第2話 fashion
─ピピピッ、ピピピピッ
朝のさわやかな空気もおかまいなしにその音はけたたましく鳴り響く。私はカチリと目覚まし時計の音を止め、くるりと布団にくるまった。何事もそつなくこなせるほうの私であるが、幼い頃からどうも朝だけは弱い。
もう一度深い眠りにつこうとしたその時、ふと違和感に気づく。足に何かが当たっている感触がするのだ。
パッと起き上がり、布団を剥ぐ。そこでは、昨日の男が窮屈そうに背を丸めて眠っていた。
眠気などすっかり覚めた両目を擦りながら、記憶の糸をたどる。それは男と別れる時のこと──
「いいことを聞いた。礼を言おう。こういう時は『ありがとう』だったな」
そう言って不自然な笑顔を見せたまま、そいつはちっとも動こうとしない。間に流れる気まずい空気に耐えられず、私はその場から離れようとする。
「で、では。また」
「待ってくれ」
「いたっ!!」
そいつは私の腕を力強く掴み、行く手を阻む。途端に私は警戒態勢へとうつり、その手を払おうとする。……が以外にも私の腕はすぐに開放された。
「悪かった。ここの星人にとっては少々力が強かったようだ」
「は、はい?」
聞きなれない言葉に耳を疑い、様々な可能性を考える。
そして、一つの仮説にたどり着いた。私の推測が正しければ、こいつが奇怪な行動をとっていたことも、異常なほどの力も説明がつく。
「そうだ」
なにも口に出していないのに、そいつは肯定した。
「え?」
「俺は宇宙人だ」
しばらく沈黙が流れる。やはり推測通りだ。こいつは普通ではない。
「……そうでしたか」
「珍しい」
私が普通の返答に宇宙人はボソリと呟く。
「こんなにすんなり信じたのはお前が初めてだ」
「まあ、非現実的ですから。無理もないでしょう。私は仕事柄、SFに携わることがあるので」
「なら、話が早い」
宇宙人はまっすぐ私を見つめて口を開いた。
「俺にこの星の文化を教えてくれないか。さっきのように」
そうだ。そんなことがあったのだ。それでしばらく生活を共にすることになったのだった。
改めて、男の全身を見つめる。しかしまあ、この狭いシングルベットで大の大人がよく眠れたことだ。
─ピピピッ、ピピピピッ
再度鳴り響く目覚まし時計にハッと我に返り、その男を揺さぶる。
「ちょっと、起きてください。今日は人と会う予定があるんですから」
男は寝ぼけたり、目を擦ったりすることなく、スッと起き上がる。その人間味のなさにゾクリと背筋が寒くなる。
「そうだったな。悪かった。すぐに着替える。」
「あ、待ってください!」
寝室から出ようとした背中を呼び止める。私はにこりと微笑み、おはようと口にした。
男は無表情でこちらを見つめる。
それがなんだか決まり悪く感じ、言い訳のように補足する。
「朝起きた時の挨拶です。おはようございます」
「おはよう」
そう言って、男は口を横に引いた。
油をスッとフライパンに滑らせ火をつける。冷蔵庫に残っていたベーコンを敷くと、じゅわりと香ばしい音がする。さらに上から新鮮な卵を落とし、そっと蓋を被せてしばらく待つ。くつくつと音が鳴る頃に火を止め、蓋を外すと、小さなキッチンに温かな湯気がふわりと舞った。
チン、という軽快な音とともに、ちょうど良いタイミングで二枚の食パンがトースターから顔を出した。アツアツのトーストに出来たてのベーコンエッグをのせる。それに濃いめのコーヒーを添えたら、私の十八番のモーニングメニューの完成だ。
私が朝食をテーブルに運んでいると、廊下から足音が響いた。私は扉越しにその音の主へ声をかける。
「カイさん、着替え終わりましたか?」
“カイ”というのは、昨日私が彼につけた名前だ。貝を食べてたからカイ…我ながら単純すぎる。
「ああ、終わった。服は適当に借りたぞ」
カイの返事とともに扉がゆっくりと開く。
「はい。ちょうど朝食が出来たところです…よ……」
目の前では、シックなロングスカートが揺れていた。
「え、ええ!?なんでスカートなんか履いてるんです?」
「何をそんなに驚いてるんだ。今まで来てたスーツとやらは苦しくてな……これはスカートというのか。なかなか気に入った。スーツとは大違いだな」
私はしばらく目をぱちくりさせる。そして、ふっと小さく笑った。
「また何かおかしかったか?」
「ええ、まあ…ここでは、スカートは女性が履くのが常識なんです。ただ、カイさんがあまりにも普通にスカートを履くもんだから……男女で衣類を分けるほうが不思議だなって思ってきました。さっきの笑いはそういうことで、カイさんを笑ったとかではないですよ」
チラリ、とカイを見る。予想はしていたが、カイは無表情のまま口を開いた。
「なるほど。ここには面倒な規則ばかりある。それはいいとして、なぜお前が着ることの無い洋服がここにある」
「ああ。それは元カノのものです」
「元カノ……」
「はい。前にお付き合いしていた方のものです。直接顔を合わせずに別れたもので、彼女が私の家に置いていったものを返しそびれてるんですよ」
「そうか。野暮なことを聞いた」
「大丈夫です。もう過ぎたことなので。朝食が終わったら着替えてくださいね。私が選んでおきますから」
「お前は朝食はいいのか?」
「ええ。終わってからいただくので、心配いりませんよ」
にこりと笑って、カイにいただきますを教えた後、早足で寝室へと向かう。せっかく作った料理が冷めるのはあまり喜ばしいことではない。
寝室の扉に手をかけたその時だった。ガタン、とリビングで大きな物音がした。私は慌ててリビングへと向かう。
「だ、大丈夫ですか?今の音は──」
すぐさま目にはいったのは空っぽのカップを握って、口元から黒い液体を垂らしているカイの姿。そして、大きなシミのついたスカート。
「すまない。あまりに独特な味に慣れなくて。他人のものを汚してしまうなんて……」
カイはその汚れた姿のまま喋りだす。私は慌ててそれを静止する。
「い、いいですから。ちょっと大人しくしていてください」
パタパタとキッチンに走り、二枚の布巾を手にする。片方をカイに差し出し、もう片方は私が持って、丁寧に拭いていく。
もくもくとスカートを拭くカイに私は控えめに声をかける。
「コーヒー。あなたの星にはなかったんですか?」
「いや、あるのはある。だが、こうもっと……甘くてクリーミーだ」
「砂糖とミルクいれとけばよかったですね」
「ここの者はあんな苦いものを好んでいるのか?」
「まあ、人によりますけど」
「物好きだな。ここの星では不可解なことが多くて飽きない」
一瞬、カイが微笑んだように見えた。私はパチリ、と瞬きをひとつ。その次の瞬間にはカイの表情はすっかり元通りだった。
「この汚れ…」
カイがぼそりと呟く。
「この汚れ、落ちるだろうか」
カイの視線を追うと、その先にはスカートがあった。
義理堅いというか、なんというか。この人はいつも一生懸命で、なんだか憎めない。
「気にしないでください。それはもう、処分します」
「いいのか?他人のものなんだろう?」
「いいんです。もう彼女にこれを返すことは無いってことくらい、本当はわかってましたから」
そう言って、私は爽やかに笑った。
ダイバー・シティ 井崎 @isaki_story
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