車している間にもその男性は身動き一つせず、私は同乗者と「あれは車止めのバイトかな」「違うでしょ」等の与太話に花を咲かせたことがあります。
もしや、この作品で取り上げられたおじさんは彼ではないでしょうか。
帰路に彼の姿を見かけなかったことがずっと気にかかっていました。私たちが彼を見かけたのは神奈川県とも東京都とも判断がつかない町です。
久しぶりに彼の姿を思い浮かべ、少し安心することができました。
ありがとうございました。
これは独り言だと思って忘れてください。
仕事でお疲れ気味の主人公が、路上で『車止めのオッサン』に出会うお話。
これではなんの説明にもなってない、というか「その車止めのオッサンってなんなのよ」という話になると思うのですが、車止めのオッサンは車止めのオッサンです。他に言いようがありません。いや本当、まずここで度肝を抜かれたというか、「えっなに車止めのオッサンて」と思いながら読み始めた結果、予想以上に車止めのオッサンらしい車止めのオッサンが出てきた、その現実に舌を巻く思いでした。
現実の現代社会を舞台に、でもそこにほんの一点だけ不思議な(あるいは不条理な)設定を追加する。道路上の車止めになってしまう人間。現実にはあり得ない、という意味ではなるほどファンタジーなのですが、でも考えようによっては全然ファンタジーでもないというか、「実はあり得るかもしれない」と考えた瞬間にこそ面白くなる作品です。
実は自分が知らないだけで、もし本当は世界が『こう』だったら?
日々の労働に疲れ果て、さりとて人生からの積極的な退場を望むほどの余力も動機もなく、ただそのまま薄く空気に馴染むかの如く消え去りたいと願う人の、その最後に行き着く先。苦痛からの開放にして最終的な到達点。こういうものを世間一般に理想郷と呼ぶのですけれど、でもそれにしてはあまりに寂しすぎる景色。なにより恐ろしいのはその救いのない人生のゴールに、でも彼らがしっかり救われてしまっていること。ならばそこは事実としてユートピアで、でも理想郷の風景を見て「なんて寂しい」と感じる、そんなわたしの住んでいる世界とは何か?
驚きました。軽妙な文章にユーモラスな設定、ちょっとしたショートショートみたいな顔して、しれっととんでもないもん食らわせてくれます。車止めのオッサンの世界と、わたしたちの住む世界。果たして本当に寂しいのはどちらなのか、自分の認識の根っこをぐらつかせてくれる、静かながらも強烈な一撃を浴びせてくれる作品でした。