4.月明かりのない夜に
夕方、家に帰るとき地平線の雲に稲妻が走り、光輝くのを見た。
月明かりのない夜。
ラジオをつける。
我が家には太陽光パネルがあるが、作った電気は全て売ってしまう。
家で使う電気はバイオエタノールを燃料とする燃料電池で作っている。バイオエタノールは高いので節約しなければならない。
だから我が家ではちゃんとした理由がないとインターネットは使えない。そのかわり、ラジオなら消費電力が少ないので一日一時間まで自由に使える。
静かな夜。
穏やかなピアノ曲の旋律に混じって、雨がパラパラと屋根を叩く音が聞こえる。
私は小さな丸い窓を覗き、外を見る。窓には水滴がついているうえに暗くてよく見えないが、強い風も吹いているようだ。
いつのまにか、弟が私の隣に立っていた。
「家があるって良いよね。こんな嵐の日なのに、僕、怖くない。雨をしのげる屋根があって、風をさえぎる壁があって、優しいみんながいる。だから僕、怖くない。僕は幸せだ」
「ねぇ、お祈りしない?家に帰れない人たちのために」
私たちは手を合わせ、目を閉じる。
遠くで灯台の赤い光が点滅している。町へ向かうホバークラフトの青白いヘッドランプ。
雨粒が屋根や壁を叩く音がだんだんと大きくなる。まるで、何かが破裂したかのような雷の音が響く。
ラジオから故郷を歌った古い曲が流れてくる。
星明かりのない夜。
私たちは祈る。
ふいに、スマートフォンの着信音がなる。
それを見た父と母は急いで出かける準備をする。
両親は消防団に入っている。
こんな嵐だ。きっとどこかで被害を受けた人たちがいて、出動要請が出たのだろう。
「すまない、父さんたち、ちょっと行ってくる。すぐに戻るから心配しないするなよ」
二人は私たちに一人ずつキスをした。
「くれぐれも怪我には気をつけてるんだよ」
「お父さん、お母さん、気をつけて、いってらっしゃい」
「お父さん、お母さん、絶対に帰ってきてね。約束だよ」
二人は迎えにやってきた消防団のホバークラフトに乗り込んでいく。
ホバークラフトの赤いテールランプが小さくなっていくのをが見えた。機関やプロペラの音は雨音にかき消され、聞こえなかった。
私は弟を寝かせ、祖母と一緒に、家やホバークラフトに異常がないか点検した。
祖母は、一応ホバークラフトの操縦ができる。いざとなったら、ホバークラフトで逃げるつもりだ。ホバークラフトには、食料と救急箱が積んである。
ずぶ濡れになった私と祖母はリビングに戻った。
「私はここで見張っているから、あなたは弟と一緒に居なさい」
私は弟の部屋に入る。
弟は怖くて寝付けていなかった。
私は弟におはなしを聞かせる。
ちょうど、私が小さい頃に祖母がしてくれたように。
稲妻が部屋を空を白く照らす。
雨風は強くなる一方で、やむ気配がない。
私はいろいろな、おはなしを聞かせた。
勇敢な船長のはなし、森と共に生きる人々のはなし、環境が変わってもたくましく生きようとした白熊のはなし、遠い国にあるという
やがて弟が寝息を立て始め、わたしも夢の世界に誘われた。
嵐の夜。
私は夢を見た。
私たちは、なぜかホバーバスの中にいた。
ひどい嵐の中を進んでいるようで、機体が大きく左右に振られる。
波が絶えず窓を叩き、水しぶきが上がる。窓が割れないか心配だ。
ホバーバスが止まる。
ここは、家の最寄りのバス停だ!
私たちはバスを降りようとする。
だめ!こんな天気のとき外をあるいてはいけない!
終点まで乗って避難所に行くんだ。
私の声は届かない。
私たちはタラップを降りる。
暴風雨で前が見えない。
地面が波打つ。地面からあふれでた海水が波となって私たちをさらおうとする。
ゴミが目に入りそうになる。
家はすぐそこ。
でもなかなか近づけない。
大きなタイヤが流れてきて、私たちにぶつかる。
私はバランスを崩す。弟が流されそうになる。
私は弟の手をつかむ。
よかった。と思ったその時、大きな波が私たちを襲う。
弟の手が離れる。
いやだ!
私は弟の手を探す。
ない!ない!弟の手が見つからない。
私が弟の手を再びつかむことはなかった。
波がだんだんと穏やかになっていく。風と雨がやむ。
私は必死で弟を探した。
暖かい日差しが差し込む草原で、弟は横たわっていた。
私は弟を抱きかかえる。
冷たい。
いやだ!いやだ!起きて!
弟は起きない。
私は泣いた。涙が枯れるまで泣いた。
風鈴の音がする。
弟を抱いて泣く私の前に、いつのまにか人が立っていた。
私と同じくらいの歳の少女で、私の知っている人だった。
でも、名前を思い出せない。
少女は弟に手をかざした。
弟がせき込んだ。暖かさが戻ってくる。
少女は私にお守りを渡した。
あ、このお守りは!
私はふるい友人の顔を見る。
彼女はふっと微笑むと太陽に歩み寄り、影となって消えた。
私は弟の部屋で目覚めた。
天井からたれた雨粒が私の顔に落ちる。
嵐で屋根が壊れて雨漏りしたせいで、私の髪はシャワーを浴びたようになっていた。
丸い小窓から朝日が差し込んで、部屋を柔らかな光で満たしていた。
私はふるい友人からもらって以来、身肌離さず持ち歩いているお守りを見る。彼女が私たちを嵐から守ってくれたのに違いない。
私は手を合わせ、遠い場所にいる友人に感謝した。
両親から連絡が入った。二人とも無事だったが、今日は帰れないらしい。
私は大きな事故があったことを知った。
夕べの嵐はスラムのバラックやコンテナハウスをも完全に破壊する威力があったらしい。
消防団や警察が編成した救助隊はただちに危険な地域から住民を避難させようとした。
しかし、避難する人々を乗せたホバーバスのうち一機が流されて、灯台に衝突した。
必死な救助活動にも関わらず、五人もの尊い命が奪われた。そのうち一人は私の弟と同い年だった。
さらに、救助活動を行なっている時に別の情報が入った。
嵐のなかを飛んでいた大型旅客機が墜落したのだ。
どうやら航空会社はコスト削減のために高度な自動操縦システムを導入したことを理由に、操縦士を一人に減らし、適切な訓練さえ受けさせていなかったらしい。
事故を起こしたホバーバスの救助作業のために最寄りの救助隊の到着が遅れ、誰一人助けることができなかった。
今、両親たちは事故の調査の手伝いや、後片付けに追われている。
嵐が残した爪痕は大きかった。
多くの家屋が倒壊し、交通事故も多発した。
ニュースでは旅客機の事故が大きく取り上げられた。
でも、ホバーバスの事故はローカルニュースしか取り上げなかった。
世の中には悲しいことが多すぎて、こんなに悲しいことも埋もれてしまうのだろう。
昨日まで笑ったり、泣いたりして生きていた人間が亡くなったのに、犠牲者五名の不幸な事故と報道されるのは悔しくて、恨めしくもあるけど、どうすることもできない。
私たちはホバーバスの事故の犠牲者を弔った。勿論、旅客機事故の犠牲者も一緒に。
悲しいことがあっても、人々は何度も立ち直ろうとする。
復旧作業が始まり、私もボランティアとして、がれきの処理を手伝った。
弟はボランティアの人たちをサポートした。
復旧作業がある程度進んだのち、私たちは我が家の修理作業に取り掛かった。
壊れた屋根やアンテナ、太陽光パネルを直して、壁の錆を落とし、白いペンキを塗った。
真っ白に塗られた我が家は、これまでないほどに輝いて見えた。
星が綺麗な日。
私たちは祈る。
祈って、果たして世界が良くなるのか、悲しむ人が減るのか、私にはわからない。
でも、私が悲しい思いをしているときに、誰かが私のために祈ってくれたら嬉しい。
だから、私たちは祈る。
風が私たちをなでる。
満月の日。
風はどこまでも穏やかで慈愛に満ちていた。
月明かりが優しい日。
私たちは祈る。
Waste Continent 〜ゴミの大陸に住まう者のはなし〜 オレンジのアライグマ【活動制限中】 @cai
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