茉莉花の花が咲きますように
川木
茉莉花の花が咲きますように
茉莉(まつり)は自分の名前があまり好きではなかった。嫌いと言うことはないけれど、名前の漢字を説明するのが面倒なのだ。
ジャスミンの和名、茉莉花の茉莉、と言ってピンとこない人に対して、茉はむずかしい。草かんむりに末っ子の末、と言ったところで、ぴんと来ない相手はこの字を見たことがないので、え、そんな字あるの? と聞かれたりする。
そして名字との組み合わせもよくない。哘(さそう)だ。他の読み方がないし、初見で読める人は滅多にいない。
哘茉莉。フルネームで書いて一発で読んでもらえたことはほぼない。
だがもちろん、親はそれなりに心を込めてつけてくれた名前だし、愛着もある。純粋に、悪くはないけど好きでもない、と言うだけだ。
ただそんな名前なので、平凡で誰が見ても読める名前、と言うのに憧れがあった。
いずれ結婚するなら、できるならありふれた名前がいい。もっと言えば山田や田中よりは佐藤が何となく格好良くて、いいな。とぼんやり思っていた。
「初めまして、佐藤花子です」
そんな中、茉莉は理想の名前とついでに外見も理想的な持ち主に出会った。
「あの、ご兄弟とかおられます?」
なので思わず自己紹介後すぐに家族構成を確認してしまった。残念なことに三姉妹の中間子だったが。ちなみに茉莉は兄1人の二人兄弟である。
「ねぇ、花子だったらさぁ、自分の子供にどういう名前つけたいとかある?」
出会ったのは中学一年生の春。そして普通に友達となって一年が過ぎ、二年生になった。
二人は同じ園芸部の部員だ。部室で園芸カタログを見ている花子を横目で頬杖をついて眺めていた茉莉は、何の脈絡もなくそう尋ねた。
花子は顔をあげてぱちくりと瞬きをしながら茉莉を見て首を傾げる。
「え? 子供って、また唐突ね」
「まあそうだけど、花子見てたら思ったんだもん」
「何を?」
「子供の名前、花子もいいなぁって」
今日は二人が水やり当番で、他に予定がなかったのもあり、部室に他の部員はいない。なので先輩方に気兼ねすることなくのびのびと部室を使える。
茉莉は意味もなく隣の席を深く机の下に突っ込み、花子の隣に席替えして、先ほどツッコんだ座面に上履きを脱いで足をのせた。
やりたい放題の茉莉を見ながら眉を寄せていた花子は、隣で一調整して落ち着いた茉莉に迷ったようにしながら返事をする。
「……えぇ、私はちょっとどうかと思うんだけど。子供のころ、トイレに居ろよ、とかってからかわれたことあるし」
「は、何そのクソガキ。ちょっと私が文句言いに行ってやるから名前教えて」
「どうどう。もう忘れたから」
背もたれに頭を預けながら右腕を振り上げた茉莉を片手で制し、花子は軽く流してすっとカタログを茉莉の前に滑らせる。
「次の花さ、ジャスミンとかどう?」
「えー」
「あれ、ジャスミン嫌いなの? 茉莉なのに」
「ジャスミンは嫌いじゃないよ。ただそういう風に関連付けられるのが嫌」
ジャスミンには何の罪もない。小さくて白い花が初々しく可愛らしい。だけどあんまり褒めるとそれはそれで、茉莉だからか、みたいに言われるし、微妙な距離感なのだ。
そう唇を尖らせる茉莉に、花子はくすりと笑う。
「私は好きよ、ジャスミン。小さくて可愛いし。茉莉みたいに」
「む……どーせチビですよ」
可愛い、と花子に言われるのは思わず喜んでしまいそうになるが、しかし小さくて可愛いなんてのは平均身長を超えたことのない身としては死ぬほど聞いてきたしあんまり嬉しくない。
この可愛いに対する複雑な思いは、前にならえで腰を手に当てる悲しみを知らない者にはわからないのだ。
足先を椅子の上で振りながら手を机の上に出してカタログを引き寄せつつ、ふくれっ面で嬉しくありませんアピールをする。
花子はくすっと大人びた笑みを浮かべる。
「褒めてるのに」
「高身長高スタイルの顔面良子ちゃんに言われても嫌味じゃん」
「うーん、私にとっては、茉莉の方が百倍可愛いって言っても、嫌味?」
「……それは嫌味ではないけど、露骨すぎるからダメ」
露骨な持ち上げ。わかりやすいヨイショ。あからさまなおだてあげ。
わかっていても、茉莉にとって外見も名前も理想的なすらっとした美少女に言われると嬉しくなってしまいそうになる。
美少女はずるい。
手元に下したカタログに目をやる。ジャスミンは基本的には苗で売られている。
一口にジャスミン、とよく言われる茉莉花のジャスミンはアラビアジャスミンだが、これは寒さに弱い。今は春なので問題ないが、このあたりの屋外で育てるのには向いていない。
オウバイ・ウィンター ジャスミンが寒さに強い。色は黄色く、咲く時期は2月から4月で約一年近く先だ。一方アラビアンジャスミンは7月から9月で茉莉的にはすごくちょうどいい。
茉莉はこの部活に入るまで、特に花に詳しくなかった。何となく好きではあるけど、小学生時代は走り回る方が好きだったのだ。
私立中学に入り、周りが急に大人びた気がして自分も少しは淑女っぽくなりたいな、と思い入ったのが園芸部だ。
「ね、白と黄色、どっちが好き? 私は白い方が可愛いなって思うのだけど」
「そうだねぇ。黄色自体は好きだけど、白いのは蕾も可愛いもんね」
そんな風に思いつきではいった部活だけど、花子とも友達になれたし、土いじりも好きな部類だったので気に入っている。花に詳しくなったかと言うと不明だけど、こうして花子と二人きりで話す時間は他に変えようのない楽しさだと思う。
白と言えば、茉莉にとっては可憐さの象徴のイメージだ。身に着ける色は黄色や赤、青などのはっきりした色が多い茉莉だからこそ、なんとなく汚れが目立ちやすい白は身に余る様な気がしていた。だからこその憧れがある。
「それに花子には、白が似合うしね」
花子を初めて見た時も思ったのだ。すごく白が似合うな、と。
この学校の制服はセーラー服だ。紺色のネクタイと黒のチェックのスカートが決まってて、めちゃくちゃ可愛い。それが可愛くてこの学校を受験したと言ったら過言だが、決め手の一つにはなったくらいには可愛い。
そんな白のセーラー服が、花子はこの学校一似合う。と茉莉は思っている。
「そう? ありがとう。でも茉莉も、白が似合うと思うけど。と言うか、その制服が似合ってるだけかもだけど」
「え、そう? 私は花子がこの学校で一番似合ってると思うけど」
「学校でって。それこそ露骨すぎない? 悪い気はしないけれど」
茉莉としては花子が美少女なのはすでに周知の事実なのだけど、花子にそこまでの自覚はないのか軽くを肩をすくめて流された。
普通に言っただけで、そこまで押し付ける気はないけれど、そこまで本気にされないのもどうなのか、と茉莉は片眉をあげてみせた。
「……」
それを見た花子はくすっと笑ってウインクした。やっぱりこれは完全に美少女の自覚があるに違いない。
そうでなければ普通の女子中学生がこんな自然にウインクをするだろうか。
「花子さぁ」
「なに?」
足をおろして上履きを踏みつけながら引き寄せて座りなおし、机に腕をついて花子に上半身を寄せる。花子は楽しそうに肩をぶつけてきた。
ちょっと威嚇のつもりがめちゃくちゃ近距離でメンチ切ってるみたいになってしまったが、引けないのでそのままノリで恫喝のテンションで伝えてみる。
「自分が美少女なの自覚してるのはいいよ。でもだったら、美少女ぶりを謙遜するの良くないと思う。むしろ自分可愛いでしょアピールしてよ」
「……それ、そんなに怖い顔して言うこと?」
「怖い顔と思ってるのに、よく笑顔で顔寄せたね」
「まあ茉莉だし、怖い顔も可愛いから、つい」
「ついって。まあいいけど」
腕をつくのをやめて、そのまま花子にもたれかかる。花子はなで肩の茉莉と違って肩幅もしっかりしているので、もたれていて安心感が違う。
「もう、なに?」
「いいじゃん。あ、そうだ。ついでに膝枕してよ」
「えぇ……いいけど、何のついで? 急に甘えん坊ね」
「なんか疲れたから。今日体育あったし」
いったん体を離して椅子の位置を調整し、本格的にゆっくりするつもりで茉莉は体勢を整えて膝枕に挑んだ。
「うーん。8点かな」
「急な採点。どこが駄目なのよ?」
「説明はできないけどお母さんとなんか違う」
「お母さんと比べられても。と言うかなに、お母さんに普段から膝枕してもらってるの?」
膝から見上げると困惑したような顔の花子が、どこかぎこちない動きで額や髪を撫でてきた。慣れの問題もありそうだ。
「そうだよ? 耳かきとかもだし、たまに疲れたらしてもらうでしょ?」
「……いや、うーん。別にいいけど、意外にマザコンだったのね」
「えー? 普通でしょ?」
「耳かき自分でしないの?」
「なんか怖いじゃん」
「お子様ねぇ」
「子供じゃないし。お母さんが私のこと大好きだから、可愛がらせてあげてるだけだもん」
「すごい理屈」
呆れたような顔をされたが、茉莉としては大まじめだったので不満げに口を尖らせた。
茉莉にとっては溺愛レベルに可愛がってくる両親に合わせて甘えてあげることが親孝行なのだ。実際親も幸せそうなのでWIN‐WINである。
「と言うか、さっきの質問答えてもらってないよね。子供の名前」
「え? うーん、考えたこともないわ。でも、そうね。あえて言うなら、私自分の名前好きじゃないから、もうちょっと今風と言うか、可愛いのがいいかな」
「え、なんで好きじゃないの? 私真面目に花子の名前めちゃくちゃ好きだけど。名字も好きだし」
「え、凄い意外と言うか。ありふれすぎでしょう? 佐藤もよくあるし、花子にいたってはもう、例文じゃない。他の名前がよかったし、むしろ茉莉の名前の方が私は好き。名字も格好いいし」
きょとんとしながら言われた言葉に、茉莉は衝撃を受けた。珍しさは自覚していたが、格好良くて好きなんて考え方があるとは思ったこともなかった。
茉莉と真逆の名前だと、名前に関する感性も逆になるのだと、茉莉は初めて知った。人がたくさんいるほど考え方それぞれ違うのだと言うことを、理屈以上に実感して、はえーと馬鹿みたいに口を開けて花子を見上げていた。
そんな阿呆面の茉莉に、花子はくすっと笑ってそっと顎に手を添えて口を閉じてくれた。
それを誤魔化すように茉莉は、花子の手がどけられた後の自分の顎を撫でて視線をそらしながら口を開いた。
「さそう、って格好いいかなぁ? 読みにくいし」
「確かに読めなかったけど」
「でしょ? よく言われる。いいじゃん。佐藤花子は絶対読み間違えたり聞き返されないし、漢字の説明も簡単でしょ。茉莉は言いにしても、私将来は佐藤さんになりたいもん」
「え、じゃあ……ごめん、なんでもない」
「え、なに? 気になる言い方しないでよ」
「いや、とっさに言いかけたけど、よく考えたら微妙かもって思って」
「えー、気になるから言ってよ」
どうでもいいことなのだろうが、隠されると妙に気になる。言って言って、と手をとって揺らすと花子はしょうがないな、とでも言いたげに苦笑した。
「ん。と、私の養子になったら佐藤さんになれる、みたいなことだけど、よく考えたら面白くないかなー、って」
「あー、なるほど。多少いい考えではあるけど、でもそうだね。将来的に名前が変わるならってことであって、それは私がずっと家族になりたいって人と一緒にいるために名字が変わるならってことで、名字のために変えるのは違うかな」
変わるなら、と言う話で合って、積極的に何が何でも変えたいわけではない。家族のことも好きだし、名前だって嫌いと言うほどの拒否反応はないのだから。
茉莉の反応に、花子もだよね、とやや弱く頷く。
「なんか滑った感じになっちゃった。恥ずかし」
「それはそれとして、じゃあさ、他の名前がよかったって言ってたけど、どんな名前がよかった?」
「え、うーん。……でも、うん。今は花子って名前も気に入ってるから、これでいいかな」
「そうなんだ」
さっき言ったのが嘘と言うことはないだろうけど、やっぱり茉莉と同じで、具体的に絶対変えたいと言うことではなかったのだろう。
茉莉は花子の名前が好きなので、本人も気に入っているならよかった、とこっそり胸をなでおろす。
そんな茉莉に、花子はにっこりと優しくあたたかな笑顔を向けた。
「うん。だってさ、茉莉と続けたら茉莉花で、本当にジャスミンになるのって、なんか、よくない?」
「……うん、私もそれ思ってた。えへへ。私たち揃ったらマジいい感じだよね」
それは、茉莉もずっと思っていた。花子の名前がシンプルに好きで、仲良くなってからは茉莉と組み合わせもいいし、かなりいいコンビっぽいと思ってはいたのだ。
だけどそれを言って、花ならなんでもいいじゃん、みたいに思われても嫌だし、茉莉がメインっぽいので口に出しては来なかった。だけど花子もそう思ってくれていたとなると話は別だ。とても嬉しい。
にこにこと笑顔がとまらなくなった単純な茉莉に、花子は微笑んだまま机の上に置かれたままのカタログを閉じた。
「ね。ふふ。よかった同意してもらえて。じゃあ、次提案するのはジャスミンで決まりでいい?」
「いいと思いまーす」
結論も出たところで、茉莉はよっと足をあげて反動をつけて起き上がった。
「じゃ、今日の部活終わろっか。帰りどっかよってこーよ」
「そうね。どこに行く?」
「んっふっふ、決めてないけどー、どこでもいいじゃん。私たち二人いたら最強だしね!」
急に調子に乗ったことを言い始める茉莉に、花子は笑って立ち上がった。
「そうね!」
「! よっし。じゃあ行こう!」
そしていつになくテンションの高い同意に、茉莉もますますテンションが上がって、鞄を持って意味もなく花子の手を取って走り出した。
茉莉の謎のテンションそのまま家についても続くが、体力は靴箱までしか持たなかった。
○
佐藤花子は自分の名前が好きではなかった。今時こんな名前の子がいるだろうか。祖母の世代ですらもう少しハイカラな感じだろう。
それこそこんなのは戦前の名前だ。しかも花。亡くなった曾祖母の名前からにしたって、せめて華にならなかったのか。
とついつい会ったこともない曾祖母を恨めしく思ってしまうのはやめられなかった。
あの日、茉莉に出会うまでは。
花子の名前を聞いて、面白がるでもなく、無関心でもなく、興味津々に目をキラキラさせた茉莉を見ると自分の名前が特別になった素敵な気持ちになれた。
「花子」
とフルで呼ばれるのが嫌いで、小学生時代は花と呼ばれていたのに、茉莉にはそう言えなかったし、茉莉に呼ばれるのは全く嫌ではなかった。
茉莉は小さい。二年生になっても、小学生と言って全く違和感のない小柄さのままだ。
ジャスミンの花のように、小さくて華奢ではかないほどの可憐な見た目。その癖中身は気まぐれで活動的で、元気さの塊のようだ。
女の子らしさと無縁で無邪気で、付き合いやすくて話していて楽しい、大事な友達。それが偽らざる花子の茉莉への思いだった。
二年生になってしばらく、まだまだ春の陽気のある日、唐突に茉莉が言った。
「ねぇ、花子だったらさぁ、自分の子供にどういう名前つけたいとかある?」
いつも会話に脈絡なんかない茉莉だが、いつにもまして、だ。子供の名前って。恋バナもほぼしたことがないのに、いきなり将来の話のさらに先、結婚後の話って。
話のテンションについていけずさすがに呆れる花子のことは気にかけず、茉莉は平然と続ける。
「子供の名前、花子もいいなぁって」
それを聞いて、花子は声に出せないほど、ショックを受けていた。思いっきり顔をしかめそうになるのを、眉をよせて耐える。
子供の名前に、花子と同じ名前をつける。それはつまり、将来子供を産むころには花子と交友が亡くなっていると思っていると言うことではないか?
だって、もしその頃も仲が良ければ、そんな紛らわしいことは絶対にできないではないか。
そこまで茉莉は考えていないだろう。何げなく言っているだけだと自分に言い聞かせる。だけど無意識だからこそ、そう思っているのではないか。
無意識に、この関係がずっと続くものではなく、今の学生時代だけの関係だと思っているのではないか。
そう感じられてしまって、花子は胸が締め付けれらるようだった。
茉莉は花子のことを、他に代えがたい、大事で特別な友達だと、親友だとすら思っていたのに。
なんだか泣きたくなってしまった。だけどここで泣き出したら、茉莉はきっとわけがわからないだろう。きっと花子が考えすぎなのだ。だからこらえて、とりあえず花子はやめた方がいいと答える。
花子なんて、よっぽどの理由がないと、いやあっても、子供に恨まれる名前だ。何と言っても、トイレの花子さんと言うネームバリューが強すぎる。
この怪談はあと数十年くらいでなくなるものではないだろう。だったら絶対に花子と同じように、トイレに絡んだからかいを受けるに違いない。
「……えぇ、私はちょっとどうかと思うんだけど。子供のころ、トイレに居ろよ、とかってからかわれたことあるし」
「は、何そのクソガキ。ちょっと私が文句言いに行ってやるから名前教えて」
肩眉をあげて、見るからに怒ってます顔で言われた。その善意の言葉の強さに、苦笑しながら少しだけほっとする。
少なくとも今は、茉莉も花子を大事な友達だと思ってくれているのは間違いない。
とにかく気持ちを切り替えるためにも、一度話題を変えようと、カタログを隣に来た茉莉の前にやる。
今は次に植える花を選んでいるところだ。自由にできる場所の制限があるので、どうしても無制限にとは言えない。一輪ずつ植えても意味はないし、見栄えやバランスの問題もある。だからまず一人が提案できるのは一種類で、最終的に各学年一種類ずつOKになる。
園芸部はそんな大人気部ではなくて、全15人だ。二年生は他に二人なのだけど、あまり熱心に活動していないのが一人と、一人は完全に籍だけなので、茉莉と花子が決めれば実質決まったようなものなのだ。
「次の花さ、ジャスミンとかどう?」
何気なさを装って提案しているけれど、本当はもっと前から植えて見たかった。
ジャスミンはよく見かけるし、珍しいものではない。普通に育てられる。だけどせっかく園芸部で育てるからか、今までのところ誰もジャスミンを植えていない。
ジャスミンは、茉莉の花だ。白くて小さい、可愛い花。だけど茉莉、だけでは花にならない。茉莉の最後に花をつけて初めて、茉莉花、ジャスミンになる。
当たり前のことが、どうしてか、茉莉と花子のことのように思えて、花子は前からジャスミンを植えたかった。二人で植えることが、特別な友情の証のように思えて。
「えー」
なのに普通にすげない反応を返された。ちょっぴり心折れそうになりながら問いかけると、ジャスミンは嫌いではないけど、名前と合わせてからかわれるのが嫌だったらしい。
「私は好きよ、ジャスミン。小さくて可愛いし。茉莉みたいに」
「む……どーせチビですよ」
ほっとしながらジャスミンの良さを売り込むと、茉莉は口元をにやえさせてから、わざとらしくむすっとしてみせた。
茉莉はいつもこうだ。可愛いとか容姿を褒められるといつも素直に受け取らず、ひねくれてしまう。でもその前に一瞬喜んでいるのは見え見えの表情で、照れ隠しなのがまるわかりで、とても可愛らしいと花子は思うのだ。
「褒めてるのに」
「高身長高スタイルの顔面良子ちゃんに言われても嫌味じゃん」
「うーん、私にとっては、茉莉の方が百倍可愛いって言っても、嫌味?」
茉莉は花子をそんな風に、まるで美人のように言ってくれる。だけど花子はそうは思わない。平均より背が高くていつもクラスで一番後ろなのも、がっしり肩幅があるのも、女の子らしさとは真逆だ。
花子は茉莉みたいに、可愛いの権化みたいな、女の子女の子した見た目に憧れる。最初に彼女と出会った時も、なんて理想的な美少女なのかと思ったものだ。
「……それは嫌味ではないけど、露骨すぎるからダメ」
茉莉はそう言って、口元をもにゅもにゅさせながらカタログを手元に引き寄せた。
そんなところも可愛い、と思うけれど、それを言うと多分嫌がらせになってしまうだろうからここで引くことにして、カタログを一緒に覗き込むように体をよせる。
「ね、白と黄色、どっちが好き? 私は白い方が可愛いなって思うのだけど」
「そうだねぇ。黄色自体は好きだけど、白いのは蕾も可愛いもんね。それに花子には、白が似合うしね」
「!」
言われた瞬間驚きでちらりと視線だけで茉莉の表情を窺ったが、本人は何げない一言のつもりだったのかいつも通りだ。
だけど白が似合うだなんて。白と言えば、清純で無垢な女の子と言うイメージだ。
茉莉は大和撫子、なんて大人しさとは程遠いけれど、幼い頃のまっすぐな心根のままだ。大胆なのに無垢で穢れのないその性格も合わさって、見た目だけじゃなくて、それ以上に白が似合う。
例えばこの白イメージのこの学校の制服も、きっと過去未来全員合わせたって茉莉に叶わないくらい似合っているのに。
「そう? ありがとう。でも茉莉も、白が似合うと思うけど。と言うか、その制服が似合ってるだけかもだけど」
めちゃくちゃ似合う、と言ったところでまた露骨なと言い出すに決まっているので、そう濁しつつ本心を伝えた。
「え、そう? 私は花子がこの学校で一番似合ってると思うけど」
きょとんとして顔をあげて正面から言われた言葉に、心臓がうるさくなった。
花子が一番似合っているなんて、他の誰かに言われたってそう簡単に信じられない話だ。だってこの制服は可愛くて、誰にでも似合う様にされているとは言っても、やっぱりその中で微妙な方だと思っていたから。
だけど他でもなく、花子にとって一番似合う茉莉が、いつも裏表なんて考えたことなさそうな素直な茉莉が、いっそ不思議そうな顔で言ったのだ。
どうしてそれを疑えようか。だけどその分、ストレートに届く茉莉の言葉は、まるで矢のように花子の胸に突き刺さった。
どくどくと馬鹿みたいに動く心臓の音を聞かれないよう、花子から目をそらす。
おかしなことを言われたわけではないのに。制服が似合うと言われただけなのに。
とても恥ずかしくて、でも嬉しくて、感情が爆発してしまいそうで、奇妙に緊張までしてしまう。
自分がどうかしてしまったようだ。だけどそれを知られるのも恥ずかしくて、花子はできるだけ平坦ないつもの声音で応える。
「学校でって。それこそ露骨すぎない? 悪い気はしないけれど」
大げさに肩をすくめて、さり気なく深く呼吸して気持ちを落ち着ける。
大丈夫。感情を抑制するのは幼い頃からなれている。コンクールなど、逃げ出したいほどの感情を抑えて笑顔になるのは当たり前のことだ。特別なことではない。
だけどそうして殊更平静を装って流すと、茉莉は自分の言葉をスルーされたと思ったようで、不愉快そうにわかりやすく眉をあげた。
「……」
それを見た花子は少しだけ気持ちが落ち着き、微笑む余裕が出てきた。だけど言葉にしてしまうことができなくて、そっとウインクで気持ちを誤魔化した。
不機嫌な茉莉にかける言葉はなくて、だけど嫌な気持ちだったわけではないと伝える精一杯の動きだ。
だけどその気持ちは茉莉に伝わらなかったようで、茉莉は席に着きなおして、机に肘をついてぐいっと花子に顔をよせてきた。
「花子さぁ」
まるでチンピラが眼を付けるような動きと表情。だけど茉莉がやっても、小さな子が悪ぶってるようにしか見えなくて可愛い。むしろよく見たくて顔を寄せてしまう。
そしてその怖い顔のまま、カツアゲでもするような口調で、可愛いの自覚しているんだから可愛いアピールしろ、などと意味不明なことを言われた。
反応に困りすぎる。全然自覚はしていないし、まして理想的な可愛さの茉莉に対して可愛いアピールなんて、さすがにそんな発想すらなかった。
受け流すと、そこまで本気でもなかったのか、茉莉は眼付けをやめてまた脱力したように花子にもたれかかってきた。
その衝撃でもわかる華奢さ。びくともしない自分に嫌になりそうだ。と自己嫌悪していると、さらに気まぐれな茉莉が膝枕をせがんできた。
普段からスキンシップの多い茉莉だけど、膝枕となるとしたことはなかった。
自分の膝の上に頭をのせた茉莉は、まるで気まぐれな猫の様で、とても可愛らしい。頭を撫でまわしたくなってしまう。
人に膝枕をするのは初めてだけど、茉莉でも意外と頭はずっしり感じた。だけどその存在感も熱も嫌なものではなくて、むしろ安心してしまいそうになる。百点。
「うーん。8点かな」
と思っていたら駄目だしされた。10点満点か確認するのが怖いのでそこはスルーして問いただすと、お母さんと違うと指摘された。それは絶対に直せないのでは?
恐る恐る頭や髪に触れてみる。今までにも自分から触れたことはなかったので緊張したが、茉莉は当然の様に受けいれて目を細める。
しかし話を聞いていると、この人懐っこいスキンシップは両親に相当甘やかされているからのようだ。可愛いのでいいのだけど、中学生にもなって母親に耳かきをしてもらっているのはさすがにどうだろうか。
「子供じゃないし。お母さんが私のこと大好きだから、可愛がらせてあげてるだけだもん」
「すごい理屈」
さすがに少し呆れてしまう。そりゃあ、花子だって茉莉が言うなら膝枕だってするし、耳かきもしてしまうだろうけど、普通言われたってそろそろ断る年齢ではないだろうか。まして茉莉の場合自分からお願いしてそうな雰囲気だし。
「と言うか、さっきの質問答えてもらってないよね。子供の名前」
茉莉もさすがに分が悪いと思ったのか、唇を尖らせながらも話題を変えてきた。
と言うか戻してきた。子供の名前、なんて遠い話過ぎて考えたこともない。
だから今初めて考えてみるのだけど、どう考えても花子のような名前ではなくて、もう少し個性のある名前がいい。
「私自分の名前好きじゃないから、もうちょっと今風と言うか、可愛いのがいいかな」
「え、なんで好きじゃないの? 私真面目に花子の名前めちゃくちゃ好きだけど。名字も好きだし」
「え」
初対面から花子の名前に対して好意的だし、さっきのセリフもあるので、花子と言う名前が何故か好きなのはわかっていた。だけど名字も? 花子は確かに一周回って珍しい名前だけど、ありふれたこの名字すら、好き?
ちょっとどういう感性で言っているのかわからない。佐藤や山田と言うありふれた名前に、好きとか嫌いとか言う概念はないのでは?
「むしろ茉莉の名前の方が私は好き。名字も格好いいし」
だからこそ、名字すら格好良くて惹かれる茉莉にそう言われるのは意外すぎて、普通に不思議だ。それとも珍しい名前だからこそ、普通がいいと思うのだろうか。
首をかしげながら言うと、茉莉は何故か感心したように、はーと大きく口を開けて花子を見返した。
その表情が可愛いおかしくて、笑いながらそっと口を閉じさせた。
口を閉じさせられた茉莉は恥ずかしくなったのか、自分の顎を撫でて目をそらした。
「さそう、って格好いいかなぁ? 読みにくいし」
「確かに読めなかったけど」
「でしょ? よく言われる。いいじゃん。佐藤花子は絶対読み間違えたり聞き返されないし、漢字の説明も簡単でしょ。茉莉は言いにしても、私将来は佐藤さんになりたいもん」
「え、じゃあ」
じゃあ私と結婚して佐藤さんになればいいじゃない。と普通に言いかけた。
何を言おうとしているのか。完全にプロポーズではないか。だいたい女同士で結婚なんてできない。そんなのは当たり前なのに。結婚して家族になれば、ずっと一緒にいられる。と反射的に思ってしまった。
「……ごめん、なんでもない」
「え、なに? 気になる言い方しないでよ」
「いや、とっさに言いかけたけど、よく考えたら微妙かもって思って」
「えー、気になるから言ってよ」
そのまま言ったところで、本気に取られるわけがない。そう思っていても、口から出すことはできない。それは心の中では、半ば本気だからではないだろうか。
そう自覚しながら、花子はそっと苦笑いを浮かべる。本心なんて悟られないように。思いついたけど滑っちゃうな、みたいな顔を。
「ん。と、私の養子になったら佐藤さんになれる、みたいなことだけど、よく考えたら面白くないかなー、って」
「あー、なるほど。多少いい考えではあるけど、でもそうだね。将来的に名前が変わるならってことであって、それは私がずっと家族になりたいって人と一緒にいるために名字が変わるならってことで、名字のために変えるのは違うかな」
茉莉の言葉に、花子は胸が痛むのを感じた。
いつか、茉莉は家族になりたい人と同じ苗字になるのだ。格好いい名前を捨てて、花子の知らないところで、平凡な名字になるのだ。
当たり前の話だ。花子だっていつか、この平凡な名字から変わっていくのだろう。わかっているのに、どうしてこんなに嫌な気持ちになってしまうのか。
「だよね。なんか滑った感じになっちゃった。恥ずかし」
それでも、いつか茉莉の名字が変わるとしても、その時、花子は離れたくないと思った。それだけははっきりしている。茉莉が何気なく言ったみたいに、花子の名前何て使わせたくない。どんな名字になるのか知って、知るだけじゃなくて、その名字でふざけて呼んだり、子供の名前だって一緒に考えるくらい、ずっと傍に居たい。
それは、けして無理難題ではないはずだ。だって少なくとも高等部までは一緒にいるのだし、まだ別れるまで猶予はたくさんあるのだから。
それまで茉莉にも、花子が思うくらいに、茉莉とずっと仲良くしたいくらいに思ってもらえるようにすればいいのだ。
「それはそれとして、じゃあさ、他の名前がよかったって言ってたけど、どんな名前がよかった?」
「え、うーん」
そう考えを前向きにしていると、また茉莉が話題を変えた。今度は自分の名前について。
花子は自分の名前が嫌いで、違う名前がよかったと親とケンカしたこともあるくらいだ。だけど、今は昔ほど、嫌いではない。
だって、茉莉が楽しそうに、嬉しそうに名前を呼んでくれるから。それに
「でも、うん。今は花子って名前も気に入ってるから、これでいいかな」
「そうなんだ」
「うん。だってさ、茉莉と続けたら茉莉花で、本当にジャスミンになるのって、なんか、よくない?」
それに、花子が勝手に思っているだけだとしても、茉莉と組み合わせて茉莉花になると言うのは、運命的で、絆のようだと思っているから。だから、もう変えたいなんて思わない。
そしてこれからは、茉莉にもそう思ってほしい。
そう勇気を出して伝えた言葉に、茉莉は一瞬きょとんとしてから、にっこりと微笑んでくれた。
「……うん、私もそれ思ってた。えへへ。私たち揃ったらマジいい感じだよね」
ドキッ、と心臓がまた、高鳴った。
独りよがりではなかった。少なくとも、名前については、茉莉もまた二人の名前を特別に感じてくれていたのだ。嬉しくて、にやけてしまうのをとめられそうにない。
「ね。ふふ。よかった同意してもらえて。じゃあ、次提案するのはジャスミンで決まりでいい?」
「いいと思いまーす」
誤魔化すようにカタログを閉じてそう提案すると、茉莉もニコニコしながらそう言って勢いよく起き上がって、そのままた立ち上がる。
「じゃ、今日の部活終わろっか。帰りどっかよってこーよ」
「そうね。どこに行く?」
「んっふっふ、決めてないけどー、どこでもいいじゃん。私たち二人いたら最強だしね!」
そう調子よく、当然みたいに将来別れてると匂わせたくせに、特別な関係みたいに言う花子が、やっぱり花子は大好きだ。
「そうね!」
「! よっし。じゃあ行こう!」
だからもっと頑張ろう。まだまだ希望はあるのだから。
もっと茉莉とは仲良くなろう。そして花子だけではなく、茉莉にも一生一緒にいたい大親友だと思ってもらえるよう、特別な存在になってもらえるよう、頑張ろう。
立ち上がって頷くと、茉莉はテンション高く花子の手をとって走り出した。
校舎内を走るのはもちろん校則違反だけど、花子と一緒ならそれも楽しくて、特別な思い出になる様な気がした。
そして笑顔で校則違反をする茉莉を見て思う。やっぱり茉莉は、白いジャスミンがよく似合う。白の茉莉花の花言葉は、『愛らしさ』、そして、『喜びに夢中』。こんな風にいつだって楽しそうに、何にでも夢中になれる茉莉が、とても好きだ。
そして花子も茉莉花であることが許されるなら、茉莉と一緒にいられるなら、花子は黄色でいい。
黄色いジャスミンの花言葉は、『幸福』と、そして『私はあなたのもの』。花子の花は、茉莉のものでいい。
ずっとそうでありたい。そう花子は思いながら、靴箱で力尽きて肩で呼吸する茉莉の手を強く握りながら、反対の手でそっと背中を撫でた。
茉莉花の花が咲きますように 川木 @kspan
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