第24話

貴時は桐生が抱きかかえるようにして、馬に乗せ、玄庵の診療所に連れて行った。


診察の後、玄庵は首を捻りながら頭をかいた。


「なんじゃ!。玄庵!。」


桐生がせっつく。

風間は自分が死にそうな顔になって、貴時の手を握っている。


「お手が冷とうございます!。一体、何がどうなっているのですか、玄庵殿!。」


玄庵は、心配性の2人に向かって、怒鳴りつけるように答えてしまった。


「状態的には、1年前に倒れた時とおんなじだあ!。

体力がえれえ落ちて、血の気が無え!。

極端に疲れ切ってる状態!。

ただ、医者の俺としては、三日三晩、山の中走り続けたんなら分かっけど、今夜だけでこんなに疲れ切っちまってんのが納得行かねえって事!。」


「要するに、心配は無いのか!?。休ませれば良くなると!?。」


桐生がお役目の時の様な迫力で迫ると、玄庵は思わず後ずさり、作業用のテーブルに手を着いて、桐生に向かって頷いた。


「だけど、理由が分かんねえからよう…。」


桐生は心配そうに、風間が握って居ない方の貴時の手を握って、いつもの静かな声で、考えながらという様子で言った。


「あの妖刀を握った吉井の腕、斬り離した後も、暫し動いておった。

凄まじい怨念の様な、妖気であった。

あんなものと、真剣勝負で1人で渡り合っておったのじゃ。

毒気に当てられたやもしれん。」


「んじゃ…。風呂入れて、返り血が乾いちまう前に落として、楓の所に連れて帰ろうぜ。

俺は薬用意しとくからよ。

この間のの10倍の。」


風間は湯船に浸けた、貴時の顔や手足を含めた全身を洗い、桐生は髪を洗ってやっていた。

髪まで血塗れになる為、貴時は曲げは結って居らず、月代もいれず、無造作に一まとめにしているだけだ。

勿論、直ぐに血を洗い流せる様にである。


貴時が少し目を開けた。


「桐生…様…?。申し訳…ございません…。これは…。」


「貴時!。どうじゃ具合は!?。」


「ーこの間のと同じかな…。目の前半分真っ黒…。身体が鉛みてえだ…。」


と言いながら、また眠ってしまった。




越後屋に連れ帰ったものの、残って看病したいと言う桐生を、お役目の後始末があるだろうと、なんとか説き伏せて帰すのは、なかなか骨が折れた。


楓が口移しで薬湯を飲ませ、玄庵が様子を見て、薬の調合をその都度変え、風間が献身的な看病をしている。


この貴時が人の気配でも起きない。


正に、正体不明で眠り続けている。


もうそれだけであり得ない状態なので、一同の不安は募る。


ただ、小心脚気の気は出ていないという。


これだけが救いだ。


祈る様な気持ちで、玄庵はどんどんと強力な薬を調合し、楓はせっせと飲ませ、風間は貴時の布団の量を変え、体温調節をし続けた。


祈りが通じたのか、貴時は丸一日眠り続けた後、突然目覚めた。


「あああ〜。良く寝ちまったぜ…。」


「どうだい…。ちょいと診せてみな…。」


心配したままの玄庵が脈を取って、診察を始めるが、貴時の機嫌はいいし、顔色も見違える様に良くなっている。


「これなら三日三晩走れるぜ。」


貴時は生気漲る声で言った。


それくらい元気だと、冗談で言ったつもりだったのだが、風間が泣きながら叱る。


「そんな無茶はなさらないで下さい!。妖刀と渡り合ったのですぞ!?。」


玄庵は診察を終えて、苦笑しているだけだ。


「ちょいと…。薬の量が多かったかもしれねえな…。

3日は起きねえかもと思ったんだが…。

でもま、急に動かず大人しくしてろ。」




しかし、本人は何も言わず、微動だにしないが、暫く座っているだけで、真っ青になって来るし、立ち上がるとフラつくので、玄庵は7日は大人しく寝ている様にと、口を酸っぱくして言った。


風間と楓の監視も厳しいので、貴時は退屈そうに7日間、ゴロゴロしていなければならない。


その7日が経ち、玄庵が朝の診察で、もう大丈夫だと太鼓判を押した。


心配も掛けたし、世話も掛けてしまったので、桐生に挨拶に行こうと身支度を整えた時だった。


外廊下で貴時を待っていた風間が声を上げると同時に、貴時も人の気配で庭に目をやった。


「父上…。」


「小太郎、若のお加減は如何じゃ。」


風間が答える前に、貴時が出て来て、笑いかけた。


「吉太郎。先般はご苦労だったな。」


風間の父、吉太郎は、本来であれば、貴時の父、信介に付くのだが、お役目を果たさず、性根も腐っている信介を隠す事なく嫌い、貴時のお役目の手伝いをしていた。


つまり、貴時の配下となって、貴時の為に働き、川越屋の手入れの時も、精鋭10人の中に居たのだった。


「とんでもございません。お出掛けでございますか。」


「桐生様の所に顔出そうと思ってただけだ。入りな。」




貴時に促され、座敷に上がった吉太郎は、下座に座し、川越屋関係の話から始めた。


「川越屋が売り捌きし薬は、江戸に出回った物は全て回収。

買った客も捕縛、或いは切腹させましてございます。

長崎商人は捕縛し、薬は概ね回収。

一部、南蛮人に流れてしまい、南蛮人は帰国してしまった後でございまして、それは回収不能でございました。」


「そうか…。」


「ええ…。それともう一つ、ご報告が…。」


と言いながら、吉太郎は言いづらそうだ。


貴時は首を傾げて苦笑し、吉太郎の顔を覗き込む様にして見つめた。


「親父かお袋かい?。」


「はあ…。実は、お亡くなりになりました。」


訃報の筈なのだが、貴時は目を輝かせ、隠す事なく、喜んだ。


「2人共か!?。」


「はい…。」


「誰が叩き斬ってくれた!?。」


確かに、桐生始め、周りの人間の全てが、叩き斬りたい夫婦ではあったが、余りの正直さに、吉太郎にも苦笑が浮かぶ。


「先般の川越屋の手入れで、風間家の者、全て出払っておりました間に、盗賊に押し入られ、信介様が買い集めた大陸の壺を全て持って行かれた上、お二人とも、盗賊にその場で斬り殺されておられました。」


「おお〜、いいね。その盗賊に、褒美取らせてえくれえだな。」


「実に。」


「しかし、あの親父なら然もありなんだが、武家が盗賊に殺られちまうったあ、末代までの恥だぜ…。」


「桐生様もそこをお気にされ、流行り病でご夫婦揃って亡くなったという事にし、葬儀も済ませてございます。」


「有り難えな…。ん…?。」


貴時が、何か思い出した様子で、顔色を変えた。


「源十郎は!?。」


「ご無事でございます。殆ど、奥祐筆のお部屋にお泊りになり、朝から晩まで書き物とお調べ物を…。」


貴時の面持ちが沈痛な物に変わる。


源十郎は、いい奴なのだが、少々変わり者であった。


勉学は殊の外出来が良く、本人も剣術などより好む様で、昔から夢中になると、飯も食わず、風呂にも行かず、雪隠にも行かずという有様で、実母の筈の母も近付かず、吉太郎や小次郎の手を焼かせていた。


「ーあいつ、夢中になると止まらねえからな…。じゃあ、まあ良かった…。」


「はい…。」


「小次郎にも苦労掛けるな…。」


「赤子の世話より辛いと申しておりますが…。」


「だろうな…。」


2人の間に切ない沈黙が流れる。


話題は吉太郎の方から変えた。


「そういう仕儀に相成りましたので、ついては、楓様とご一緒に、お屋敷にお帰り願いたく。」


貴時は、楓に目をやった。


吉太郎達に茶と茶菓子を出した後は、生まれて来る子の、着物を縫っている。


楓は御家紋は嫌いといい、武家も好んでいない。

だからずっと、嫁に来てくれなかった。


伊達家の屋敷に入るというのは、正真正銘、武家の奥方になるという事だ。


いいと言うのだろうか。


ふとそんな不安が過ぎっていた。


「なんです?。」


貴時の視線に気付き、顔を上げて聞いた楓は、クスッと笑った。


「別に貴方がここにお住まいだから、嫁に来た訳じゃありませんよ。どこでも付いて参りますよ。」


「いいのかい。俺はこんなだが、うちは一応、武家だぜ?。」


「構いません。だって、あたしは貴時様の女房ですもの。貴時様が盗賊でも、お武家でも、同じ事ですよ。」


貴時が何者であろうが、関係無い。

惚れているから付いて行く、そういう事らしい。


貴時は照れた様に笑うと、吉太郎に向かって、『分かった。』とだけ言った。




桐生はご機嫌で貴時を迎えた。


「先般は、風呂にまで入れて頂く様なお世話をお掛けし、誠に申し訳ございませんでした。」


平伏する貴時の肩を上機嫌で叩く。


「良い良い!。また元気な顔が見られて、何よりじゃ!。明日より、お役目に戻って、登城致せ?。

おお、案ずるでないぞ。やや子が産まれるまでは、江戸に居れ。

ああ、いやいや、産まれても、江戸でのお役目を主と致そう。うん。」


桐生の上機嫌の理由は、恐らく3つだろう。

1つは、貴時が無事に回復した事。

2つ目は、信介とお清が死んだ事。

3つ目は吉井の片が着き、貴時が正式にお役目に戻って、また一緒に働ける事。


「いや、いいんですよ。いつもの様に、『ちょっと行って来てくれ』って、遠国に行かせて下さって…。」


「何を申すか。其方もそろそろ、ワシの片腕となって、江戸で目を光らせておくのじゃ。」


「まあ、置いときましょうか…。桐生様。」


貴時は、桐生に向かって、再び深く頭を下げた。


「この度、親父共の不始末へのご配慮、誠に有り難うございました。」


桐生は貴時の手を取り、顔を上げさせ、労わるような優しい目で貴時を見つめた。


「些末な事じゃ。今までよく耐えたのう、貴時。」


貴時は困った様に笑った。


「耐えちゃあいませんよ。逃げちまいましたから。」


「それでもじゃ。そこに居るというだけで、気が重かった事であろう。」


貴時は言葉に詰まった。

様々な思いが過り、そしてまた、桐生にそう言われて、漸く、心から安堵出来た。


そして今残ったのは、桐生と風間達と玄庵という、見守ってくれていた人達への感謝の気持ちだけであった。


「本当に…。本当に有り難うございました…。」


「うん…うん…。」


微笑む桐生の鋭い目は涙で潤んでいた。

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