第21話
その後、何日かに渡り、夜更けや夜中に、吉原で薬を飲ませようとした商人や侍が出たと連絡が入る度に、貴時は、玄庵を連れて、吉原に馬で駆け付けた。
「旦那!。ふんじばっておきましたぜ!。」
吉原の屈強な若い衆が、目を輝かせてそう言うのを褒め、飲まずに知らせてくれた女郎に礼を言い、無事を確認すると、玄庵に聞く。
「同じ薬か?。」
「全くおんなじだな。」
それを聞くと、薬を持っていた男を、刀も出していないのに、震え上がる様な不敵な笑みと迫力で脅しまくる。
「こりゃあなあ、御禁制の薬なんだよ…。なんて言われて買ったのか知らねえが、一粒で死んじまうんだぜ。
てめえは人殺しの一歩手前だあ。」
「そ…そんな!川越屋はただ、女子が言うなりになる薬と…!。」
「川越屋から買ったんだな。んで。この薬は川越屋が作ってんのかい。」
「さあ…。そこまでは…。」
「俺が優しく聞いてる内に、正直に話しちまった方がいいぜ?。なんつったって、御禁制の品だからな。
まあ、黙って首洗ってて貰ってもいいんだけどな〜。」
「かっ、川越屋は、『うちの自信作』と言っておりました!。」
「自信作ね…。なる程ねえ…。それは自分の所で作って居なけりゃ、言わねえなあ。」
「は、はい…!。」
「作ってる所は見てねえの?。」
「ーそれは見ておりませぬが…。」
「別のもんは見た。何を見た。」
「女子がその薬を飲んだ状態を…、川越屋の屋敷で見せて貰いました…。」
貴時の顔が無表情に固まり出し、大店のボンボンは、貴時が立ち上がると同時に蹴られ、戸板を突き破り、お歯黒ドブまで転がって行った。
「この色ボケがあ!。薬で女を好きにして、何が面白えってえんだあ!。てめえなんざ、一生出てこられねえ牢に入って、そのまま朽ち果てろお!。連れてけえ!。」
実際、江戸城の地下牢は、そういった、秘密裏に処理しなければならない犯罪者を入れておく場所で、大した食事も与えず、死ぬのを待っている様な牢である。
商人や町人はそこへ。
侍は切腹という体裁を取った処刑となり、石高を持つ殿様クラスであれば、お家断絶という厳しい処分が下されて行った。
ここまで厳しくするのは、川越屋を追い詰める為だ。
闇の商売の噂は、口コミが命である。
薬を買った商人は、誰も知らない牢に連れて行かれ、侍に至っては切腹の上、お家断絶となっては、買う方も命掛けだからだ。
そうなると、なかなか手を出す者はおるまい。
薬は一粒10両もするそうで、川越屋も金持ちの旗本か、商人にしか声を掛けて売っていない。
しかし、販路はこれだけとは思い辛い。
まだ証拠は出ていないが、廻船問屋のルートを生かし、長崎でも売っているのではないか。
つまり、貴時は、長崎商人から、薬そのものや、薬の配合を得たのではなく、川越屋が何らかの形で薬の配合を知り、作らせて、長崎商人と、江戸の金持ちに売っていると読んでいた。
川越屋がどこから薬の配合を入手したのかは、未だ判明していないが。
そして、その日も誘いを断り、帰ろうとする貴時の袖を夕顔が引っ張った。
「今日のお召し物も粋でありんすなあ。」
「おう、夕顔さん、元気かい。」
「へえ。お陰様で…。
伊達様。ちょいと、酒だけでもお付き合いくださいなんし。」
貴時は夕顔の目をじっと見つめて、微笑んだ。
「なんか話でもあんのかい。」
「お役目のお話でないと、いけないのでありんしょうか。」
「或いは困りごとなら聞くぜ?。色恋沙汰は役に立たねえけど。」
「ーいえ…。ただ、伊達様と盃を交わしたかっただけでありんすよ。」
「盃を交わすってえのは、この中だと、情を通じるって事なんだろ?。」
「あい。」
「そりゃいけねえ。夕顔さんの情けは、もっと必要としてる、別の男にやってくれ。」
「つまり…。伊達様は間に合っていらっしゃると…?。」
「そうだなあ…。間に合ってるって言い方も野暮だねえ…。なんて言えばいいのかね…。」
貴時は真剣に答えを考えてくれて居た。
ー女郎のあちきに…。そんな真面目に向き合ってくださるとは…。
「一目惚れして、やっと嫁になってくれたカミさんが居るんだ。身篭ってて、あんまり1人にさせておきたくねえんだよ。」
夕顔は寂しい目をして微笑んだ。
「さいでありんすか…。お幸せなお方でありんすなあ。伊達様にそこまで大事に思われて…。」
「俺の方が大事にされてんじゃねえかな…。だから、ごめんな、夕顔さん。
「承知いたしんした。どうぞ奥方様もお気をつけて。」
「ありがとよ。じゃあな。またなんかあったら呼んでくれ。」
貴時は馬で走り去り、証拠の薬を持った玄庵や、他の配下の者達が、商人を連れて出て来る。
「夕顔、すまねえな。あいつ一本気でよお。」
「ほんに。袖にされたのは初めてでありんすよ。」
玄庵は、寂しげな微笑を浮かべて、そう言った夕顔の顔を見た。
もしかしたら、夕顔は貴時に恋をし、今、バッサリと真っ正直に振られたという事なのかもしれない。
少々かわいそうになった玄庵は、冗談混じりに、駄目元で言ってみた。
「俺はいいぜ!?。妻子いるけどよ!。」
夕顔はにこやかに笑ったが、目が怖い。
丸で、
『あんたじゃない』
と言っているかの様だ。
「九鬼様もどうぞお役目を…。ではあちきはこれで…。」
そのまま踵を返すかと思われた夕顔だったが、ふと何かを思い出した様に止まった。
「ーあれは…。もしや…。」
「なんだい。」
玄庵が声を掛けると、夕顔は切迫した顔で玄庵を見て、いつもの花魁然とした、ゆったりとした口調ではなく、まくしたてた。
「あの薬を作ってるのは、川越屋なのでありんすな!?。」
「そうだな。まだ恐らくだけど。」
「伊達様は、薬の配合を知らせた者を、見つけ出そうとしておいででありんすな!?。」
「おう。そうだよ。」
「ー心当たりがありんす…。」
「何!?。」
深夜に帰って来た貴時は、起きていた楓を叱りつつ、冷えない様に、布団の中で温めてやっていた。
「花魁からお誘いを受けたのでは?。」
腕の中の楓が笑いながら聞いた。
「断ったよ。てえか、おめえはなんで知ってんだ。」
「知ってるんじゃなくて、そうだろうな〜と思っただけです。」
「なんで。」
「あら。ご自分でお分かりならないの?。かなりの男前なんですよ、貴時様は。それにお女郎さんだろうが、誰にでもお優しいし。」
「妬いてんのかい。」
「妬いてませんよ。」
「俺は妬いてたぜ。」
「え?。」
「おめえに見惚れる客の男ども、全員斬りたくなるくれえにはな。」
意外と嫉妬深かった事が、今になって判明し、楓は驚きを隠せない。
「そんなにでした?。全然、お出しにならなかったじゃありませんか。」
「出しちまったら、身も蓋も無えだろ。」
「だから嫁に来いって、仰ってた…?。」
黙ってしまったが、どうもそういう事らしい。
可愛いものを愛でる様な、優しい目をした楓が、愛しそうに貴時の頬に手を当てた時だった。
珍しく、外廊下から風間が声を掛けて来ていた。
これは滅多に無い。
つまり、緊急事態を意味する。
貴時は楓を布団で包みつつ、布団を出て、外廊下に出た。
「どうした。」
「夕顔が、半年程前、川越屋が妙な男から、くたびれた帳面を、多額の金子で買い取っていたのを思い出しましてございます。」
吉原は、秘密の会合場所としても使われる事があった。
女郎の口は固く、また、女郎の言う事は、役人も取り立てなかったせいもある。
夕顔が、馴染みの御家紋の殿様を見送り、ふと通りがかった座敷に、川越屋が男と居た。
普段なら、そのまま素通りするのだが、夕顔は立ち止まる事を余儀なくされる。
その座敷から、怯えた様子の女郎が出て来たからだ。
「どうしたのでありんすか。そんなに慌てて…。」
「夕顔姉さん、怖いんでありんすよ、あのお客…。もういいって言われて、やっと出られたんでありんす…!。」
夕顔は座敷をそっと覗いた。
見ると、その男は、左側の見える範囲全ての肌が紫色に変色し、髪も抜け落ちていた。
左半身その物も、利かない様で、出ている紫色の手は、痙攣している様に、ずっと震えている。
側に居た女郎の話ではビッコの様に、左足を引きずって入って来たそうだ。
そして、右側の髪はあるものの、首筋には大きな刀傷があった。
それに加え、男は刀を傍らに置いていた。
遊郭では、入り口で刀を預ける事になっている。
脅したのか、金を掴ませたのかは分からないが、それだけでもあり得ない。
その上、刀は汚く、ボロボロながらも、触れたくも無い様な、得体の知れない気を放っていた。
男は、水に濡れた後、乾かした様な状態になった、ボロボロの帳面を出した。
「これは、完成した配合書ではないが、薬に詳しい者であれば、役に立とう。」
「貴方様は、これを何処から…。」
「ど田舎の馬鹿家老が作っておった。そいつの脅しのネタに、奥に盗んで来させた物じゃ。」
川越屋は300両出して、その帳面を買い受けた。
「それは吉井か?。」
「はい。私共も話を聞き、そう思いました。
毒矢は吉井の左首筋に三本刺しております。
左側が紫に変色し、利かなくなっているというのも道理。
そして、右側の首筋から袈裟懸けにしております故、刀傷も一致しております。
夕顔に、吉井の手配書を見て貰った所、大分面変わりしている様で、確かとは言えないが、似ていると。」
「吉井だとすると、小林の所から、完成前の配合書を奥方に盗ませたって事か…。奥方は直ぐに自刃したんだよな…。」
「はい。残念ながら、詰問は叶いませぬ。」
「成る程な。全て繋がった訳だ。じゃあ、今夜やる。」
「承知致しました。」
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