第18話

風間も無事に戻って来て、季節は冬になった。


その日も貴時は、仁平の会合の護衛の為、宴席に出ている仁平が居る隣の部屋で、1人で酒を飲んで、終わるのを待っていた。


仁平が出席している会合の半分以上は、情報交換だ。

どこそこの藩が潰れそうだから、貸し出している金があるなら、早々に回収した方がいいだとか、そんな話である。


つまり、貴時は全部知っている事なので、それはガセネタだと突っ込みたくなる様な物も多数あったが、そういうのが出ると、仁平がやんわりと、否定したりしていた。


ーつまり、桐生様から情報を得て、その見返りに、奥祐筆の手伝いをしてるってえこったな…。


漸く合点が行った。


藩が潰れたと言えば、甲州谷村藩はお取り潰しとなり、甲州の地は天領となって、幕府から任命された者が統治に当たる事となった。

しかし、武家の間では、一度飛ばされたら、二度と江戸の地は踏めない、『甲府流し』と呼ばれる最悪の土地と認知される様になっていた。


ー桜井さんと柳井さんはどうしてんのかな…。


貴時が一足先に逃した、台所侍2人は、無事に江戸に着いたものの、頼みの平手が暗殺された上、帰った途端に谷村藩はお取り潰しの上、お家断絶。

その混乱の中、行方が分からなくなってしまったらしい。


ーまあ、あの2人は図太そうだからな…。どうにかやってんだろう…。


お蓉の方は、剃髪し出家。

そのまま甲州の人里離れた山の中にある尼寺で、吉井が殺めた者達や、小林一家が殺めた者達の菩提を弔いつつ、静かに暮して居るそうだ。


ー木元はまともに暮してんだろうか…。なんか結局は、また、食い詰め浪人に戻ってる気がすんだよなあ…。


木元が考える、一生遊んで暮らせるという想定額が、貴時の一月分の給金だった事にも驚いたが、200両程度でどれ位の期間暮して行けるのか、金銭感覚が相変わらず皆無な貴時には全く分からない。


200両貰ったら、自分は50両だけ取り、後は全て風間に預けてしまっていた。

風間がその中から実家の家計費、伊達家から貰う風間家の手当て分を差っ引き、後は貴時のお役目の為に使うなり、余ったら、次のお役目にとやり繰りしてくれている。


所帯を持つ前の貴時は、10両程度財布に入れ、残りは全部鈴乃屋の女将に渡してしまっていたという、どんぶり勘定しかしていない。

所帯を持った後は、伊達家の家計費は源十郎が出すので、貴時は支払う必要が無いと風間に言われ、貴時の分は40両増えたが、矢張り、10両程財布に入れて、後の80両は楓に渡してしまっている。


ー帰ったら200両でどの程度暮らせんのか、楓に聞いてみよう…。


今夜も暇に任せてそんな事を考えながら、会合の時間が終わった。




その帰り道、もううんざりする程の回数をこなしている盗人退治を、またやる羽目になっていた。


立て掛けてある材木の隙間に潜んでいた、男3人の気配を察知した貴時は、仁平をそっと下がらせ、2人の腕を捻り上げて骨を折りながら引き摺り出し、逃げようとするもう1人の腰に思い切り蹴りを喰らわせて転ばせた。


腰を蹴られた男からも、グギッという嫌な音がして、動けなくなっている所を見ると、骨を折ってしまったのかもしれない。


貴時は、どんなに寒くても、足袋は履かない。

立ち合いの時に滑るからだ。

だから、裸足に草履の足であって、その草履に鉄が入っている訳では無いのに、これである。

どんな脚力なのだろうと、仁平は毎回思う。


痛い痛いと泣き叫んでいる3人を、懐から出した縄で縛り上げた貴時は、仁平を促し、いつも通りの歩幅とスピードで、3人を引っ張って、そのまま番屋へ放り込んだ。


「旦那!?。またですかい!?。」


顔見知りの岡っ引きが、飲んでいた湯を吹き出しそうになりながら立ち上がった。


「またはこっちの台詞だぜ。それとも迷惑なのかい。」


「いやいや、助かりますって、おい、おめえら。

越後屋さんには、この旦那が付いていらっしゃる、手出ししたら命は無えって、この界隈じゃ有名な話だろうがよ。モグリか、てめえら。」


岡っ引きが3人に言うと、1人が腕を抑えながら、涙目で答えた。


「分かってますよお!。俺たちゃあ、川越屋を狙ってたんだあ!。」


「どっちだって、同じこったあ!。この旦那がここにいらっしゃる限り、悪党は軒並み大怪我して捕まんだよ!。」


貴時は不意に、その涙目の男の前にしゃがんだ。


「川越屋を何故狙う?。」


川越屋は、確かに先程の会合にも居た。

確か、長崎関係の廻船問屋の筈だ。

確たる証拠は無いものの、貴時は、どうもこの川越屋が好きでは無い。

いつも笑みは絶やさないが、常に目は笑っていない。

その目は、冷徹無比であり、越後屋の様な、いい商人の目では無い。

貴時が見ていると、必ず目を逸らすし、貴時を真っ直ぐに見た事は無い。


なんらかの疾しさがあると、貴時は感じていた。


「お上に…言えねえ金子を、たんまり溜め込んでるって噂が…。」


「噂ってえのは、どっから出てる。詳しく言いな。」


「俺たち、闇稼業の間でさあ…。川越屋は、御禁制の品を取り引きしてるから、そこを脅しゃあ、金はいくらでも出すんじゃねえかって…。」


貴時は、情けなさそうに男を見て、溜息を吐いた。


「だから馬鹿だっつーんだよ。お前らみてえなコソ泥が、なんの証拠も無しに脅した所で、川越屋にくっ付いてる用心棒に斬られて、深川に捨てられるだけだぜ。」


言われてみればと、納得してしまえたのか、男達は泣き出してしまった。


「伊達の旦那で良かったあ〜!。」


一部始終を見ていた岡っ引きは、笑いながら貴時に聞いた。


「どうなさいやす、旦那。川越屋、探りますかい?。」


貴時は苦笑しながら、困った様な優しい目で岡っ引きを見る。


「おめえさんの上役は小谷さんだろ?。」


「その小谷の旦那は、伊達の旦那を先生って言ってますぜ。」


「まあ、小谷さんが良いっつったら探ってみな。但し、そっとな。気付かれたら、おめえさんでもヤバそうだぜ。」


「へい。」




「ふ〜む…。川越屋か…。」


偶に顔を見せろと言われたのを、律儀にこなす貴時は、桐生に会いに行ったついでに、昨夜の一件を話した。


桐生は火鉢を突きながら、貴時にも火に当たらせつつ、貴時を見て笑った。


「お主が引っかかっておるのは、長崎か。」


「はい。小林の薬は長崎商人に流れておりました。未だ全て回収出来ておりません。」


「そうだのう。ワシも引っかかっておった所に、先程、吉原から知らせが入った。」


「吉原。」


「左様。吉原の女郎の1人が、甲州の娘達同様の状態で死んだとな。」


「ー客の誰かが、あの薬を盛ったという事でございますか。」


「仔細は分からぬ。ちょっと行って調べて来るか。」


「承知致しました。」


直ぐにでも立ち上がろうとした貴時を押し留め、桐生は手を叩き、大きな風呂敷包みを持って来させた。


「風間から聞いたぞ。楓が身篭ったそうではないか。」


「は…はあ…。」


貴時は真っ赤になって、口籠った。

風間の事だ。

あの時の大騒ぎを、全て報告しているに決まっている。


案の定、桐生は堪え切れず、大声で笑い出した。


「お役目では何事にも動じない其方が、えらい騒ぎ様だったそうではないか。」


「だ…だって、桐生様!。腹ん中で人間が育ってんですよ!?。楓は腰も細いし、身体も小せえのに、十月十日も腹ん中で大きくしなきゃならねえって…!。」


「それが女子の強さなのじゃ。男には到底真似出来ぬ。しかし、だからと言って、一晩中腹をさすってやっても、どうにもならぬぞ…。ふははははは!。」


楓が突然ふらついて倒れたので、玄庵を呼ぶと、身篭っていると言われたが、貴時は件の通り心配で堪らず、楓が止めても、風間に笑われても、一晩中、楓の腹を摩りながら、お腹の子に言い含めていた。


『おめえの母上は、細くて小せえんだからな。せめて産まれて来る時は、スルッと素直に出て来るんだぜ?。母上苦しめんなよ?。いいな?。』


と…。


笑い疲れる程笑った桐生は、涙を拭きながら、風呂敷包みを開いた。


「赤子の布団じゃ。用意してあるから、買うでないぞ?。」


今度は貴時がそれを見て笑い出した。


「桐生様も、相当お気が早くありませんか!。俺の事言えねえよ!。」


途端にバツが悪そうになった桐生は追い立てる様に、顔を背けて、早口で貴時に言った。


「お主とワシは似た者親子という事で良いではないか!。ほれ、早く探って参れ!。」


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