最終話 君が部長だったら良かったのに。

 それから本当に一切会うことはなかった。正直博登はくと君にすがられるかと思っていた。でもそうはならなかった。結構ドライなんだなって思った。そして日が経つにつれて、自分の方が彼を求めていることを知った。


 そんな折、仕事帰りのコンビニで博登君の顔を見かけて小躍りしそうになったのを今でも覚えている。彼は高校に通いながらコンビニでバイトをしていたのだ。

 ただ、彼をつかまえて長々と話すわけにもいかず、「偉いんだね」「頑張ってね」と一方的に言うだけだった。


 それからもなるべくそのコンビニに寄るようにしたが、だからと言って彼と会話することはあまりなかった。私は笑顔を向けて、彼は会釈をくれて。それだけで充分だった。


 私はその頃新しいステージに居て、そこそこ給料も上がったけれど、結局新しい場所では新しい場所でのストレスが発生して、変わらずジュクジュクとした日々を送っていた。だから、あのとき私の愚痴を聞いてくれた彼が、私を肯定してくれた彼が、私を求めてくれた彼が、ただそこに居るって言うだけで、随分と心が晴れたのだ。向こうはどう思っているかわからなかったけれど。思い出さない方がいいって言っておいてこれなんだから、呆れられていたかも知れない。




 そして彼は今、大学ではなく専門学校に通っているようだ。


「大学行かなかったんだね」

「そうっすね」

「どうして?」

「勉強する目的なくなっちゃったからっす」


 私はトクンと心臓が脈打つのを感じた。


「その代わりに今は、小説を書いてるっす」

「え、またなんで?」

「美愛菜さんに教えてもらった唯一のことなんで」


 チクリ。と心臓に棘が刺さる。その一言は報復のようにすら思えた。でも悪いのは私だ。勉強も教えず、勉強をする意味も教えず、挙句に唯一勉強のモチベーションだったセックスまで取り上げてしまった。今彼は自分の未来を人質ひとじちに、私を脅しているのかも知れない。


「でも、小説書きたいんだったら、大学に行くべきだったね」

「どうしてっすか?」

「いろんなことを経験できた方が、幅が広がるじゃあない」

「それ先に言ってほしかったっす」


 ため息と一緒に笑顔を零す。器用なことをやってのけた。その彼からは後悔の色を見て取れない。


「でもそれなら、いい大学出た美愛菜みあなさんはすぐに小説家になれるっすね」

「それは無理よ」

「どうして?」

「熱量がないから」

「じゃあ、そう言うことなんじゃないっすか」


 なにも言い返せない。そうだ。夢を叶えるのは経験や知識じゃあない。熱量だ。今の彼には、多分それだけがある。

 だったらそれでいいじゃないかと言えるほど、楽観的にはなれない。もしも私のせいで今彼がそこに立っているのなら、それは私が手を加えた未来の上を彼が歩いていると言うことなのだから。かと言って、全部私のせいだと言えるほど、自意識過剰にもなれない。彼には彼の思考回路が有って、行く先々の天秤を何度も傾けてこの場所にまで歩いて来たのだろうから。

 だから今さら、私が口出しをするような未来でもない。


「ねえ、博登君」

「なんすか?」


 彼が姿勢を変えると、白色のパーカーがクタッと垂れた。


「君が部長だったら良かったのに」

「はあ……なに言ってんすか?」


 意味がわからないと言ったように眉をひそめる彼。


「ヘタクソだったの」


 少しの時間は掛ったけれど、それでなんとなく察してくれたようだ。彼は口を半開きにして視線を彷徨さまよわせた。それから私の視線に戻ってきて改めて口を開き直す。


「部長?」

「うん」


 ぶっと吹き出す。博登君、笑ってる場合じゃあないよ。


「だからさ、うちの会社に就職して部長になってよ」

「美愛菜さんとこの会社、大卒しか雇わないんっすよね」

「あ」


 忘れてた。

 バカだなぁ。でも、そりゃあ忘れるよ。

 バカばっかだもん。大卒だいそつのくせにセックス下手な部長しかいないんだもん。


「俺が小説家として大成したら、迎えに行くっすから」

「ふふ、楽しみね」

「だから、それまで辞めないで待っててくれっす」


 なんで、仕事がどうでもよくなって来てるってわかったんだろう。でも辞めるだなんて私、私……。本当に思ってなかったのかな。わからない。でも多分、どうでもよくなってるってことはそう言うことだ。じゃあなんで部長とセックスしたのかって、それはわからない。辞める気があるなら、ミスはミスのままに辞めればいいだけなのに。もしかしたら自分自身への当て付けをしていたのだろうか。自分のことなのに、なにもわからない。こんなにもわからないのは、室鐘君が博登君になったあの夜に、全部置いてきてしまったからなのかも知れない。彼を変えてしまった私は、代わりに私を置き去りにした。だから私に朝を与えてくれるのは、私じゃあないんだ。きっと。


「どうして私が辞めると思ったの?」


 どういうわけだか、彼なら知っているような気がした。

 彼は「うーん」と低くうなって、ポケットから出した指を顎に当てた。


「大人は大変っすから」


 彼はひそめたままの眉をそのまま巻き添えにして笑顔を作った。苦笑いでもない、微笑でもない、その笑顔はあいらくも兼ねた表情なのだと思った。


 その笑顔を見たら、彼はもしかしたら最初からなにも変わっていなくて、私は私が変えたことにしたがっていただけなのかも知れないなと思えた。それが真実なのか偽りなのか、向き合った結果に行きついた気付きなのか、ただの逃避なのかはわからない。だけれど、頬に不時着した冷ややかな春の粒子が、こんなにも心地の良いものなんだと言うことに気付くことが出来た。


 手を振って別れて、帰路にく。信号待ち。空はすっかり青くなっている。多分そこに灰を架けると虹色になるはずだ。そう信じて、胸ポケットにしまっておいたメガネをかけ直した。


 濁った世界が鮮明な灰色に変わった。

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セックスした帰り道に、君と会う 詩一 @serch

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