第12話 破棄街に降る奇跡

 見えざる毒ガスが音もなくやって来た。


 口と鼻に布を当ててないカートが喉を押さえ、うずくまり、咳き込み始めた。

 

 その隣のデイモンも、地面に顔を押し付けると激しく咳き込んだ。

 

 脱いだシャツを鼻と口に押し当てたヒュイが、同じように自分の脱いだシャツを口と鼻に当てるノアをもう片方の手で抱き締める。


「この子は何の罪もないんだ。せめて……せめて、この子だけは……」




       ■ ■ ■ ■ ■ ■




「危険物質感知」


 コートから音声が流れ、後ろから飛び出したフードが顔を覆ったが、半透明の部分にこびりついたヘドロのせいでほとんど前が見えなかった。


 セイナが間髪入れず解除ボタンを押す。


 フードが後ろに収納され、顔が剥き出しになった。

 途端に目がピリピリして涙が流れ出したが、速度を落とすことなくキーボードを叩き続けた。




       ■ ■ ■ ■ ■ ■




「見たことも無い成分ばかりよ、しかもその場で計算しながら送信してくるなんて信じられない!」

 

 プレローマに送られてくる成分表の配合をしているソフィアが首を横に振りながら呟いた。

 

 その隣ではシーティングシステムの発進準備を終えたエイミーを始め、十三人會の面々が固唾を飲んでモニターを見つめていた。


「全ての成分表受信完了。18秒で成分配合完了、20秒で搭載完了」


 全ての作業を終え、息が上がったソフィアが背もたれに体を預ける。


「オーケー1秒の遅れもなく発進させるわ。じゃなきゃセイナに会わす顔がないわ」

 

 ソフィアの部屋から飛び出すしたエイミーが通路を全力で駆ける。


「待っててねセイナ、あたしの大好きなセイナ」




      ■ ■ ■ ■ ■ ■



 きつく押し当てたシャツ越しに毒ガスが入り込み、激しいクシャミと嘔吐感がヒュイに襲いかかる。

 それでも同じように苦しんでるノアを少しでも毒ガスから守ろうと、自らの胸に小さな顔を押し当てていた。

 

 

 全ての打ち込みを終えたセイナにも症状が襲い掛かる。

 フードを下ろそうとスイッチに手を伸ばすが、痙攣した手が動かない。

 セイナはそのまま意識を失い、力無く倒れた。




      ■ ■ ■ ■ ■ ■




「セイナ」


 暗闇の中、女性と男性の優しい声が自分の名を呼んでいる。


 母親と父親の声。

 

 セイナはそう思った。


 暗闇がぼんやりと明るくなってゆき、天井の逆光で顔の見えない男女のシルエットが見える。


「セイナ」


 また声がした。


“違う”


 その声とシルエットにセイナは違和感を覚えた。


「セイナ……セイナ……」


 その声は自分の名を呼び続けた。


“違う、これは父さんと母さんじゃない――――そもそも私には父さんと母さんはいない! 私を褒めてくれる父さんと母さんはいない! 愛してくれる父さんと母さんはいない!”


 セイナが声にならない悲鳴をあげそうになった。


 その時、大きな拍手の嵐がセイナの耳に飛び込んできた。

 

「セイナ! セイナ!」

 

 先程とは違う声が自分の名を呼んでいるのに気付いた。


「セイナ!」


 ぼやけた視界に顔が映り、それがノアの泣き顔と気付いた。


「大丈夫かい、あんた」


 側ではヒュイが生気の無い真っ青な顔で覗き込んでいる。


「いきなり降ってきたこの雨が毒ガスを流し去ってくれた」

 

 ヒュイの後ろからひょっこり顔を出したウィーがそう言った。

 

 セイナの目が開けられた扉を向く。

 外はどしゃぶりの雨だった。


“拍手の正体はこれだったのか”


 そう思いながらノアやヒュイに顔を向けた。


「触れた瞬間ノビコック剤を分解する成分を含んだ液体をシーディングシステムを使い、雨にして降らせました。でも、間に合ってよかったです」

「やっぱりセイナがやったんだよ、凄い凄い! セイナ大好き! 愛してるよー!」


 ノアが涙の筋が残る顔を満面の笑顔にすると、横になっているセイナに抱きついた。

 

 頭はズキズキし、呼吸をするたび体中が痛んだが、これまで感じたことの無い充実感をセイナは感じていた。


“さようなら、お父さん、お母さん”


 セイナが心の奥で目にしたことのない父と母に別れを告げた。



   ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■

   


「それは私の一存によってのことでエイミー、ソフィアには何の非もありません。責任の所在は全て私にあります。以上、第1アースウェルの報告を終ります」


 議会室にいる議長や他の十三人會のメンバーを見渡し、セイナは着席した。


「これで許可なくシーディングシステムを用いて未知の成分を地上に散布した理由がわかりました」


 議長は報告書に落とした目をセイナにじっと向けるとこう尋ねた。


「あなたのその判断に間違いは無いと言いきれますか? セイナ」


 それにセイナはしばし議長の目を見つめた。


「はい、議長」


 静かに、そしてはっきりと答えた。

 

 それに議長は穏やかに微笑む。


「わかりました。しかし無断行為を罰しないわけにはいきません。セイナ」


 十三人會のメンバーが静かにざわめいた。


「議長! セイナに罰を与えるならあたしも一緒に!」


 エイミーが涙ぐんで立ち上がる。

 そんなエイミーに、最後まで聞きなさい、と手の平を向けた議長がこう続けた。


「3箇所ある他のアースウェルも直接その目で確認してくることを命じます。セイナ」


 議長の声にセイナの顔がぱぁっと輝いた。


「はい、議長。ありがとうございます」


 閉会した議会室から続く廊下を歩くセイナにエイミーが話し掛けた。


「あの……その……さっきの勘違いしないでよね。あれは何ていうか……その……」

「あ、エイミー。ちょうどよかった、あのシーディングシステムで私と共同研究しない? この成分で……」

「え? その……ちょっとセイナ!」


 腕のモニターを顔に近づけられ、セイナの質問攻めにさらされたエイミーは戸惑っている様子だった。

 

 それを後ろから見るジョアンナとソフィアが目と目を合わせた。


「セイナは変わりましたね」

「孤高の天才、の孤高は返上ね。いったい地上で何があったのかしら、興味があるわ」


 そう言って腕を組んで歩く2人の背中を、議長が穏やかな笑みで見詰めた。


「いつまでも地球を見下ろしての研究ではいけない。セイナ、あなたはその先人になってください」




       ■ ■ ■ ■ ■ ■



「ノア、そろそろランチにするよ」


 ヒュイが畑で作業をしているノアに声を掛ける。


「もう少ししたら行く」


 その返事にヒュイはジャガイモを潰したものを混ぜたスープを横になってるカートの側に置いた。


「今日はどうだい」

「ああ、まずまずいい」


 ヒュイに背もたれを腰にあててもらったカートは震える手でゆっくりスープを食べ始めた。


「美味しいよ、ヒュイ」

「そりゃよかった」


 カートは毒ガスから一命は取り留めたが後遺症で下半身と上半身の一部は麻痺してしまったのだ。


 一緒に食べながらヒュイは思った。


 デイモンが死んだことを知ったカートは生き延びたことを悔やみ、何度か死のうとしたことがあった。


 その度止めては生き延びることを懇願してきたが、最近やっと落ち着いてきて、こうして食事を楽しめるほどになった。


「ただいま、ジャガイモ掘ってきたよ」


 両手にジャガイモを抱えたノアが入り口から元気に入ってきた。


 あの毒ガス事件の次の日、軍ではなく地球機関の連中がここにやって来て、カートやウィー、それに私に事情を聞き、体を調査された後、裏切りジェイムズを連れ、地上へ戻って行った。

 セイナも共に去って行ったが、その時こう言い残していった。

 

「ノアと約束したんです。ここの環境を良くするって。ちょっと時間がかかりますけど待っててください」


 そして私に「いつかノアを迎えにきます」とも。

 

 それから一週間後、変化が起こった。

 めったに降らない雨がここに降るようになり、水の奪い合いが無くなった。

 

 しかも、その雨は不思議な雨で、降った後はゴミ溜めのようなこの場所を、まるでピカピカの新品のように綺麗にしてくれた。

 

 それこそ壁や屋根に何重もこびりついた黒いヘドロも、住人の糞尿も、廃棄物から発する異臭も全てを洗い流し、いや、洗浄し蒸発させた。

 

 更には捨てられてきた家畜の死骸や廃材木はその雨に当たってるうち土に変わってゆき、そこに植物が生え始めたのだ。

 

 ノアが掘ってきたジャガイモ(多分、家畜の胃腸に入ってたものから芽がでたのだろう)もそうだった。

 

 なによりも嬉しかったのはノアがみるみる健康的になってきたことだった。

 

 不衛生で殺伐とし、ゴミと共に絶望も捨てられてくるこの場所が何か変わってきたように思えた。

 

 セイナとは、あの女性は何者だったのか?

 ここの設計者と言っていたし、ウィルは、政府ですら頭が上がらない地球機関のひとつ“十三人會”とかいうのに所属してる研究員ではないかと言ってたが、何故ここを、犯罪者や社会のはぐれ者が巣くうこの場所を何故このようにしてくれたのか?

 

 「ごちそうさん」

 

 カートの声に我に返り、ヒュイはカートの膝の上に置かれた空のボウルとスプーンを持ち上げ今や豊富に蓄えられている水で洗おうと小屋の戸を開けた。

 

 その目に畑の側に立っているノアとセイナが映った。

 

 ノアは片手のジャガイモをセイナに見せはしゃいだ声で何か喋っていたがヒュイの耳には聞こえなかった。

 

「あ、ヒュイ。セイナだよ、セイナが来たよ」


 ノアが嬉しそうに大きな声をかけたがヒュイはその場で固まっていた。


 そんなヒュイに、ノアがぴったり側についたセイナが近づいてきた。


「お久しぶりです、ヒュイさん」


 微笑んで言うセイナに少し俯いた後、こわばった笑顔をヒュイは浮かべた。


「あんときはありがとうよ、ここもこんなに変わった。あんたの力だろ?」

「はい、でも私だけではなく仲間の協力もあってのことです。ところで他の皆さんはお元気ですか」

「あの毒ガスで何人も死んで、体が不自由になった奴もいっぱいいるさ。ま、しぶとい連中だから何とか生活してるけどね」

 

 そう言って笑うと、こう続けた。


「ところで今日ここに来た用件ってのはノアのことだろ?」

「はい、地上に連れて行き、地球機関直属の施設に預けます」


 セイナの声に安堵の表情を浮かべたヒュイは、何か整理がついたようにこう言った。


「あんたが預けるところなら間違いないだろうしね、本当にありがとうよ」


 すると側にいたノアが怯えた表情になった。


「あたしを上に連れていくの?」


 ヒュイとセイナを交互に見る。

 僅かに震える手を伸ばしたヒュイがでノアの頭を優しく撫でた。


「そうだよノア、地上に帰るんだよ」


 撫でる手を放したヒュイがノアに背を向けると、貯水タンクに向かって歩き出した。

 

「やだよ、ヒュイと一緒じゃなきゃイヤだ。一緒じゃなきゃ行かない」

 

 泣き出したノアがヒュイに駆け出す。

 それにヒュイが背を向けたまま言い放った。


「あんたはあたしの子供じゃないんだ。来るんじゃないよ」


 それにノアが足を止める。


「あの、一緒に行きましょう。ヒュイさん」

「記憶が戻ってもあんたはお譲さんなんだね、はっ! あたしは人殺し、犯罪者なんだ。ここにいる連中の大半もそうさ、ここが居場所なんだ!」

 

 背中を向けたままヒュイが貯水タンクの前でしゃがみ込み、ボウルとスプーンを洗い始めた。


「ヒュイ……」


 泣きじゃくるノアの両肩にセイナが後ろから手を載せた。


「ヒュイはね、ノアのことが本当に大事だからああ言ったんだよ」


 それにノアの嗚咽が強くなった。

 「ノアはこれから大きくなって強くなるの、そうしたらもう一回同じことをヒュイに言おうよ。嫌だ、って言われたら力ずくで連れてけばいいわ」

「うん、あだしおおぎぐなってづよくなる……」

「じゃあヒュイに行ってきます、しよう」


 ノアが両手で涙と鼻水を拭うとヒュイに顔を向けた。


「あたし、地上に行ってくるよ! そして戻ってくる、大きくなってここに。ヒュイを地上に引っ張ってくれるくらい強くなって戻ってくるよ!」


 そう叫ぶノアに最後まで顔を向けないヒュイだったが、その背中はかすかに震えていた。




 アースウェル稼動部から地上にリフトが到着し、太陽の陽を浴びたノアは手で目を遮った。


「ノア、これからしばらく旅をすることになるけど、まず海を見に行こうか」


 地球機関から借りたピックアップトラックの運転席に乗り込んだセイナが助手席にちょこんと座るノアにそう言った。

 

「うん」


 ようやく笑顔の戻ってきたノアを見てセイナは思った。

 

 良い人類の未来を作り上げていくのは自分ではない、ノアのような子供達なのだ、と。


 スピーカーから流れるショパンの英雄ポロネーズに合わせてノアが奏でる鼻歌を耳に、セイナが運転するピックアップトラックは海に向け草原を走り去った。




     エピローグ



 かつてカルカッタという都市があった場所の地下に、第二アースウェルはあった。


 稼動部に並ぶ、ヘドロまみれのバラック小屋から少女が出てくると、ゴミが積み上がった通路に用を足そうとしゃがみ込んだ。


 そこでリフトが降りてくるのに気付く。 政府の管理員はついこの前来たばかり、少女が不思議に思っていると何かが聞こえてきた。

 

 それは女性の鼻歌のようだった。




 廃棄街に降る奇跡 ~天才百合少女が作りし地球最大のゴミ箱~【おわり】

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廃棄街に降る奇跡 ~天才百合少女が作りし地球最大のゴミ箱~ こーらるしー @puru

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