妖狐が人に化けて養っていた子を失った婆の元で生活する話。だけどゴリラと機械。どうしてこうなった。
妖狐達の里や長生きな御館様等の設定、主人公の鵲が感じた物事、歪ながらも愛情のある婆。とても綺麗でいて儚さのある内容だったんですが、残念ながらこれはEND2だ。セーブした場所からロードして正しい選択肢を選んでトゥルーエンドへと進むのじゃ。と、婆に言われてる気がしました。
一点気になる場所があるんですが、懐かしさを感じるという事は鵲はどこかでコンピューターおばちゃんの曲を聞いた事があるのでしょうか?
気になって夜は8時間しか眠れません。どうしましょう?
幼い妖狐が人間の子供に化け、幼児を亡くした老婆と共に生活するお話。
和風ファンタジーです。童話や昔話にも似たわかりやすくもしっかりとしたストーリーを、児童文学あるいはライトノベル/ライト文芸のような個性的なキャラクターの魅力で彩り、その上で主題の部分をきっちり掘り下げてみせる、優しいライトファンタジーのお手本のような物語でした。
そう——そうなるはず、だったんだ……。
やけくそ感あふれる章題でもう笑いました。どうした六話目? いやどうしたのかははっきり書いてあるのですけど。そうか……どうかしてしまったんだな……可哀想に……(そっと布をかぶせる)。
いろいろと事情があってこの形にならざるを得なかったようで、実際「side-G」ではないバリアントも同時に発表されているので、このお話の本当の姿を見たい人はそちらを読むといいと思います(自分もこれから読んできます)。
第六話の、章題ですでに大変なことになっちゃってるのに、でも本文は普通に始まっているところが好きです。というか、震えます。「いつくるの、ねえゴリラどこからくるの」と怯えながら読み進めることの恐怖。ただの予告ではなく、予告そのものにより確約された破滅。どうやっても転げ落ちるしかない奈落の、その姿がいつまでも見えないこと。メタ構造の罠を利用した、儚くも壮絶なホラー作品でした。