第25話 最終話

貴時は幼い頃から、父、信介に憎まれていた。


それは、貴時が祖父宗輔に、顔貌も才覚も似ていたからであった。


実際、信介に憎々しげに言われた事もある。


「歳を追う毎に、父上に似て来おって…。腹立たしい。」


信介は剣術の腕も全く無く、学問だけは出来たが、元より浮世離れした平安貴族の様な生活に憧れており、現実世界を生きようとはしない男であった為、幼少の頃から、宗輔に叱責され続け、益々頑なに心を閉ざしていた。


そんな穀潰しの父でも、未だ六つまでは良かった。

実母が生きており、信介から貴時を遠ざけてくれていたからだ。

母は、信介には勿体ない、立派な武家の女であった。

しかし、その母は死んでしまった。


自分のせいでは無い事で信介に憎まれていた貴時は、信介に心無い言葉を投げ付けられる度に、信介秘蔵の茶器や壺を叩き壊した。

折檻されそうになると、逆にやり返し、その度に、宗輔と桐生に褒められ、信介は更に貴時を憎みという悪循環に陥っていた。


母の死の初七日も済まぬ内に、宗輔の許しも得ずに信介が引き入れたお清は、近所の目もあり、後妻に落ち着いたが、これも貴時を悩ませた。


清は、貴時を可愛がった。


それは、少々尋常では無かった。

可愛い、可愛いと、膝に乗せ、正に、舐め回すかの様だった。


いくら六つの貴時でも、少々気味が悪かった。


しかも、幼い内だけなら未だしも、歳を追う毎に、その異様な愛情表現は酷くなって行った。


そうなると、信介が益々貴時を憎む。


必然的に、貴時は、継母も避ける様になって行った。


八つ下の源十郎とは仲が良かったが、実の子の源十郎が変わり者だからと避ける継母も嫌だった。


そんな緊張感のある家庭で、唯一、貴時が心を許せたのは、宗輔と風間家の者達だけであったが、信介の分まで働き過ぎたのか、貴時が15になる三月前に、突然小心脚気で亡くなってしまう。


自動的に家督を継いだ筈の信介は、桐生に叱責されても、のらりくらりと躱し(かわし)、出仕もせず、貴時が元服するなり家督を譲り、貴時に出仕させた。


しかし、貴時は、宗輔を凌ぐ才気と剣の筋で、桐生の見込み通り、立派にお役目を果たす。


又、貴時本人も、このお役目を好んだ。


家に帰るのが少なくなるのも有り難かった。


だが、お役目に就いて間もない頃、家出の原因となった事件が起こる。


お役目から戻った、満月の夜、貴時が自室の布団に入った時だった。


清が足音を忍ばせて入って来た。


一体何の用だか分からず、そのまま様子を見ていると、清は着物を脱ぎ出し、出て行こうとする貴時を引き留め、迫り出した。


「何をお考えか!。汚らわしいにも程がある!。」


その時斬ってしまえば良かったと、いつも思う。


だが、その時の貴時はそれどころでは無かった。

余りの事に気が動転してしまっていた。


祖父から譲り受けた鍔鳴り正宗と脇差を持ち、清を突き飛ばす様にして部屋を駆け出ると、信介の収集部屋に入り、貴時の給金で買った、信介には全く必要も無い孫六兼定を持ち出すなり、寝巻きのまま家を飛び出した。


満月が煌々と照る夜だった。


当ても無く歩いていたが、清は、幼い時から貴時を男として見ていたのだと理解すると、あまりにおぞましく、吐き気を催し、そのまま川で吐いていた。


その背中を摩ってくれる者が居た。


小太郎だった。


小太郎は、憤懣やる方無しという目をしながらも、優しく労る様な声で貴時に言った。


「桐生様のお屋敷に参りましょう。」




そして夜更けにも関わらず、桐生は貴時を優しい微笑みで迎え入れてくれた。


「いつまでも居て構わぬぞ。ここからの方が登城もし易いしの。」


桐生は先回りした小太郎の父、吉太郎に全てを聞いていた。

玄庵はその時、丁度、桐生の屋敷にお役目の報告で来ていたので、一緒に聞いた。


「これ飲んで、今夜は寝ちまいな。」


玄庵は睡眠薬の様な物を処方してくれた様で、貴時が飲んだ途端眠ってしまったのを見届けると、桐生は刀を取って立ち上がってしまう。


玄庵は、腰を抜かしそうになりながら止めた。


「桐生様!?。いくらなんでも、斬り捨てちゃあマズいんじゃございませんか!?。」


「うう~!。では毒を盛るか!。」


「いやいや、それもマズいでしょう!?。貴時が家出した直後に継母が死ぬって、また良からぬ噂が立っちまって、貴時の為に良くないでしょってえ!。」


「う~ん!。」


桐生は刀を持ったまま胡座で座り込み、吉太郎達にも、殺したいのは山々だが、ただでさえ、信介のせいで、伊達家の噂話は尽きないのだからと説得される。


貴時には折角の才覚があるのに、これ以上噂の種を提供しては、お役目にも障りがある。


そういった判断の下、致し方なく、桐生も黙らざるを得なかった。




貴時はそれで満月が嫌いだったのだが、初めて人にその話をした。


その相手は楓だ。


祝言を挙げて、暫くしてから全て話すと、黙って聞いていた楓は、やおら立ち上がるなり、鴨居の薙刀を手に出ようとした。


「ど…どこ行くんだよ。んなもん持って…。物騒な女だな。」


貴時が薙刀を持つ、楓の小さな手を掴んで、驚いた顔のまま聞くと、楓は泣く直前の様に目の縁を赤くして、怒鳴る様に言った。


「なさぬ仲とはいえ、そんな汚らわしい真似をするなんて、許せませんよ!。叩き斬って来るんです!。」


「ええ…?。おめえが叩き斬っちまってどうすんだよ。瓦版のいいネタになるだけだろ。」


「だって!。貴時様に夫婦揃ってそんな仕打ち…!。二つ重ねにして叩き斬って参りますわよ!。」


「薙刀で二つ重ねは、ちょっと難しいんじゃねえかあ?。」


「だったら1人づつ斬り捨てるまで!。離して下さいな!。」


そこへ小太郎が来て、夫婦喧嘩と勘違いして、結局笑い話になってしまったが、貴時はどういう訳かそれで気分が晴れて、楽になった。


満月も大丈夫になったし、酒を飲まなくても眠れる様になった。




「カミさんてえのは、神様だね。」


帰宅した貴時が不意に言った。

楓は、なんの事だか分からず、微笑して小首を傾げ、貴時を澄んだ目で見つめている。


「なんです?。」


「いや。なんでもねえ。」


貴時はゴロリと横になると、庭を見た。


冬の終わりを告げるかの様に、庭の紅梅が咲き始めている。


「梅が咲いたな。」


楓は貴時の傍らに来て、膝枕をさせながら、一緒に庭を見た。


「ここのお庭も見納めですねえ。」


「そうだな。」


仁平に明日には出て行くと話したら、仁平一家だけでなく、使用人達にまで泣かれてしまった。


今夜はお別れの宴会らしい。


空には薄らと満月が出て来ていた。


2人は何も言わず、穏やかな顔で、ただ月を見上げていた。

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雪月花 桐生 初 @uikiryu

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