第19話

桐生の屋敷を出た貴時は、その足で玄庵の診療所へ行き、連れ立って吉原の大門を潜った。


思わず、興味深そうに、歩きながら眺めてしまう。


「へえ…。ここが吉原か…。」


貴時は元服したその日から、お役目と剣の稽古に明け暮れ、女性と関わる暇も無く過ごしていた。


この容姿なので、大変モテるのだが、本人は全く興味も持たない状態だったので、桐生と玄庵、そして風間は、流石に心配になっていた。


家出の原因が原因だけに、女嫌いになってしまったのではないかという懸念だった。


吉原にでも連れて行ってみようか、それとも嫁を取らせようかと相談していた矢先、楓に一目惚れした上、その日の内に鈴乃屋に転がり込んでしまった為、結局、吉原に連れて来る必要もなく、現在に至る。


「来た事無えんだもんな、貴時は。」


玄庵が苦笑して言うが、そんな3人の心配も知らない貴時は、涼しい顔で一軒の女郎屋の暖簾を潜った。


「邪魔するぜ。」


「は…!。」


店の主人らしき、禿頭の中年男が、貴時の身なりを見るなり色めき立ったが、隣の玄庵を見て、仰天する余り、言葉を失くしている。


「御公儀の者だ。今朝方亡くなったってえ女郎を見せて貰いてえ。」




主人はおっかなビックリのまま、2人を窓も無い、物置きの様な薄暗い部屋に通した。


亡くなった女郎は、薄汚れた煎餅布団に寝かされ、頭上には申し訳程度に線香が焚いてある。


「ーこんな部屋に寝かしとくのかい…。」


主人を責めたつもりは無かった。


ただ、余りに行く末が哀れに思えて仕方がない。

何らかの事情で、身を売る様になった挙句、殺されてしまうなど、可哀想でならなかったのだ。


ただ悲しそうにポツリと呟いた貴時は、甲州の村娘達同様に、骨と皮だけになり、真っ黒になった肌をした女郎を見た。


「しょうがねえんだよ、貴時。こちらさんも商売だ。辛気くせえ臭いさせたら、客が寄り付かねえ。」


そう言った玄庵は言われずとも、早速検視を始めたので、貴時は主人に話を聞き始めた。


「この牡丹さんがこうなっちまう前、様子がおかしくなかったかい。」


「ーそうでございますな…。少々お待ち下さいませ。分かりそうな女郎を連れて参ります…。」


主人が去ると、貴時は嬉々として死体をひっくり返したりして見ている玄庵に尋ねた。


「同じか。」


「おう。甲州と寸分違わずだな。運良く、薬みてえのが奥歯に残ってた。これ、帰って調べとくぜ。」


「おう。」


主人が別の女郎を連れて来た。


「牡丹を看取った、花魁の夕顔でございます。」


玄庵が珍しく死体から目を離して、顔を上げて夕顔を見た。


「あの夕顔かい!?。呼び出しの!?。」


「左様でございます。」


主人が誇らしげに返事をした。

それはそうだろう。

呼び出しというのは、吉原の最高位の花魁である。

花魁道中をするのも、呼び出し、たった1人に許されており、どんなお大尽でも、嫌だったら袖にする事が出来、イロも持てると、別格の女郎だ。


その女郎を抱えているとなったら、その店はそれだけで格が上がる。


その花魁が、白目を真っ赤にして、泣き腫らした目をして貴時の前に立ったのだから、いくら三度の飯より死体が好きな玄庵でも顔を見てしまう。


だが、貴時は分かっているのかいないのか、いつもの様に普通に接していた。


「ごめんな、辛えとこ。亡くなる前の牡丹さんの事、何でもいい。話してくれねえかい。」


貴時が穏やかな口調でそう言うと、夕顔はいささか驚いた顔で貴時を見上げた。


「牡丹さん…?。お武家様、女郎にサンを付けて下さるんで…?。」


「仏さんには変わらねえ。」


貴時の口調と、いつもの微笑みで、夕顔は直ぐに貴時を信用した様だ。


こういう商売の女、増して、辛酸を舐め、血の滲む様な努力をして、そこまで上り詰めた花魁である。

それだけに、ありとあらゆる男を、腐る程見て来ている。


信用出来るか、そうでないかは、ちょっと話せば分かるのだろう。


「おとついの晩でありんした。暮六つの鐘が鳴ってから来たお客が、訳ありのお武家様でござんして…。」


「訳ありってえのは?。」


「いっつも紫の頭巾で顔を覆っていらっしゃるんでござんすよ。その頭巾は、決してお外しになりやせん。

顔にお傷だか、コブだかお有りだとかで。」


「ふうん…。身なりはいいのかい。」


「あい、旦那の様に、粋じゃあござりんせんが。」


夕顔が貴時の裏地を見て、口元を手で隠し、少し笑った。


今日は絹の濃紺の無地で出来た表地に、裏地は深紅をバックにした阿吽…。


変わらず、粋過ぎる裏地である。


「寧ろ派手な田舎侍の様でありんす。」


「金ピカかい?。」


「左様で。」


「どこの誰だか分かるかい?。」


夕顔は、主人の方に顔を向けた。


「親父様、ご存知で?。」


「う〜ん…。此処では名乗られぬ限り、お聞きしない事になってございますので…。

お付きのお侍様が、『殿』とお呼びになったのを、聞いた事がございます。

お着物の御紋は、頭巾で見えませぬし、他には…。」


「何で来てたか分かるかい?。徒歩(かち)か、籠か馬か。」


「いらっしゃるのは、いつもお籠でございました。」


「籠屋の籠か、自前の籠かは?。」


「漆塗りのご立派な、ご自前のお籠の様でございました。」


となると、相当な石高の旗本辺りになる。

それで顔に傷だかコブだかがあるとなると、かなり絞られては来る。


「夕顔さん、それで?。そいつはどんな男なんだい。」


「それがなんだか不気味なお武家様でありんすよ。だから、皆、敬遠してるのでありんすが…。」


「ん〜、不気味っつーのはなんだい?。頭巾被ってる、その中身がって事かい。」


「いえ…。あちきらは、女郎でありんすから、カタギの女子衆が相手にされない様な方でも、お相手いたしんす。

けんど、そのお方は…。」


「うん。」


「酒を飲みながら、ただあちきらを見ていらっしゃるだけなのでありんすよ。

頭巾から出た血走ったお目で、じーっと…。」


「何もせず?。」


「あい。」


「そりゃ気味悪イな!。」


貴時の天真爛漫な受け答えに、夕顔も思わず笑ってしまっている。


「あい。ですから、皆嫌がるんでありんすが、おとついの晩は、嫌がる牡丹に近付き…、周りの者の話では、その後突然、牡丹がいそいそと、そのお武家様と寝屋に入ったと…。」


「近付いた時、何か口に入れてんのを見なかったかい?。」


「そういう話は聞いておりんせんが…。後程、皆の所へご案内いたしんす。その折にでも、旦那からお聞きに。」


「うん。それで?。」


「へえ。その後、一刻後に、そのお武家様はお帰りになったのでありんすが、牡丹はずっと行灯を見ているのでありんすよ。

全く目を離さず、ただ行灯だけ見ているのでありんす。」


「ー目ん玉に行灯以外、映らねえ?。」


「あい。そのまま眠りもせず、行灯の火が消えると、気が狂った様になりんしてなあ…。

行灯を点けてやると落ち着く有様で…。

夕刻になったら、『あのお侍が見ている』とか、『行灯を見ないと殺される』等と叫び始め、今朝、突然事切れたのでありんす…。」


「牡丹さんの様子がおかしかったのは、一昨日が初めてかい?。」


「あい。」


村娘達と全く同じ状態だが、薬を何回も飲ませた訳でなく、中毒にもなっていないのに、もう死ぬという事は、薬自体の毒性が強まっているとしか思えない。


玄庵と目を合わせた後、貴時は夕顔に案内されて、他の女郎にも話を聞いた。


「あちきは見たでありんすよ!。こんな小さな黒い粒を、牡丹の口に、あの薄気味悪い、頭巾男が入れるのを!。」


玄庵が、牡丹の口の中に残っていたと言って、取り出したのも、黒い薬だった。


矢張り、頭巾男が、牡丹の口の中に、毒性を強めたあの薬を入れて、行灯を見ていれば殺さないという様な暗示を掛け、死に至らしめたのだろう。


貴時は、少し後方に居た夕顔を振り返った。


「ー夕顔さんが、ここだけじゃなく、吉原全部のお女郎衆に、沙汰を下すってえのは出来んのかい?。」


「御沙汰でありんすか!?。それはちょいと…。」


「じゃあ、出来る範囲でいい。

他のお女郎衆も、勿論お前さんも、客が何か飲ませようとしても、絶対飲むな。

牡丹さんは、十中八九、薬を飲まされてこうなっちまった。

俺はその薬の出元を探るが、探ってる間にまた出るかもしれねえし、今ん所、誰が持ってるか分からねえ。

紫頭巾は探し出して成敗しとく。」


「ーへえ…。」


夕顔は腰を落として、貴時に礼をした。


「誰かが変な薬を飲ませようとしたら、いつでもいいから知らせてくれ。

そこの番屋でいい。

みんな気を付けんだぜ?。

じゃ、邪魔したな。」


貴時にすっかり魅了されてしまった女郎達は、黄色い声で見送る。


「旦那、今度は遊びに来ておくんなんし〜。」


玄庵と店を出ると、夕顔が追い掛けて来た。


「旦那、あちきらの様な女郎に…。まことに有難うござりんす…。」


貴時は不思議そうな目をして夕顔を見つめた後、いつもの様に笑った。


「女郎だろうが、殿様だろうが、人には変わりゃしねえだろ。じゃあな。気を付けてくれ。」


背中に向かって、夕顔も同じ様に言った。


「今度は是非、遊びにいらしておくんなんし。」




大門を出た玄庵は、苦笑いしている貴時を、目を血走らせ、興奮した様子で、ガンガンと肘で突いた。


「あの夕顔が相手してくれるってよ。」


「じゃあ、玄庵が行って来い。」


「おま…お前、夕顔っつったら、江戸一番だぜ!?。」


貴時は苦笑のまま呟く様に、ボソっと言った。


「俺の江戸一番は楓だからなあ…。」


それを聞いた玄庵は、思わず笑ってしまった。

確かに、姿形だけでなく、凡ゆる意味でそうだろう。


酒を飲まずとも眠れるようになったのは、楓のお陰だ。


それだけでも、いかに貴時が楓に助けられて、支えられているかが分かる。


「言ってやったのかい。」


「言える訳ねえだろ。」


「言ってやんな。偶には照れずによ。」


しかし、なかなか難しい様である。

楓も居ないのに照れてしまった貴時は、真っ赤な無表情で、玄庵を蹴り飛ばす勢いで言った。


「いいから。さっさと帰って、調べ進めろ。」

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