第19話 勝ち組女子の結末



 心の中だけで深呼吸を繰り返し、遥は冷静になって(つもり)秋人に聞いた。


「でも、なぜこの学校に?」


 秋人の着ている制服は、記憶にあるものとは違う。

 ――というか、遥の学校の規定服だった。

 つまり秋人はこの学校に入学したわけで。


 本来なら、冬子と同じ学校に行くはずなのに。

 どこでどう未来が変わったのだろう。


 静かに混乱している遥をよそに、秋人は遠い目をした。


「秋から死ぬ気で勉強した。このレベルだと、かなりきつかった」


 その苦労はわかったのだが、まったくもって遥の質問の答えにはなっていない。

 そんな秋人が低い位置にある遥の顔をひょいと覗き込む。


「どうしてもここがよかったんだ。あんたが、通ってるから」

「え?」


 得意の「え」はまだ存命していた。使い切ったかと思っていたが、生存確認完了だ。

 にっと笑った秋人はそのまま流れるように姉の話をし始めた。


「姉貴は今日こそ『涼太くん』にアタックするんだって息巻いてた」

「え、ええ。いつもながら、元気そうでよかった」


 ついに彼女も運命の決行日らしい。秋人の話からそれを知る。

 その成功を祈ったが、はて、と遥は内心首を傾げた。


 よかった? んだけど、なんのはなしだったっけ。


「元気も元気。今朝も露出狂みたいな恰好で、どっちのポーズが魅力的かなんてあほなこと聞いてきやがって」


 苦々しい顔で語る秋人の話に思わず吹き出して笑ってしまった。

 ついでにちょっと引っ掛かっていた何かも一緒に吹き飛んだ。


「絶対に好きになってもらうんだって。それにしては行動が馬鹿なんだよな。もはや憎めない。

 まあ、俺が言うのもなんだけど、あれだけ必死に好かれたら、いつかは絆されて落ちるんじゃねーのかな。大体の男はああいうのに弱い」


 秋人も?

 そう思ったが口には出せなかった。


 それより早く、秋人が最大級の爆弾を落としたからだ。


「あれでいて、実は『涼太くん』の記憶なんてほとんどないらしい」

「え?」

「支えにする思い出もないくせに、よくあそこまで一途に思い続けられる」


 それだけは尊敬に値する。

 秋人がしみじみと言った。


「秋人、待って。冬子が、……なに?」


 苦笑した秋人が遥の頭を割れ物に触れるかのように撫でていった。


「姉貴から貰った、生まれて初めての誕生日プレゼントには、……そりゃあもう、驚いた」


 なにせ『記憶』だ。

 遥は無言で目を見開いた。


「勝者権限があるなら、敗者権限もくれってダダこねたらしいぜ」


 遥が自分に分けた記憶容量を、他人に譲り渡す権利。

 それをもぎ取った。


「我が姉ながら無茶苦茶だ。――けど、死ぬほど感謝もしてる」


 秋人にとってはそのたった一つの事実で、これまでのことをすべてチャラにしてもいいと思えるほどの快挙だった。


 遥は思い出す。

 涼太の話をねだった時、冬子の答えはいつも同じ。


 ――覚えてないわ。


 照れでも、誤魔化しでもない。

 ただの、真実。


「……本当に、覚えてなかったのね」


 ぼんやりとした頭でそう呟いた。


 彼女にあるのは、一年間の『遥として過ごした』という事実だけ。

 空っぽの思い出と、空白の一年。


 それから、

感情後悔だけ残ればいいって」


 たった一つの、愛。


「――あとはあんたへの、贈り物なんだってよ」


 見上げると、秋人が肩を竦めてみせた。


「姉貴なりの、感謝の仕方だと思う」


 祝福を。

 頑張ったあなたにご褒美を。

 努力は報われてしかるべきだから。

 あなたは報われるべきだから。

 私からあなたへ。

 飛び切りの、贈り物。


 貰った以上の、幸福をあなたに。


「ああ、泣くな泣くな。あんたが泣くのを見るのは、本当に苦手なんだ」


 ぱたぱたと無意味に秋人が手で空気を扇ぐ。


 そんなことを言われても無理なものは無理だ。

 涙が自分の意志で止められるのなら、遥は一度だって泣いていない。


 顔を覆う遥を前に、しばらく右往左往していた気配が静まり、どこか納得しかねる不満を乗せた声が降る。


「……それで、俺には記憶があるわけで」


 そうですね。

 思いながら、まだ引っ込まない涙をそのままに顔を上げる。


「それが互いにわかったわけで」


 どうせ何度も見せた顔だ。冬子の時の話だが。


「その割に距離があると思うわけなんですが。そこのところは?」


 一瞬、彼の言っている言葉の意味を計りかねたが、すぐに思い当たった。

 冬子なら、の話を彼はしているのだ。

 確かに冬子だった自分なら、とうに秋人の胸の中でおいおいと声を上げて泣いていることだろう。


 それを本人に指摘されるのはかなり羞恥心を煽られるのだが……彼はわかってやっているのだろうか。


 ぐぬぬとそれに耐えながら、怒ったように遥は言った。


「せ、節度ってものを、示してます!」


 秋人は目を瞬いて、「……ああ、アレか」と呟いた。


 記憶があるが故の、共通の思い出。


 一年前の話だ。

「男に不用意に抱き着くな!」と怒る秋人に、「ちゃんと節度ってものを知ってる」と返した冬子。


 確かに遥から見た秋人は元弟ではあるが、現姉弟ではない。

 めでたく節度を保つべき相手になったらしい。

 そして彼女はきちんとその約束を守っている。


 これは困った。

 秋人としては記憶があることを伝えれば万事が丸く収まるものだと思っていたのだ。


 どうしたものかと考えて、秋人はポンと手を打った。

 言えばいいのだ、普通に。

 聞けばいいのだ、答えを。


「じゃあ、こんなのはどうだ? 家族以外で、無理に距離を保たないでいい関係がある」


 唐突な秋人の提案に、今度は遥が目を瞬く。


「恋人って肩書なんだが。俺となる気は?」


 答えるにはだいぶ時間を要した。

 ちょっと、脳内の整理が上手くいかなかったもので。


「……わたし、冬子みたいにスタイルよくない」


 結局噛み砕く前に焦って言葉にしたら、そんなわけの分からないふて腐れた女の愚痴みたいになった。

 内心では「おお、神よ! 時間を巻き戻して!!」と叫んでいたが、当然セーブデータを破棄していた遥にその願いは叶わない。


「なんっで、そこに姉貴が出てくるんだよ! 俺は姉貴と恋愛したいわけじゃねえ! むしろ姉貴みたいな女なんて絶対に嫌だ!」


 似るな。似せるな。比べるな。

 秋人が本気で引き攣っていた。


 彼にとって姉とは冬子in冬子を指すらしい。

 では遥(姉)in冬子の立ち位置は一体どうなっているのか気になるところだが、ひとまず遥が聞くべきは一つ。


「……本当に、わたしでいいの?」

「あんたがいいんだ。ここ学校まで追いかけてきた男の執念ナメんな」


 にやりと笑った秋人に心臓がドコドコと強く速いリズムを刻む。


 心臓は一定数打つと寿命を迎えると聞いたことがあるが、この分だと自分はかなりの短命なのでは、と頓珍漢な方向に思考がずれた。

 たぶん自己防衛本能だ。


「答えは? イエス?」


 口を開くと馬鹿なことを言いそうで、遥は必死に頷いた。


「なら節度は必要なくなったわけだけど」


 ほーれ、来い。とばかりに秋人が腕を広げるから遥は躊躇なく飛び込んだ。

 ぎゅうっと抱き着いて、深く息を吸って。


 安堵のため息を吐いたつもりが、――なぜか言葉になった。


「……秋人。秋人。好き」


 本人が一番驚いていたのだが、残念ながら一度零れた言葉は戻らない。

 その上、箍が外れたように後から後からあふれ出す。


 大きな体が好き。高い背も好き。低い声も、呼ぶ声も。

 優しい手がすき、不器用な優しさが好き。笑い方も好き。

 広い胸がすき、この腕の中が好き。胸いっぱいの、あなたの匂いも好き。


「わああ、まてまて。どうした、バグったか!?」


 言われた秋人も大いに焦っていた。


 まさしく、頭のどこかがおかしくなったらしいと遥は途方に暮れる。

 口が勝手に心を声にしてしまう。


「無理。好きしか言えない。どうしよう」


 止め方がわからないから、ちょっと涙目になった。


「こりゃまいった」


 秋人が天を仰ぐ。

 全然困っているように見えないので、遥は少しだけほっとする。


「どうしよう、と言われたら――」


 甘い言葉を紡ぐ口から、声を奪いたいのなら。

 古今東西、恋人が取る方法は一つと決まっている。


「そりゃあ、こうするよな」


 そうして幸せな、キスをした。






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おしまい。

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