フラグを折った男と折られた後輩のお話
久野真一
第1話
「はー、疲れた……」
着慣れないタキシードに、言い慣れない宣誓の言葉。そして、参列者が見ている前での誓いの口づけ。非常にしんどい。
俺は、
「これから、披露宴があるのに、大丈夫?」
美香が心配してくれる。彼女とは職場で出会った。彼女はエンジニアで、俺は営業マン。本来なら接点が無かったのだが、こっちから必死にアプローチをしてなんとか心を射止めることに成功した。まだまだ男性が多いエンジニア社会の中で、優秀な能力を武器にして、頼りになるエンジニアとして、周りからも信頼されているらしい。
「あ、ごめんな。披露宴までには回復するから」
「じゃ、カズ君はしばらくゆっくりしてて」
と、彼女は挨拶まわりに出かけた。新郎が居ないのは個人的にどうかと思うが、ちょっと休憩するか。そう思って、人目につかないところで休憩していたところ、
「あれ、カズ先輩じゃないですか。どうしたんですか、こんなところで」
声をかけてきたのは、大学時代のサークルの後輩の
「結婚式疲れで休んでるんだよ」
「新郎がそんなのでどうするんですか?」
昔からの俺を知っているからか、責める色はないが、呆れているようだ。
「まあ、美香が理解してくれて助かったよ」
「先輩は、本当にいい奥さんもらいましたね」
心からの祝福の言葉をもらう。
「おまえもいい旦那さんもらったじゃないか。しっかりしてるし」
「私がおっちょこちょいだとでも言いたげですね」
「結婚式で、忘れ物して大慌てなのが、おっちょこちょいじゃないと?」
恵梨香の結婚式には以前、俺も呼ばれている。その時は、披露宴で使う予定のDVDを忘れたと、かなりテンパっていた。結局、そのDVDは彼女の友達がバックアップを持っていて事なきを得たのだが。
「ぐぐぐ。それを言われると弱いですが……それ言うなら、先輩は鈍感ですよ」
聞き捨てならない言葉があった気がする。
「鈍感ってどこがだよ。鈍感だったら、今、結婚出来てないだろ」
ムっとして言い返す。
「そりゃ、美香さんが出来た人だったからですよ」
負けじと恵梨香も言い返す。
「で、どこが鈍感なんだ。証拠は?」
そう、証拠だ、証拠。
「私ですよ、私。大学時代、ちっとも気づいてくれなかったんですから」
その言葉は衝撃的だった。まさか、こいつが俺のことを―
「は?おまえが?全然そんな素振りなかっただろ」
そりゃ、それなりに仲良くしてたが、それ以上じゃなかったはずだ。
「だから鈍感なんですよ。あ、今はなんとも思ってないですからね」
「いや、ほんとに覚えがないんだが」
そんなフラグが立ってたなら見逃すはずがないんだが。だいたい、今は美香一筋だが、こいつは大学時代も可愛かったし、言い寄られてたらほっとかなかったぞ。
「これ、オフレコですからね。美香さんには言わないでくださいよ?」
「あ、ああ。そりゃ、もちろん」
「先輩、私がべろんべろんに酔っ払って、救急車呼んだときの事覚えてます?」
「あー、そんなこともあったな。懐かしいな」
大学時代の青春の一コマを思い返す。
◇◆◇◆
当時の俺は、大学3年生でテニスサークル所属。恵梨香も同じくテニスサークル所属で1年後輩だった。とはいっても、あくまでサークルの先輩後輩で、そりゃ、それなりに親しかったけど、それ以上の、たとえば、個人的にデートに行ったりということはなかった。
そんなある日、急に恵梨香が、同じサークルの仲間に運ばれてきた。なんでも、酔い過ぎて、意識がないので、広い俺の家を使いたいということだった。
「ちょっと泥酔しただけだろ。すまないけど、カズ、面倒頼むわ」
ってことで、サークル仲間は俺の部屋に彼女を寝かせると、後は頼むと無責任に去って行った。まあ、俺の部屋が都合よく使われるのは今更だし、テニスサークルの連中が軽いのも今更だ。
俺も、単なる酔い過ぎだろうと思って、布団に寝た彼女を眺めていたのだが、少し様子がおかしい。ゲボっと、大量の吐瀉物を撒き散らしたかと思うと、非常に苦しそうな顔をし始めた。
心配になった俺が、「おい、大丈夫か?」と呼びかけても返答がない。顔色もだんだん悪くなっていくし。ググって、思い当たる症状を見ると「急性アルコール中毒」というのがヒットした。最悪の場合、死亡に至るということで、慌てて救急車を呼んだのだった。
実際に、急性アルコール中毒と診断された彼女は、その後、1日で退院したのだが、その後がちょっと変わっていた。
「先輩には、ほんとーにご迷惑をおかけしました。お詫びに、1週間、掃除洗濯食事のお世話します」
などと言い出したのだ。
「いや、そこまでしてもらう程のことはないって」
「いーえ。お詫びですから、どうか受け取ってください」
「といってもな。じゃあ、ご飯一食奢ってもらうくらいで」
「それじゃ、お詫びには軽すぎますよ!」
結局、彼女が折れることはなく、結果として、1週間の間、夕食を作ってもらったり、風呂掃除やトイレ掃除、洗濯などをしてもらったのだった。
◇◆◇◆
「恵梨香はやけに強情だったが、それとこれと何の関係が?」
「大有りですよ!正直、救急車呼んだだけじゃなくて、退院するまで付き添ってくれたの、感動したんですよ?」
声を大にして叫ぶ恵梨香。
「お、おう。そうか」
数年越しに知る意外な事実。
「昔は、昔は、ですけど、そんな先輩に近づきたかったので、色々やったわけです」
「ひょっとして、掃除洗濯とか申し出たのも……」
「ようやく気づきましたか。ま、その後も無反応だったから、諦めたんですが」
昔の事なのに、今更恨みがましい目で見つめられる。
「でも、それに気づけとか無理だろ。それまで、普通の先輩後輩だったし」
「だから、それはあの時の先輩が優しかったからですよ」
「誰だって、友達が生きるか死ぬかとなったら救急車呼ぶだろ」
「泥酔できちんと判断できる人ってそんなにいませんよ。それに、救急車呼んだのはともかく、単なる後輩に、下心なしに1日付き合ってくれる人も」
「そうかねえ」
当然の行動をしたという認識しかないのだが。
「そういうところに、美香さんは惹かれたのかもしれませんね」
ふっと、微笑みながら、そんなことを言われる。
「急に褒めだすと気味悪いんだが」
急に褒められたので、つい憎まれ口で応酬してしまう。
「せっかく、いい話にまとめようとしてるのに、まったく……」
ぷりぷりと怒っている恵梨香だが、今となってはそんな思い出も微笑ましい。
「昔の話だ。今は、お互い相手がいるだろ?」
「それは当たり前ですよ。私だって、今は旦那一筋ですから」
「おー、おー。言うようになったな。そういえば、披露宴だとボロ泣きしてたっけ」
「披露宴の事をそんな風に言いますか、普通?」
「いや、ちょっと言い過ぎた、すまん」
「先輩、披露宴のスピーチ、覚悟しといてくださいよ」
そんな不穏な言葉を残して、彼女は去っていった。披露宴のスピーチって、一体あいつは何を言う気だ?
◇◆◇◆
その後、しばらくして、披露宴が始まった。俺と美香の生まれてから今まで、そして出会ってから今までをうまくDVDの映像にして流される。美香の友人に映像編集が得意な人がいて、その人に作ってもらったらしい。
「なんだかんだでいいもんだな」
「でしょ?」
夫婦で小声で言い合う。
結婚式疲れとは言ったものの、こうして、友人たちが集まって、祝ってくれるというのは格別の喜びがある。
そして、披露宴は進んで、新郎新婦の友人によるスピーチの時間だ。そして、俺の側の、つまり、新郎側のスピーチをする代表は恵梨香。「覚悟してくださいよ」とは
言ってたけど、何をするのやら。
「皆さん、はじめまして。新郎の友人の
スピーチはそんな恵梨香の挨拶から始まった。何が出てくるか構えていたのだが、無難で拍子抜けだ。
そして、俺とは大学時代の先輩後輩の関係だったこと。色々よくしてもらったこと、サークルでの俺の人柄など、ほんとに無難なことを言っていく。
「でも、先輩はいい人だったんですが、ひっじょーに鈍感でした」
は?こいつは一体何を言い出すんだ。と思ったが、時既に遅し。
「サークル時代、私が急性アル中で入院した時に、先輩はすぐに救急車を呼んでくれて、その後も、回復するまで付き添ってくれました」
「それで、感動した私は、先輩のところに押しかけて、なんとか振り向いてもらおうと頑張ったんですが、先輩と来たら、「そこまで気に病まなくても」とか言って、全スルーしてくれやがりました」
その辺りまで話が来た時に、周りが爆笑し始める。きっと、本気じゃなくて、聴衆を笑わせるためのジョークだと思っているんだろうが、実話だ。
その後も、アフレコで大学時代の俺がいかに鈍感だったか力説する恵梨香。もう勘弁してくれ。
「その後も、もうほんっと色々あるんですが、これ以上言うと、美香さんに嫉妬されかねないので、このくらいにしておきます。でも、先輩はほんっと鈍感ですから、くれぐれも気をつけてくださいね」
途中から、完璧にその場の勢いでしゃべっていたが、隣の美香は、途中からずっと俺の方を微妙な視線で見ていた。気まずい。
スピーチが終わった後のこと。
「あのさ、恵梨香のスピーチだけど、色々盛ってるだけだからな?」
おそるおそる弁解したのだが。
「やっぱり、カズ君、学生の頃から鈍感だったんだね」
「え?」
美香から返ってきたのは予想外の言葉だった。
「私が初めて、デートに誘った時も、仕事の付き合いの延長線だったよね」
「え、えーと。そうだったっけ」
冷や汗がだらだらと流れてくる。
「他にもいっぱいあるよ。確か、お付き合いする直前も……」
「もう、わかった。わかった。俺が悪かった」
恵梨香にも、美香にも、さんざん気付かない形でスルーするような態度を取っていたらしい。
「でも、恵梨香さんにそんなに想われていたんだね」
「昔のことだよ、昔のこと」
「わかってるけど、ちょっと嫉妬しちゃうな」
「いや、ほんと、今はおまえ一筋だって」
「鈍感なカズ君も言うようになったね」
「それを言うのは勘弁してくれ」
しっかし、あの野郎。披露宴のスピーチでとんでもないことぶちまけやがって。こうなったら、二次会であいつの黒歴史をさんざんほじくり返してやる。そんな事を決意した俺だった。
そして、決意通り、二次会で恵梨香の黒歴史をさんざん披露したところ、取っつかみ合いにならんばなかりのやり合いになったのであった。
あんな事をぶちまけるからだ。ざまあみろ。
(しかし……)
もし、あの時、恵梨香の気持ちに気づいていたらどうなったんだろう。そんな事をふと思うのだった。
フラグを折った男と折られた後輩のお話 久野真一 @kuno1234
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