第22話

貴時が部屋に戻ると、折角布団でぐるぐる巻きにして温めておいた筈の楓は、布団から出て、貴時の着物の支度をしていた。


「いいよ、1人でやるからあ。」


「大丈夫ですよ。お布団は冷えない様にしてありますから。」


貴時は、楓が出した、新しい着物を抑えた。


「こ…こっちじゃなくて、向こうのにしてくれ…。」


貴時が指差した着物は、袖口が擦り切れ掛けて来ていたので、楓が直そうと、別にしまってる物だ。


「だって、これは…。」


貴時は、この間、下ろしたての着物を駄目にした事を、内心気にしていた。


今までだったら気にしなかったが、ここへ来てからは、仁平が越後屋一番のお針子に作らせ、仕立てて贈ってくれた物や、楓が仕立ててくれた物ばかりだ。


血塗れにして駄目にするのは、2人の心遣いを思うと、出来るだけ避けたい。


「汚れちまうかもしれねえから。夜中だし、そん位のボロは見えやしねえよ。」


楓はなんとなく察していた。


大村屋敷から帰って来る前に、風間が着物を取りに来て、貴時が戻った時には、朝着て行った、仕上がったばかりの着物は、何処にも無かった。


お役目で、貴時が血塗れになって悪党を成敗し続けているというのは、出会った頃から、楓には分かっていた。


綺麗に落としていても、血の臭いがする日もあったし、楓も武家の女だ。

貴時の纏う気と殺気が本物である事は、会った瞬間に感じ取っていた。

半年前の盗賊退治の手際で、それは確証に変わった。


だから、今日も、下ろしたての着物を無くした日と同様、血塗れになるお役目に出るのだろう。


「はい。」


楓は何も聞かず、貴時が言う、少し袖の擦り切れた墨染の着物を着せた。


貴時は出る前に、戸棚からお役目用の鎖帷子で出来た証拠入れを出して、1年振りに背負った。


今回の手入れは、配下の者達と行うから、必要は無いかもしれないが、何が起こるか分からないのが、このお役目だ。


増して、吉井が絡んでいる。


吉井が川越屋に薬の帳面を売ったのは、生活費欲しさもあろうが、薬を流通させる事で、貴時を誘き出すのが狙いだと、貴時は読んでいた。


もしかしたら、いや、恐らくは、今夜、吉井と渡り合う事になるだろう。


貴時は楓を振り返ると、敢えていつもの様に言った。


「ちょいと行って来るぜ。朝には戻る。」


楓もいつもと違う空気を感じながらも、敢えていつもの様に、三つ指着いて見送る。


「お気をつけて、行ってらっしゃいませ。お帰りをお待ちしております。」


貴時はそんな楓の気持ちを分かっているかの様に、ただ笑って出て行った。




風間を含めた手下10人を表から連れて、貴時はいきなり川越屋の木戸を蹴破って入った。


「公儀隠密、桐生吉継様配下、伊達貴時である。

川越屋長兵衛、御禁制の薬を密造し疑い之あり。

寄って、これより屋敷内全てを検める。

抵抗あらば、斬り捨てよとの御命である。

その覚悟を持って、掛かって来い。」


寝ぼけたまま、派手な羽織りを着ながら、真っ青になって、立ちすくんでいる川越屋を、そのまま射抜く様な目で見た貴時は、不意にニヤリと笑った。


「つまり、大人しくしてた方が、身の為だって事だ。」


しかし、川越屋は、笛を吹きながら、こけつまろびつ奥の方へ走り出した。


「この方向は土蔵でございます。」


追う貴時の直ぐ脇で風間が言った。


頷く間もなく、貴時は鍔鳴り正宗を抜いた。

その瞬間、行く手を阻む様に浪人者4人が斬りかかって来たが、いつも通り、叩き斬る様に、一刀で急所を仕留める。


浪人者はウヨウヨと出て来た。

しかも、そこそこの手練ればかりだ。


貴時は、表情も変えずに、いつも通り斬り捨てて行ったが、内心複雑だった。


この時代、浪人は溢れ返る様に居た。


それは、幕府の方針にある。

幕府としては、経費は削減したい。

だから、穀潰しとなる様な、高い石高の大名は、何か有れば、直ぐに取り潰した。


この間の大村家の様に。


仕える家が潰れたら、その家臣達は、突然、職を失う事になる。

運良く、他家に仕え直したり、同心株を買って、同心にでもなれれば未だマシな方だった。

侍に拘らず、町人となって、商売を始めるという手段を取れる気概が有れば良いが、侍に固執する者は、仕官を願いながら、浪人に身をやつすしか手は無い。


剣に自信がある者であれば、尚更だろう。


ここに居る浪人達も、恐らくそうだ。

貴時が調べをして、お取り潰しにした家の元家臣も居るかもしれない。


貴時が身を置いているのは、そういう部署だ。


いくら、藩主や、家臣の一部が悪さをしていても、大多数の職を失う家臣達には、なんの罪も無い事が殆どだ。


それを思うと、切なかった。




連れて入った10人の配下の者達は、貴時程まで行かなくても、かなり近い精鋭だ。


浪人は50人近く出て来たが、全て斬り捨て、金で溢れた土蔵から掘ってある地下には、川越屋の背中が見える距離で入れた。


貴時は刀を脇差しに代え、向かって来る浪人達を斬りながら、突き飛ばす様に川越屋の背中に突進し、肩を掴んで、土の地面に叩き付ける様にして倒した。


地下では、砂糖を焦がした様な甘い匂いが漂い、布で口元を覆った職人の様な白衣姿の男達が5人、腰を抜かして震えていた。


「職人はこれで全員か。」


貴時は、川越屋の喉に血の滴る脇差しを構えて、静かな声で聞いた。


「はっ…はい…!。」


「調剤法は?。外に出してねえのか。」


「もっ…門外不出にしてございます!。」


「本当だろうな。」


聞くまでも無く、恐らく本当だろうとは思う。

川越屋は欲の塊の様な男だ。

儲けの種を外に出す事はしないだろう。

恐らく、この職人達も、ここから出しても居ない筈だ。


「はっ…はい!。」


「長崎商人には売ったのか。」


川越屋は更に震えて、絶句した。


「今ここで死にたくねえなら言え。言うも憚られるが、俺は、人を斬るのは、なんとも思っちゃ居ねえ男だ。」


川越屋は恐怖の余り、泣き出している。


「う…売りましてございます…。申し訳ございません!。取り引きの帳簿は、そこに…!。」


川越屋が指差した場所を、風間が直ぐに確認する。


「ございました。直ぐに調べさせます。」


「おう。」


貴時は、川越屋を氷の様な目で見つめた。


「商売熱心は結構な事だが、越えちゃならねえもんがあんだろ。てめえはその矩を越えた。死ぬまで後悔しとけ。」




川越屋を配下の者に連れて行かせ、証拠の全てを鎖帷子に入れて背負い、帰ろうとした時だった。


貴時は川越屋の土蔵の裏手に、異様な殺気を感じた。

鍔鳴り正宗が騒いでいる。


貴時は鎖帷子を風間に手渡しながら、孫六兼定を抜いた。


「風間、これ持って、桐生様の所へ。他の奴じゃなく、お前が届けろ。」


「しかし、貴時様、この殺気は…!。」


貴時は、殺気だった目で、ただニヤリと笑って見せた。

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