第四話
あの後、当初の目的通り西連寺はシャワーを浴びている。俺は済廊下の浴室の扉の近くに座り込んでいる。部屋に入ってしまえばはぐれてしまいかねないので仕方がない。
西連寺はあの男について、
『わからないことが多すぎるけれど、あなたの言うように恐怖でパニックになってしまった可能性というのが一番有り得そうよね。』
みたいなことを言っていた。
実際、その可能性が高いとは思うのだが、問題は、そうだったとして何が原因でそのような状態になってしまったかということだ。先の見えない孤独な生活に堪えかねてしまったというのもあり得そうではある。しかし、それだけであのように、他人を見ただけでパニックになってしまうような状態になってしまうというのはどうしても考えづらい。それだったら、むしろ逆の反応になると思うのだ。
だからこそ脳裏によぎる別の考えがある。つまり、自分たちのような攫われてきた人間に対して敵意をもつ者が存在しているかもしれないということである。よくあるホラー映画やホラーゲームに出ているような、シリアルキラーやバケモノの類だ。自分たちを攫ったあのバケモノを見た後だと、もう何がいても不思議ではない。俺がこうして浴室の扉の前にいるのは見張りも兼ねているということだ。
しかしながら、この空間での生活を一日目にして受け入れつつあった現状で、こういう可能性をたたきつけられるのはかなりきつい。西連寺は最初の食事の時、この場所ではとりあえず死の恐怖を感じることはないと言っていたが、もうそんなことも言えなくなってしまった。
なぜ、どうして自分はこんな目にあっているんだろうか。そもそも攫ってくる人間も無作為に選んでいるのか、それとも理由が存在するのか。何が目的で人を攫ってきているのか、そもそも目的があるのか。何もかもわからない相手に好き勝手されている漠然とした屈辱と不安が、自分を苛んでいる。
「よくないな...」
気を張りなおす。いつ、ここを出られるのかわからないのだ。長い間こんな思いを連れ添っていたのではもたない。情報が少なすぎるとあいつも言っていた。どうやってもわかりもしないことをわかろうとして気を病む必要はない。
考えることを放棄して花札の役でも覚えなおそうかとも思ったその時、自分の中にある発想が生まれた。発想はいくつかの根拠を得て、一つの推理になった。しかしまだ、根拠も証拠も足りない。今すぐ調べたい、検証したい。だがしかし、
「無理、だな...」
リスクが多きすぎた。この推理が間違っていた時、それを裏付けるための行動というのは、あまりに自分に大きなものを失わせる。ただ、現状唯一の光だ。はっきり言ってあまりにも稚拙な推理だが、この状況下においては、俺を動かすには十分すぎる理由だった。
「ッ...!」
あまりにも長い逡巡、せめて何かもう一つ、どんな小さなものでもいい、理由が欲しい。踏ん切りをつけるきっかけが欲しい。そう思っていると、
「上がったわよ。」
「うおっ!」
いつの間にか目の前に西連寺が立っていた。
「あなた、扉を開けても気づかないんだもの。大丈夫?」
「いや、なに...」
少し考えて、言葉を選んで言った。
「ここに何かいるとしてさ、男一人にああトラウマをも植え付けさせるのって、いったいどんなバケモノなんだろうなと思ってさ。」
「...まあ、ここの生活に堪えられなかっただけかもしれないし、何かいるとして、バケモノとは限らないわよ。」
「そうだな、俺も同じことを考えてたよ。...シャワーだけ浴びてくるから、少しの間よろしく頼む。」
そう言って、浴室の戸を閉めた。
*****
翌日、ほぼ丸一日たってまた浴室の扉のある廊下にいる。西連寺は今しがた、浴室に入っていった。これから俺のすることは、裏切りともいえるだろう。だが、たとえ弱い希望であってもすがらなけらば駄目なのだ。ここで歩みを止めたのなら、俺は一生ここでの生活に甘んじることになるかもしれない。だから...
「ごめんな、西連寺。」
自分でも聞こえるかどうかの小さな声でつぶやく。そして廊下を少し歩き、どこに続くかわからない扉を、開けた。
*****
部屋を、時には廊下を次から次へと通り抜けていく。最初の方は今までに歩き回っていた時のように、ほとんど変化はなかった。
しかし次第に、今までとは明らかに違うものが見えてきた。本当に些細なことだ。今まで歩いてきた部屋よりも埃っぽかったり、蜘蛛の巣が張ってあったりする。しかし差異は、部屋を渡るごとに大きくなっていく。タンスの中に洋服があり、それがはみ出している。部屋から部屋へ移るたびに、部屋の中が無秩序になってゆく。
怪顧録 @421gg
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