&プロローグ
登った。
ひたすらに。
緊張している。はじめての冒険。
何度も登山はしたことがある。準備も万全だった。それでも、緊張する。
ここから、自分の人生が始まる。
生まれるんだ。
彼女のように。今度は俺も。新しく、冒険家として。足を踏み出す。
「真名」
彼女の名前。
彼女の顔。
毛虫が走ったような文字。
「くそ」
登った。
とにかく、遅れないように。それでも、彼女との距離は、離れていく。
遠い。
遠い、道のりだった。
彼女のように。
自分も、なれるんだろうか。
「真名」
「なによ。もうへばったの?」
彼女の声が聞こえる。戻ってきてくれたのか。
「真名」
「加流奈。そんなんじゃ日本の名山制覇なんて遠いわよ」
「いやちょっと、休ませて。ほんとに。緊張で足があんまり動かなくて」
「だめよ。あなたはそんなに柔じゃないわ。ここで膝をついたら癖になる。ここは富士山ですらないのよ。そんなんでへばっちゃだめよ」
「なんか、真名おまえ、生き生きとしてるな」
「ええ。生きたいもの。さあ、行くわよ」
元気なもんだ。
数ヵ月前までは薬の副作用でしんどくなってたくせに。
「つかれたら、私の血、飲ませてあげよっか?」
「なんで」
「疲れがとれるかもしないわよ」
彼女の血は、さらによく分からない方向へ変化していた。あらゆる抗原をすりぬけ、その上で、他者の病や心を癒す。
彼女は、たくさん副作用のある薬を投与したことを盾にとって、両親を研究から撤退させたらしい。何が行われたのかは分からないが、部屋から出てきた両親は涙ながらに俺の肩を抱いた。そして研究をやめてしまった。
「なあ、真名」
「うん?」
真名と書いてある。毛虫の走ったような文字のゼッケンだけが、見える。
「真名おまえ、俺の両親に、なんて言ったんだ、あのとき」
「あのとき?」
「俺の両親が研究から撤退しただろ。そのとき」
「ああ。あのときね。くださいって言ったのよ」
「なにを」
「加流奈を」
「は?」
「加流奈をくださいって言ったの。プロポーズ前に、先にご両親をね、陥落させておこうと思って」
研究を撤退させたんじゃなかったのか。
「ほら、がんばって。山頂まで着いたらプロポーズしてあげるから。先に行ってるわよ」
彼女のペースが、再び上がる。
「膝をついたらほんとに血を飲ませるからねっ」
もう、見えなくなった。
「元気なもんだ」
膝をついてたまるか。
彼女よりも先に山頂に着いて、俺が先にプロポーズしてやる。
そして今日、生まれる 春嵐 @aiot3110
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