第23話

風間は、桐生の屋敷に向かって、ひた走っていた。


忍の足は確かに早い。


だが、漫画の様に、人間離れしている訳ではない。


跳躍力と、敏捷性、その辺りの鍛え方が違うだけとも言える。


目に見えない速さで走るのでは無く、その跳躍力と、足腰の確かさで、どんな場所でも登り、どんな場所でも走れるから、最短ルートを取れるのだ。


その時も、風間は木々の上を飛び、屋根の上を走り、隣の屋根に飛び移りと、軽業師の様な身のこなしで、ただ只管、急いでいた。


最初は、貴時の言付けに盾付き、他の者に任せようと思った。


だが、確かに、吉井の他の、もう1人は見つかっていない。

その生き残りが、この証拠を狙っている可能性も捨て切れない以上、貴時の配下で群を抜いて一番である風間が届けるしか無い。


貴時は、味方の全てを遠くに下がらせた。


吉井の剣筋は読めない。


妖刀の恐ろしさは、今夜連れて来た精鋭同様の者が全員相討ちした事で分かる。


だからこそ、味方が近くに居たら、吉井の攻撃を受ける可能性がある。


貴時の性格では、そうなったら庇う。

その上、相手は妖刀だ。

庇いに行った貴時は、大怪我するか、下手をすれば死ぬかもしれない。


吉井もそれを狙って、わざと味方を狙う可能性の方が高い。


それだけは、風間は嫌だった。

そんな事になったら、自分が許せない。




1つ年下の貴時が生まれた時から、側で仕えて来た。


2人で悪戯をして叱られる時も、

『俺がやろうって言ってやった。小太郎は仕方なく付き合っただけだ。悪いのは俺だけだ。』

と、風間の分まで庇って譲らず、風間と喧嘩になってしまい、結局許されるという事も何度もあった。


子どもの時から聡明で、天真爛漫で、優しく、心も剣も強かった。


いつだって、風間を忍ではなく、人として見てくれていた。


便利に使うだけでいい立場なのに、仲間として大切にしてくれて来た。


風間は貴時が、主人としてという前に、人として好きだった。


だから、父に言われるまでもなく、命をかけて貴時を守ると、10歳になる頃には、覚悟を決めていた。


ー貴時様…。玄庵殿の特製毒矢を持って、遠方よりお助け致します…。

どうかそれまで…。




桐生は証拠を出すなり、直ぐに行こうとする風間に早口で聞いた。


「馬と其方(そち)と、どちらが速い。」


「飛ばせば馬でしょうか。」


「よし。乗れ。」


風間が着いた時、桐生は既にお役目の時の格好をしていた。


貴時と同じだ。

墨染めの小袖に袴。

袴は裾を細目に拵え、動きやすさを重視した、共布の野袴だ。

裏地が粋では無いだけである。

そして矢張り、貴時同様、刀2本に脇差しを差している。


そう言うなり、風間と共に玄関に走り、用意されていた馬に風間を乗せて、凄まじい早駆けで玄庵の元に走り出した。




貴時は、土蔵の裏からビッコを引きながら出て来た、夕顔の証言通り、妖怪の様に面変わりした吉井と相対していた。


「待っていたぞ!。伊達貴時!。」


そう言って、刀を抜いた吉井は、妖刀に引っ張られる様に、ビッコを引く足を浮かせて、スーッと、歩いているとは思えない足取りで間合いに入って来た。


しかし、貴時が大腿動脈を狙って斬り掛かっても、寸手の所でフワッと逃げ、皮1枚程度しか斬れない。

その上、考えられない動きで後ろに回り、背中を狙って来るので、振り返り様、また脇を狙って斬り付けるのだが、矢張りふわりと逃げるので、皮1枚しか斬れない。


「お前の様な奴が憎いのだ。」


貴時は無表情に固まり、殺気だけで射殺せそうな気迫に満ちた目で吉井を見つめている。


「俺は稚児遊びなんかしやしねえぜ。」


「そうではない!。成人しても、お前の様な美しい男が憎いのだ!。その上、家柄も、頭も、剣術も…。人にすぐに好かれる性質もだ!。」


貴時は目はそのままに、鼻で笑った。


「何を笑うか…!。私がどれ程辛い思いをして来たと思っているのだ!。親にたった1両で売られ、坊主や金持ちのの慰み物にされ、顔が可愛くなくなったからと捨てられて…!。」


「その境遇は酷えと思うが…。」


また斬ったが、矢張り皮1枚だ。


「浪人の両親に拾われ、寺子屋の師匠に拾われ、仕官が叶ったのに、何故そこから真面目に勤めて、真っ当に生きようとしなかった。」


「復讐をせずにおられると思うかあ!。」


「復讐して、あんたに何が残る。

妖刀に乗っ取られて、妖怪になっちまって、それで拾ってくれた吉井の二親に顔向け出来んのか。

貧しい浪人暮らしの中、他人のあんたを育ててくれた人達だろう。」


吉井の両親の話を持ち出すと、吉井は動揺する様だ。

獣の様な声を上げて、刀を振り上げて来るが、矢張り貴時に避けられた上、皮1枚斬られている。


「仲間どうしたんだ。一緒に妖刀携えて川に落ちた奴は。」


「あいつは死んだ。

死んだ途端、妖刀もボロボロに崩れ落ちたので、その場に捨てて来た。」


「あんたの為に一緒に居てくれた奴を捨てて来ただと?。」


「私とお前は違う!。」


「何処に捨てた。妖刀とそいつ。」


「箱根の山の中の何処かだろう!。そんな些末な事は覚えて居らぬわ!。」


吉井の傷は確実に増えてはいるが、勝敗はなかな着かない。


「お前には、私の気持ちは分からん!。」


「分かる訳ねえだろ。妖怪に心乗っ取られて、人じゃなくなっている奴の心なんて。」


そこで貴時はふと気付いた。

確かに分からない。

吉井の考えている事も、思考も、剣筋も。


だったら…。


気配と妖刀の殺気だけで動けばいい。




「貴時様…!。何を!?。」


木の上から、玄庵特製の、毒性も強さも変えた毒矢を構えていた風間は、思わず狙いを定める手を止めてしまった。


「どうした。」


桐生まで木の上に登ってしまい、一緒に様子を見ているのだが、流石にこんな遠くからだと、細かい所は忍の目ー心眼の様な物ーでしか見えない。


「お目を…お閉じになっておられます…!。」


「ーいや、それでいいかもしれぬ。」


「ーは…!?。」


「まあ見ておれ。しかし、お前は手出し無用じゃ。こうなると貴時の動きも読めぬからな。貴時に打ち込んだら、楓に恨まれるどころでは済まぬ。」




「美しい目を閉じたのか。どうしたのだ…。」


フワフワとした足取りで、貴時の回りを吉井が彷徨く(うろつく)。


そして吉井が斬りかかった時だった。

目を閉じた貴時に、妖刀の殺気の動きだけが入って来た。

妖刀はユラユラと狙いを定め、貴時の脇を狙う様に、下段から一気に斬り上げて来る。

その剣筋が、はっきりと、貴時の閉じた目の中に気として浮かび上がって来た。


ー今だ。


貴時は、上段から一気に、妖刀を持つ吉井の腕を斬り落とした。


「うわああああ!。」


吉井が断末魔の様な叫びを上げて、腕を押さえて転がり、それでも、落ちたその腕を、咥えでもしようとしているのか、這いつくばって腕の側に行こうとしている。


しかし、それは桐生に寄って阻止された。 

走って来た桐生は、そのままその腕を踏みつけ、妖刀をへしおり、配下の者達と、大きな金槌を使い、妖刀を粉々に壊し始めた。


取り憑く相手を失った妖刀は、ただの鋼となっていく。


「ああ…あああ…。私の…。」


吉井は腕から大量に血を流しながら最後の足掻きなのか、貴時に噛みつこうとしたが、遂に貴時に首筋を斬られて、倒れた。




雪の中に吉井の血が広がって行く。

それを見ながら、貴時は、この緊張した一年が漸く終わった事を実感していた。


ー終わった…。


貴時は珍しく、刀を支えにしつつ、片膝を着いた。


「貴時様!。お怪我は!?。」


「意外と無えんだが…。」


「はい…。」


「ちょいと疲れたな…。」


そして貴時も倒れて行く。

風間は抱きとめ、ただ、貴時の名を呼んでしまった。

何がなんだか分からず、ただ不安で堪らなかったのだ。

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