ほんとうに大切なもの

逢雲千生

ほんとうに大切なもの


 目覚めてから最初にれる一杯のコーヒー。


 社会人になった私の数少ないぜいたくだ。


 朝ご飯を食べながら新聞を読み、テレビでニュースをチェックする。


 どこかのお父さんみたい、とからかわれたことがあるけれど、これが私のモーニングルーティンだ。


 時間になると後片付けをし、家を出る前に小さな仏壇に手を合わせる。


 小さな遺影の中では父が笑っていて、笑顔で「いってらっしゃい」と言われているようだ。



 

 一人暮らしを始めてからというもの、私の生活は実家にいた頃と大きく変わった。


 実家にいた頃は時間にルーズで、とにかくだらしないだけの生活だったけれど、一人暮らしになった途端、きちんとできるようになったのだ。


 最初は戸惑ってばかりだったのに、数年も経つと慣れてきて、今ではそれなりに自慢できるほど上達している。


 近所に住む兄夫婦から心配されることはあるけれど、私はこの生活が好きだった。


 私の母はといえば、今頃義姉ねえさんに怒られているかもしれない。


 いつまで経っても子供っぽくて、いつになっても大人になれない人だったから。




 私が家を出るきっかけになったのは、母の飲酒が原因だった。


 元々お酒が好きな人で、結婚前から飲んでいたらしいけれど、収入の良かった父から財布を任されたのを良いことに、好きなだけ飲むようになったらしい。


 反対に父はお酒が苦手で、社交的な人では無かったこともあってか、会社の飲み会や付き合い以外では滅多に飲まなかった。


 それほどお金を使わず、それなりに稼いでいた父がいたからこそ、母は酒代と称したお金を残し、家計を回していられたのかもしれない。


 後で知ったことだけれど、母の酒代は生活費より高い月が多かったそうなので、今思えば、私や兄に何かを買ってやるよりも、お酒を飲むことを優先していたからなのだろう。


 だからこそ、その事実を知ったときの兄の怒りようは、今まで見た中で一番恐ろしかった。



 

 私も兄も勉強は苦手だったけれど、スポーツは得意だった。


 私はテニスで全国大会に出たことがあるし、兄はバスケットボールで日本代表になれるほどの実力を持っていたほどだ。


 私はあくまで部活の範囲内だったけれど、兄はやれるところまでやりたいと、日本代表になるための強化合宿に参加したかったそうだが、大学受験を理由に母から反対されてしまった。


 大学はスポーツ推薦で入学することができたが、日本代表はおろか、バスケを諦めるまで合宿にすら参加できなかった。


 理由は、家庭の経済状況だったそうだ。


 当時のスポーツは、サッカーや野球など、国内から注目されている種目を中心に、参加費などを免除してもらえる制度があったそうなのだけれど、バスケはまだマイナーなスポーツで、ブームこそあったものの、さほど定着はしなかった。


 そのため、代表選手に確定したり、強化選手などになれたとしても、一部は自己負担をしなければならない場合も少なくなかったのだという。


 たいていは所属しているチームや、スポンサーなどが出してくれるのだけど、母がかたくなに個人でやることをしたため、兄は夢半ばで諦めることになってしまったのだ。


 最初は母なりに考えて、兄を心配してくれていたのだろうと思ったけれど、本当はすぐに働いてもらって、家にお金を入れてもらいたかったらしい。


 兄が大学を卒業する頃には、母の酒代はますます増えていて、高いお酒にまで手を出し始めていたのだという。


 父は貯金があると信じていたそうだけれど、実際は酒代に消えていて、発覚した頃にはマイナスになっていたほどだった。

 



 私は高校卒業後、就職難で定職に就けなかったが、アルバイトをいくつかこなし、家には生活費としてお金を入れていた。


 正社員になれた兄ほどではなかったが、それなりの金額を入れていたので、家計もだいぶ楽になるかと思ったのに、むしろ困窮していったのだ。


 そこでおかしいと気づき、兄に相談したところ、兄もそのことに気がついていて、二人で父に相談し、父から母に聞いてくれたそうなのだ。


 母は最初誤魔化していたらしいが、だんだんと言い訳が出来なくなっていき、とうとう酒代のことを白状したそうで、そこで初めて借金があるとわかった。


 私達は最初、そんなにお金が必要なほど大変だったのかと驚いたが、全て酒代に消えたと知ったときの怒りは、自分でも計り知れない。


 普段は温厚な父が鬼の形相で怒り、兄は机を叩き、初めて母を怒鳴った。


 私は怒りと悔しさで泣き、小さくなる母を睨み続けていた。

 



 それからすぐに、家計は兄が握り、借金は私達三人でどうにか返済することができたものの、母の飲酒は止まることがなかった。


 どこからかお金を借りて飲んだり、家族の自室に入って財布を盗むなどしていたため、父も困り果てていた。


 そんな頃に父の病気が発覚し、入院して治療に専念したものの、末期だったため、間もなく亡くなってしまったのだ。


 それからは兄と二人でどうにかしてきたが、母の飲酒には二人して困り果てた。


 もういっそ、母を病院にでも預けようと考えていたとき、兄が急に結婚を決めたというのだ。


 兄には長年付き合っていた彼女がいて、その人が妊娠したというのだ。


 おめでたい話に嬉しくなったのも束の間、母のことをどうするのかと尋ねると、兄夫婦が引き取ると言った。


 私に負担を掛けたくないとのことで、義姉さんも了承してくれたらしい。


 大きな式では無かったものの、幸せで楽しい結婚式の後に、母と兄夫婦は実家で同居を始め、私は一人暮らしのめどが立つと同時に家を出た。




 それから数年。


 母からはたまに、義姉さんに関する愚痴の連絡が来る。


 お酒を飲むなと怒られたとか、どこにもお金を置いておかないだとか、当たり前のことを不満だと愚痴り、お酒の話ばかりをする。


 そこに私への心配や、孫の話は一切出てこない。


 それを淋しいと思ったことはあったけれど、今はもうどうでも良かった。


 母にとっての一番はお酒で、私達のことなどどうでも良かったのだという結論が出た今、私は自由を謳歌している。


 仕事が忙しくて大変なことはあるけれど、それ以上に自分のことだけを考えて、自分の人生を生きていける実感が持てる今が楽しいのだ。


 スマホには、母から愚痴の連絡がいくつも入っているけれど、アプリを閉じて玄関に鍵をかける。


 チャリ、という音を聞きながら鞄の紐を肩に掛け、私は「よし!」と気合いを入れて歩き出した。




 さあ、今日も一日頑張ろう!












  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ほんとうに大切なもの 逢雲千生 @houn_itsuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ