フラグを折った男と折られた後輩のお話

久野真一

第1話

「はー、疲れた……」


 着慣れないタキシードに、言い慣れない宣誓の言葉。そして、参列者が見ている前での誓いの口づけ。非常にしんどい。


 俺は、戸部和則とべかずのり。社会人3年目の若造で、今はIT企業の営業マンをやっている。そして、さっきまでは最近結婚した、妻の……これ、言い慣れないんだよな、とにかく、妻の美香みかとの結婚式があった。


「これから、披露宴があるのに、大丈夫?」


 美香が心配してくれる。彼女とは職場で出会った。彼女はエンジニアで、俺は営業マン。本来なら接点が無かったのだが、こっちから必死にアプローチをしてなんとか心を射止めることに成功した。まだまだ男性が多いエンジニア社会の中で、優秀な能力を武器にして、頼りになるエンジニアとして、周りからも信頼されているらしい。


「あ、ごめんな。披露宴までには回復するから」

「じゃ、カズ君はしばらくゆっくりしてて」


 と、彼女は挨拶まわりに出かけた。新郎が居ないのは個人的にどうかと思うが、ちょっと休憩するか。そう思って、人目につかないところで休憩していたところ、


「あれ、カズ先輩じゃないですか。どうしたんですか、こんなところで」


 声をかけてきたのは、大学時代のサークルの後輩の北澤恵梨香きたざわえりか。大学時代は、懐いてくる可愛い後輩という感じだったが、今はすっかり大人の女性だ。


「結婚式疲れで休んでるんだよ」

「新郎がそんなのでどうするんですか?」


 昔からの俺を知っているからか、責める色はないが、呆れているようだ。


「まあ、美香が理解してくれて助かったよ」

「先輩は、本当にいい奥さんもらいましたね」

 

 心からの祝福の言葉をもらう。


「おまえもいい旦那さんもらったじゃないか。しっかりしてるし」

「私がおっちょこちょいだとでも言いたげですね」

「結婚式で、忘れ物して大慌てなのが、おっちょこちょいじゃないと?」


 恵梨香の結婚式には以前、俺も呼ばれている。その時は、披露宴で使う予定のDVDを忘れたと、かなりテンパっていた。結局、そのDVDは彼女の友達がバックアップを持っていて事なきを得たのだが。


「ぐぐぐ。それを言われると弱いですが……それ言うなら、先輩は鈍感ですよ」


 聞き捨てならない言葉があった気がする。


「鈍感ってどこがだよ。鈍感だったら、今、結婚出来てないだろ」

 

 ムっとして言い返す。


「そりゃ、美香さんが出来た人だったからですよ」


 負けじと恵梨香も言い返す。


「で、どこが鈍感なんだ。証拠は?」


 そう、証拠だ、証拠。


「私ですよ、私。大学時代、ちっとも気づいてくれなかったんですから」


 その言葉は衝撃的だった。まさか、こいつが俺のことを―


「は?おまえが?全然そんな素振りなかっただろ」


 そりゃ、それなりに仲良くしてたが、それ以上じゃなかったはずだ。


「だから鈍感なんですよ。あ、今はなんとも思ってないですからね」

「いや、ほんとに覚えがないんだが」


 そんなフラグが立ってたなら見逃すはずがないんだが。だいたい、今は美香一筋だが、こいつは大学時代も可愛かったし、言い寄られてたらほっとかなかったぞ。


「これ、オフレコですからね。美香さんには言わないでくださいよ?」

「あ、ああ。そりゃ、もちろん」

「先輩、私がべろんべろんに酔っ払って、救急車呼んだときの事覚えてます?」

「あー、そんなこともあったな。懐かしいな」


 大学時代の青春の一コマを思い返す。


◇◆◇◆


 当時の俺は、大学3年生でテニスサークル所属。恵梨香も同じくテニスサークル所属で1年後輩だった。とはいっても、あくまでサークルの先輩後輩で、そりゃ、それなりに親しかったけど、それ以上の、たとえば、個人的にデートに行ったりということはなかった。


 そんなある日、急に恵梨香が、同じサークルの仲間に運ばれてきた。なんでも、酔い過ぎて、意識がないので、広い俺の家を使いたいということだった。


「ちょっと泥酔しただけだろ。すまないけど、カズ、面倒頼むわ」


 ってことで、サークル仲間は俺の部屋に彼女を寝かせると、後は頼むと無責任に去って行った。まあ、俺の部屋が都合よく使われるのは今更だし、テニスサークルの連中が軽いのも今更だ。


 俺も、単なる酔い過ぎだろうと思って、布団に寝た彼女を眺めていたのだが、少し様子がおかしい。ゲボっと、大量の吐瀉物を撒き散らしたかと思うと、非常に苦しそうな顔をし始めた。


 心配になった俺が、「おい、大丈夫か?」と呼びかけても返答がない。顔色もだんだん悪くなっていくし。ググって、思い当たる症状を見ると「急性アルコール中毒」というのがヒットした。最悪の場合、死亡に至るということで、慌てて救急車を呼んだのだった。


 実際に、急性アルコール中毒と診断された彼女は、その後、1日で退院したのだが、その後がちょっと変わっていた。


「先輩には、ほんとーにご迷惑をおかけしました。お詫びに、1週間、掃除洗濯食事のお世話します」


 などと言い出したのだ。


「いや、そこまでしてもらう程のことはないって」

「いーえ。お詫びですから、どうか受け取ってください」

「といってもな。じゃあ、ご飯一食奢ってもらうくらいで」

「それじゃ、お詫びには軽すぎますよ!」


 結局、彼女が折れることはなく、結果として、1週間の間、夕食を作ってもらったり、風呂掃除やトイレ掃除、洗濯などをしてもらったのだった。


◇◆◇◆


「恵梨香はやけに強情だったが、それとこれと何の関係が?」

「大有りですよ!正直、救急車呼んだだけじゃなくて、退院するまで付き添ってくれたの、感動したんですよ?」


 声を大にして叫ぶ恵梨香。


「お、おう。そうか」


 数年越しに知る意外な事実。


「昔は、昔は、ですけど、そんな先輩に近づきたかったので、色々やったわけです」

「ひょっとして、掃除洗濯とか申し出たのも……」

「ようやく気づきましたか。ま、その後も無反応だったから、諦めたんですが」


 昔の事なのに、今更恨みがましい目で見つめられる。


「でも、それに気づけとか無理だろ。それまで、普通の先輩後輩だったし」

「だから、それはあの時の先輩が優しかったからですよ」

「誰だって、友達が生きるか死ぬかとなったら救急車呼ぶだろ」

「泥酔できちんと判断できる人ってそんなにいませんよ。それに、救急車呼んだのはともかく、単なる後輩に、下心なしに1日付き合ってくれる人も」

「そうかねえ」


 当然の行動をしたという認識しかないのだが。


「そういうところに、美香さんは惹かれたのかもしれませんね」


 ふっと、微笑みながら、そんなことを言われる。


「急に褒めだすと気味悪いんだが」


 急に褒められたので、つい憎まれ口で応酬してしまう。


「せっかく、いい話にまとめようとしてるのに、まったく……」


 ぷりぷりと怒っている恵梨香だが、今となってはそんな思い出も微笑ましい。


「昔の話だ。今は、お互い相手がいるだろ?」

「それは当たり前ですよ。私だって、今は旦那一筋ですから」

「おー、おー。言うようになったな。そういえば、披露宴だとボロ泣きしてたっけ」

「披露宴の事をそんな風に言いますか、普通?」

「いや、ちょっと言い過ぎた、すまん」

「先輩、披露宴のスピーチ、覚悟しといてくださいよ」


 そんな不穏な言葉を残して、彼女は去っていった。披露宴のスピーチって、一体あいつは何を言う気だ?


◇◆◇◆


 その後、しばらくして、披露宴が始まった。俺と美香の生まれてから今まで、そして出会ってから今までをうまくDVDの映像にして流される。美香の友人に映像編集が得意な人がいて、その人に作ってもらったらしい。


「なんだかんだでいいもんだな」

「でしょ?」


 夫婦で小声で言い合う。


 結婚式疲れとは言ったものの、こうして、友人たちが集まって、祝ってくれるというのは格別の喜びがある。


 そして、披露宴は進んで、新郎新婦の友人によるスピーチの時間だ。そして、俺の側の、つまり、新郎側のスピーチをする代表は恵梨香。「覚悟してくださいよ」とは

言ってたけど、何をするのやら。


「皆さん、はじめまして。新郎の友人の北澤恵梨香きたざわえりかと申します。今回はこのような場にお呼びいただき、大変光栄です」


 スピーチはそんな恵梨香の挨拶から始まった。何が出てくるか構えていたのだが、無難で拍子抜けだ。


 そして、俺とは大学時代の先輩後輩の関係だったこと。色々よくしてもらったこと、サークルでの俺の人柄など、ほんとに無難なことを言っていく。


「でも、先輩はいい人だったんですが、ひっじょーに鈍感でした」


 は?こいつは一体何を言い出すんだ。と思ったが、時既に遅し。


「サークル時代、私が急性アル中で入院した時に、先輩はすぐに救急車を呼んでくれて、その後も、回復するまで付き添ってくれました」


「それで、感動した私は、先輩のところに押しかけて、なんとか振り向いてもらおうと頑張ったんですが、先輩と来たら、「そこまで気に病まなくても」とか言って、全スルーしてくれやがりました」


 その辺りまで話が来た時に、周りが爆笑し始める。きっと、本気じゃなくて、聴衆を笑わせるためのジョークだと思っているんだろうが、実話だ。


 その後も、アフレコで大学時代の俺がいかに鈍感だったか力説する恵梨香。もう勘弁してくれ。


「その後も、もうほんっと色々あるんですが、これ以上言うと、美香さんに嫉妬されかねないので、このくらいにしておきます。でも、先輩はほんっと鈍感ですから、くれぐれも気をつけてくださいね」


 途中から、完璧にその場の勢いでしゃべっていたが、隣の美香は、途中からずっと俺の方を微妙な視線で見ていた。気まずい。


 スピーチが終わった後のこと。


「あのさ、恵梨香のスピーチだけど、色々盛ってるだけだからな?」


 おそるおそる弁解したのだが。


「やっぱり、カズ君、学生の頃から鈍感だったんだね」

「え?」


 美香から返ってきたのは予想外の言葉だった。


「私が初めて、デートに誘った時も、仕事の付き合いの延長線だったよね」

「え、えーと。そうだったっけ」


 冷や汗がだらだらと流れてくる。


「他にもいっぱいあるよ。確か、お付き合いする直前も……」

「もう、わかった。わかった。俺が悪かった」


 恵梨香にも、美香にも、さんざん気付かない形でスルーするような態度を取っていたらしい。


「でも、恵梨香さんにそんなに想われていたんだね」

「昔のことだよ、昔のこと」

「わかってるけど、ちょっと嫉妬しちゃうな」

「いや、ほんと、今はおまえ一筋だって」

「鈍感なカズ君も言うようになったね」

「それを言うのは勘弁してくれ」


 しっかし、あの野郎。披露宴のスピーチでとんでもないことぶちまけやがって。こうなったら、二次会であいつの黒歴史をさんざんほじくり返してやる。そんな事を決意した俺だった。


 そして、決意通り、二次会で恵梨香の黒歴史をさんざん披露したところ、取っつかみ合いにならんばなかりのやり合いになったのであった。


 あんな事をぶちまけるからだ。ざまあみろ。


(しかし……)


 もし、あの時、恵梨香の気持ちに気づいていたらどうなったんだろう。そんな事をふと思うのだった。

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フラグを折った男と折られた後輩のお話 久野真一 @kuno1234

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