第20話
紫頭巾男には、ある程度目星が付いていた。
貴時達、奥祐筆は、ほぼ全部の大名諸侯を把握している。
その中で、大村長正という旗本は、病気療養中。
元服し、家督を継いでも、1度も登城して居らず、病気の為として、妻も娶って居ない。
家督は弟に譲るらしいが、その病気というのが、幼い時に転んで火鉢に顔を突っ込んだ為、顔中に火傷の痕があり、人前で顔を晒せないからだという話だ。
そのせいか、性質も陰湿で残忍になり、近所の犬猫を試し斬りしているなどという良からぬ噂も出て来ていた。
ーなんかやらかしそうだなと思ったら、女郎殺しかもしれねえってか…。
顔に傷持ってたって、立派に生きてる人は大勢居るぜ。
貴時は玄庵と別れた後、竹林に入った。
間も無く、いつもの様に風間が現れる。
「玄庵殿の調べが終わりました。今回の薬は、甲州の物を30倍にした毒性を持つ物だと。」
「矢張りな…。川越屋と長崎商人の方はどうだ。」
「それが手こずっております。
川越屋と取引のある長崎商人は、皆、小林とは無縁の商人ばかり。
しかし、川越屋の羽振りは相当な物らしく、蔵には厳重な警護と、金子が蓄えられている様でございます。」
「つまり、川越屋が儲けてる。
てえ事は薬の出どころは、川越屋なのか、或いは、別の誰かが作ったもんを仲介して、更に儲けていやがんのか…。」
あの薬を調合した医者は、あの一件後、直ぐに見つかり、江戸城の地下牢に入れられた。
しかし、薬を作っている際に、微量ながらも吸い込んでいたのか、一月後に、村娘達と同じ状態で死んでいる。
「医者から流れた線は考え難い…。薬がどっから流れて、誰が強力にして作ったかだな。」
「はい。川越屋の警護は大変厳重で、忍でも掴めませぬが、ただ。」
「うん。」
「地下に何かある様でございます。」
「また地下か。」
「はい。悪い事をするには、御天道様は眩し過ぎるのでございましょう。」
「確かにな。」
貴時は苦笑して頷いた。
「そこで作ってるかもしれねえと…。となると、益々誰があの薬を教えたかだな…。」
「そうですな。」
「じゃあ、俺は桐生様の所行って来るぜ。」
貴時は、桐生の許可を得ると、その足で、大村長正の屋敷へ行った。
「奥祐筆筆頭、桐生吉継様が配下、伊達貴時である。
至急、大村長正殿に検めたき疑、之あり。」
貴時が玄関前でそう言うと、家臣達は騒然となった。
当然、旗本クラスとなれば、登城もしない鈍侍(なまくらさむらい)でも、奥祐筆がどんな部署であるか、知っているからだ。
「殿!。奥祐筆が参りましたぞ!。」
家老が走って告げに来たが、長正は頭巾から覗く濁り切った目をギロリと向け、怠そうに聞いた。
「それがどうした。」
「奥祐筆は上様直轄の、隠密ですぞ!?。場合に寄っては、上様とても歯向かえぬ程の…!。」
「何人で参ったのじゃ。」
「若い男が1人…!。しかし、伊達貴時と申しました…!。」
「1人ならば斬り捨てよ。」
「殿!。伊達貴時ですぞ!?。」
「それがどうしたというのじゃ。」
「若年15にして斎藤道場で免許皆伝を得、直ぐに桐生様一の配下になったという噂でございます!。相当な切れ者かと!。」
「当家には家臣が100もあろう!?。何を怖がる必要がある!?。」
「殿!。」
白髪の目立つ家老は、長正ににじり寄った。
「奥祐筆が来る様な仕儀…!。一体何をなされたのじゃ!。」
「何もしておらん!。良いから、早う追い払え!。それが駄目なら斬り捨てよ!。誰か探しに来たら、来て居らぬと申せば良い!。」
貴時は、座敷に通され、出された茶に手も着けず、庭を見ていた。
ー空虚な庭だね…。主人の心ん中みてえだな…。
待たされた挙句、漸く出て来たのは、家老だった。
だが、家老は貴時を見た瞬間、蛇に睨まれた蛙の様に、竦んだ(すくんだ)。
貴時の全身から発する気迫と、殺気にやられたのだった。
ー矢張り、噂通り只者では無い…。
しかも、この年で、何人斬っておるのだ…。
これは当家の人間、全員が束になって掛かっても、敵わぬのでは無いか…。
既にそう感じながら、上座に座る貴時の下座に座し、平伏して言上した。
「殿は伏せっておいででございます…。お話ならば、当家家老、この氏家が承ります…。」
真冬だというのに、額に汗をかき、そう言って平伏する家老を見た貴時は、大きな溜息を吐いた。
「俺は長正殿と話しがしてえんだよ、氏家さん。」
「お具合が大変お悪く…。」
「お悪くても、吉原へは繰り出すんだろ?。
ここんちの籠で。
ここ来る前に、ここんちの中間(ちゅうげん)に聞いて来たぜ。
確かに一昨日の暮六つに、吉原の大井楼の前まで長正殿を運んで、一刻後(2時間後)に乗せて帰って来たってさ。」
砕けた江戸弁だが、よく通る低い声には、有無を言わせぬ気迫が満ち溢れている。
氏家は震え出してしまった。
「ー我が殿は何を…。」
「大井楼の牡丹さんていうお女郎を殺しちまったんだよ。俺達が目え光らせてる御禁制の薬でな。
良くて切腹。悪けりゃお家断絶だ。」
氏家は、一声も発する事が出来ずに居る。
しかし、貴時は、家老がこの部屋に入って来た時から、刀を抜いた家臣が30人程、殺気を隠さず、取り囲んでいるのを感じ取っていた。
「ーしょうがねえな…。」
貴時とて、人が斬りたいわけではない。
出来れば、穏便に済ませたいし、無用な血は流したくない。
だが、抵抗するとなったら、話は別だ。
「桐生様より、抵抗あらば、長正殿を含め、抵抗する全てを斬り捨てよ。その後、お家断絶とするとの命が降っておる。
その御覚悟がお有りならば、お相手仕る。」
襖の向こうの30人の殺気が増した。
いずれにせよお家断絶ならば、貴時を斬り、闇に葬る可能性に賭けるという事らしい。
貴時は、上座から飛び退くと同時に、孫六兼定を抜いていた。
貴時が飛び退いた場所には、下から刀が突き出ている。
「氏家さん、残念だ。」
そう言った貴時は、襖を蹴破って来た家臣2人の脇と、もう1人の大腿動脈を下段から斬り、倒れて行く家臣を、後ろで刀を構えている家臣に向かって蹴った。
泡を食った家臣達が怯んだ隙に、更に3人。
後ろから来た家臣には瞬時に抜いた脇差を喉に突き刺し、あっという間に、20人斬り捨て、例に寄って血塗れになった。
貴時が下段の構えから入るのは、一つは、屋内だからだ。
背が高い貴時は、長い刀では、鴨居などに刀を取られる可能性がある。
もう一つは、貴時よりも背が低い者が、殆どのこの時代、貴時が上段の構えになった瞬間に、隙が出来てしまうからだ。
そして更にもう一つは、人間は、顔周辺に神経を集中しやすい。
つまり、下に行けば行く程、隙が生まれやすいのだ。
「や…やめい!。その方らの敵うお方では無いわ!。」
氏家が叫ぶ様に言うと、家臣達は半ばホッとした様に刀を納め、へたり込む様に貴時に平伏した。
「伊達様…。大変ご無礼仕りました…。今更とお思いでしょうが、どうぞ、奥へ…。如何様にもなさって下さいませ…。」
案内され、長正の居室へ行くと、長正は床机にもたれ、籠に入った小鳥を火箸で突いて虐めていた。
「弱いもん虐めが大好きな様だな。」
貴時の声で、漸く存在に気付き、振り返る。
これだけの殺気と死臭と血の臭いを漂わせているのに、声を掛けるまで気が付かないとは、最早武士でも何でもないと、貴時は思った。
「な…何故生きておるのじゃ!。氏家!、早うなんとかせぬか!。」
「何人で掛かろうとも、無駄にございます。さすれば、無益な殺生は避けるが賢明かと存じます…。」
「何を言うておるのじゃ!。こんな若造、早う殺せ!。何の為に給金を払うてやってると思っておるのじゃ!。この役立たずめらが!。」
貴時は、血塗れの姿のまま、無表情になったまま、長正の前に立った。
「おい。あんたの為に、家臣が20人も無駄死にしたんだぜ。他に言い様は無えのか。」
「な…何を申すか!。其方が斬り殺したのであろう!?。」
「そうだよ。
だが、侍ってえのは、刀抜いた瞬間、命のやり取りが始まるんだ。
全力で掛かって来た奴には、全力で返す。
それが俺の義だ。」
「何…何を格好付けた事を…!。女郎如きの為に何故ワシが…!。」
「女郎如きじゃねえ…。
女郎だろうが、殿様だろうが、人は人だ!。」
貴時は長正を射抜く様な目で一瞥すると、蹴り転がして、上座に立ち、懐から『上』と書かれた書状を掲げた。
家老、家臣は元より、バカ殿の長正も一斉に平伏する。
「大村長正、御禁制の薬を用い、女郎牡丹を殺害しし罪科、甚だもって遺憾なり。
寄って、右に即日切腹を申し渡す。
又、大村家は断絶。」
貴時は書状を広げ、掲げて見せた。
将軍の名と花押がしっかりと入っている。
実は、これは桐生が書いた物だ。
しかし、インチキでは無い。
こう言った書状の殆どを桐生が書いて、将軍には報告を上げるだけという形に、昔からなっている。
しかし、普通、これで場は収まるのだが、長正はそうは行かなかった。
みっともなくも、嫌だ嫌だと暴れ始めた。
家老も、今までこのバカ殿に仕えて来て、心身共に疲れ果てているのかもしれない。
何も言わず、ただ、無表情に長正を見つめ、家臣達も同様だった。
「あああ…。腹の立つ…!。」
貴時は書状を丁寧に畳んで懐に仕舞うと、長正の襟を掴んで、庭に放り投げ、長正の派手な刀も側に投げて、貴時自身も庭に降り立った。
「切腹が嫌なら、掛かって来な。全力で相手してやるぜ。」
長正は震える手で刀を取り、丸で初めての様な手付きで抜いた。
そして、自棄の様に雄叫びを上げながら、上段で貴時に斬り掛かって行ったが、間合いに入った瞬間、貴時に下段から脇を斬られ、倒れた。
「薬、誰から買った。」
貴時は不機嫌な無表情のまま、刀を振り、袖で血を拭い、鞘に納めながら聞いた。
長正は朦朧とし始めているのか、やけに素直に答える。
「かっ…、川越屋…。」
「まだあんのか。」
長正は、部屋の中を指差し、そのまま絶命した。
貴時が居室に戻ると、家臣の1人が、貴時に向かって文箱を捧げ持っている。
「こちらが、川越屋から求めし、薬にございます…。」
「あんた、大井楼にも付いてった人かい。」
「はい…。殿がこの顔では、女子に好かれぬ、吉原の女郎も相手にしてくれぬと、酔ってクダを巻かれていた所、川越屋に、女子が思い通りになる薬があるので、買わぬかと声を掛けられ、飛びつきました…。
斯様な得体の知れぬ物はお止め下さいと、何度もお止めしたのですが…。」
「顔の問題じゃなくて、心根の問題だろうに…。」
「はい…。私も貴方様を拝見して、そう思いました…。」
「俺?。なんで?。」
「先程のお言葉、胸に染みましてございます。
その御覚悟、そのお心根の美しさ、真っ直ぐさが、お顔にも出て居られるのだと。
生まれつきの美しさが、それで引き立っているのだと。」
貴時は苦笑しながら、その家臣の肩を叩いた。
「んな褒めんなよ。何も出ねえぜ。
でも、ここの人達は、今までよく耐えて、頑張ったね…。
全部の人って訳じゃねえが、いい事ある人も居るよ。
という訳で、追って沙汰致す。」
いきなり、御役人然とした言い方になるので、居並んだ家臣達も、慌てて平伏した。
「んじゃ、ちょいと井戸を拝借…。」
取り敢えず、顔や手足の血だけでも落とさなければ、外を歩いて帰れない。
貴時が、濃紺か墨染の無地しか着ないのには、理由がある。
その理由はただ一つ。
返り血が目立たないからだ。
だから、着物は少々重いが、見える所だけ綺麗にすれば、日も暮れ掛けているし、どうにか誤魔化せる。
ーだけど、これ…仁平さんが作ってくれたばっかなんだよなあ…。
仁平さん、すいません…。
ああ、洗濯…。
楓がやっちまったら、いくらなんでもひっくり返んだろ…。
水に浸けた瞬間血…。
駄目だ。腹の子にも良く無いぜ…。
風間〜、なんとかしてくれ〜。
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