真っ暗な平原に、リリーメイは立っていた。空も黒。大地も黒。


 周りを見渡しても、真っ黒。足下は磨いた鏡のように漆黒の空を写す。


 リリーメイは自分が死んだのだと思った。

 前に教会で聞いた死後に行く冥界の階層の一つに、景色が似ていたからだ。


「やあ」


 掛けられた声に身体をこわばらせ、リリーメイは恐る恐る振り返った。


 だが、そこにいたのは微笑みを湛えた優しそうな青年だった。


「あなたは……」

「初めましてだね。僕はエルンスト。一応君の、祖先に当たるのかな」

「ご先祖、さま?」

「僕は君のことを知っている。いつも、僕の剣に祈っているよね。この剣に」


 言ったエルンストの手に、一振りの剣が現われた。


「その剣……お名前……祈り?

 じゃあ、それじゃあ、あなたは‼︎」

「君に頼みがある」

「た、頼み……?」

「君の祈りとも関係があることだ」

「……この平和が、いつまでも続きますように」


 エルンストは頷いた。


「それは僕の祈りでもある。そのために、やらなきゃならないことがあるんだ。君の体を貸して欲しい」

「私の、体を……」

「僕には、たった一つ、叶えたい望みがある。その為に、この剣を君に貸そう」

「私は体を」

「僕は剣を」

「平和な日々のために」

「三百年の宿願のために」


『『混沌の王を、倒すために』』



***


 リリーメイの手の中で、石の剣が砕けた。


 世界は元に戻り、彼女は丘の上でたった今打ち上がったような輝く鋼の剣を握っていた。


 燃え盛る白い炎は、今や彼女全体を包んでいた。彼女自身が、白い炎となって燃えていた。


 リリーメイの体に異変が起きた。

 炎が胸や腕、背中や足に巻きつくと鈴を振るような音がして、透き通る白い鎧に変わった。丘に立つ彼女の影が横に長く広がった。彼女は自分の背中に真っ白な鳥の翼が生じたのを知った。そして、それがただの飾りではないことも。彼女は当たり前のように知っていた。彼女は今、魔王を封印した時の勇者と重なっていた。彼女が、勇者そのものだったのだ。


 リリーメイのいる丘で起きた異常を感じ取ったのか、それとも次はリリーメイの村を標的に定めたのか、燃え盛る街の方から暗黒の羽の人型の「何か」が彼女の方へ向かい群を成して飛んで来ていた。


 ざっと百。


 混沌の王が夢の沼の底の国から召喚した闇の眷属。ナイトゴーントの群である。

 蝙蝠の羽と、痩せこけた亡者の体とを持つ狡猾な魔軍の尖兵は、手に手に槍や剣を持ち、亀裂のような笑みを浮かべながら魔王への通り道を遮るように空を覆った。


 だがリリーメイは不思議と微塵も恐怖を感じなかった。


 羽ばたく二百の蝙蝠の羽の向こうでは、溢れる溶岩を掻き分けるようにして無数の角を持つ巨大な魔物の頭が姿を現し始めていた。


 黒くただれた岩のような肌。怒っているようにも、泣いているようにも見える石像のような顔。火口の淵から迫り上がった二つの眼が、怪しい光を放った。


「……飛べ」


 彼女は短く自分の背の翼に命じた。


 ぱんっ、と何かが弾ける音がした。

 彼女は自分の顔の前に傘のような雲が、すっ飛んで行く足元の空間に輪になった雲が生じるのを見た。


 光の矢と化した彼女は一直線に魔王に向かって飛んだ。百匹のナイトゴーントの群は、瞬きの一瞬すらも彼女を押し留めることは出来なかった。彼女の通り過ぎた空に、百の灰の塊と二百の蝙蝠の羽がばら撒かれた。


 りーんと楽器の弦を弾いたような高音が鳴り響いた。それは彼女の握る剣から鳴っていた。その音は魔王に迫るに連れて高く大きくなった。


 魔王の口が開かれ、かっ、と輝いた。どす黒い、不吉な輝きだった。それはたちまち地獄の火炎の奔流に変わり空を裂く白い光の直線を飲み込んだ。


 しかし、それすらも勇者の化身たるリリーメイの進行を妨げることはできなかった。彼女が眼前に剣をかざすと闇の炎はその切っ先を起点に真っ二つに割れて、彼女を害することは全くできなかった。


 剣は更に音高く鳴り、魔王の表情が曇ったと思うとその唇が不気味な言葉を刻んだ。遠くで打たれた鐘の音のような低い低い発声だった。


 途端にリリーメイと魔王との間に数十の魔法円が現れた。それは魔王が自分を守るべく虚空に生み出した防御の障壁だった。


 しかしリリーメイは、全く速度を落とすことなくその障壁に突っ込んだ。


 がしゃあん、と硝子が割れるような音が僅かな時間差を生じながら数十回重なった。


 勇者と魔王を隔てるものは、もう何もなかった。


 ドーラフェンヘルスの山頂で、膨大な量の眩い光が爆発した。



***


 リリーメイが我に返ると、彼女は一振りの剣を手にして、勇者の丘に立っていた。


 服はいつもの牧童のワンピースに戻っていて、体には傷一つ、髪の毛にも焦げ一つないようだった。


 山の噴火は収まっていたが、火口近くでは溢れた溶岩がまだ赤く明滅しながら燻って煙を上げている。


 全て夢かとも思えたが、彼女の右手の剣の重みが、そうではないことを彼女に知らせていた。


 ありがとう


 どこかからそう聞こえて、彼女は思わず辺りを見回した。

 その瞬間リリーメイの手の中の剣が、それを構成するあらゆる結合を失って、さら、と砂のようになって溢れ落ちた。


 そしてそれは、二度と剣に戻ることはなかった。




*** 了 ***

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勇者の剣 木船田ヒロマル @hiromaru712

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