第36話 幸せと成功

 妊娠をした玲美は出生前診断について悩んでいた。

「どうしたら・・・」

「何?」

「うんうん、何でもない」

 玲美は忠司には相談できないでいた。

 

 カフェはいつものようにほのぼのした雰囲気で包まれていた。喧騒と呼べるほどではないがそれなりに賑やかなテーブルと人の息遣いしか聞こえない寡黙なテーブルとが不思議なバランスのある空間だった。

「玲美ちゃんお久しぶり」

「春菜さん」

「今日はちょっと助っ人なの。いつものでいい?」

 玲美は苦い炭焼き珈琲が好きだった。

「今日はホットココアで」

「はい、かしこまりました」

 春菜がホットココアを持ってきてくれた。

「どうぞ」

「ありがとうございます。春菜さんちょっといいですか?」

「ええ、いいわよ」

 春菜は玲美の正面に座った。

「あの私、妊娠しました」

「あら、良かったわね。おめでとう」

「ありがとうございます。でも、心配なことがあって・・・」

「お仕事との両立?」

「それもあるのですが、姉の子に遺伝的病気があることがわかって、私も検査したら保因者だったのです」

「そう・・・」

「それで、出生前診断をするかどうか・・・」

「悩んでいるのね」

「はい、そもそも妊娠したのだって不意なことで、仕事もやっと順調になったところだったから、もう何が何だかわからなくなってしまって・・・」

「忠司君には相談しているの?」

「妊娠したことも言えていなくて・・・」

「そうか、頭の中がゴチャゴチャなのね」

「はい」

「子ども食堂を始めて、様々な子どもたちと関わるようになったの。障害を持った子どもたちにも来てもらえるように働きかけをしていてね。それでちょっと思ったのだけれど、命の尊さに変わりはないってことなの。当たり前のことなのに私にはそれがわからなかった。自分の子どもが優秀でないとイライラしてみたり、他の子より劣っているとお尻叩いて頑張らせたり、最近そんな自分を反省しているの」

「命の尊さに変わりはない」

「そう、幸せと成功って違うのよね。そもそも幸せとは何か、成功とは何かって話なのに成功したら幸せになれるって勝手に思い込んで、子どもたちを追い込んでいる自分にハッとしたのよ」

 

 数日前のことだった。玲美は知り合いのテレビ局のプロデューサーから呼び出された。

「女性だけの劇団を舞台にした連続ドラマを考えているのだけれど、脚本書いてくれないかな?」

「連続ドラマ?」

「そう、まだ企画段階だから何とも言えないのだけれど、連続ドラマの脚本だから、ちょっと拘束してしまうかもしれないけれど、どうかな?」

 それまで単発のドラマの脚本は何本か書いてきた。だが、連続ドラマの脚本への道は遠かった。やっとチャンスが回ってきたと、心底喜んだ。

 そして次の日、貧血で倒れ尿検査の結果、妊娠が発覚したのだった。

 玲美はそのことも隠さず春菜に話した。

 

「そうだったの。チャンスが舞い込んできたのね」

「はい、でも妊娠のことを話したら、きっとこの話は無くなります」

「どうして?」

「だってドラマの脚本、それも連続だとかなりの時間拘束されますし、妊娠していたら集中力も無くなって良い作品が書けるとは思えない・・・」

「そうかな。妊娠していても私はこのカフェのことばかりを考えていたわよ」

「そうなのですか?」

「一人親だし、仕事が好きだったから。それでも何とか子どもは生まれたし、勝手に育ってもいるしね」

「勝手に育っている」

「そうよ、親は親、子は子だからね。親が笑顔で生活している姿が子どもには何より大切なのではないかな。周りの人に協力を得ることも忘れてはならないわよ」

 

 ハッと目を覚ますと、真治が冷たい水を差しだしてくれた。それを一気に飲み干すと、心の澱が消えていく。

「妊娠したら大きな仕事が舞い込んだ夢を見ました」

「あら、二重の喜びですね」

「あっ、そうですね。夢の中ではひたすら悩んでいました。出生前診断するかしないか、とか仕事を受けるか受けないとか」

「で、どうしたいって思ったのですか?」

「結局結論はでませんでした。でも・・・」

「でも?」

「自分で抱え込まずに、パートナーや仕事関係者と話をしてから結論を出しても良いのかなって、それに、架空の話で盛り上がっても何だかおかしなことだなって・・・」

「未来を見てくるのって、本当は自分との対話ですからね。未来はこうなって欲しい、こうなったらどうしようって、想像することで覚悟ができたり勇気を持てたりする。それってとっても大切なことだと思います」

「予行練習みたいなことですかね」

「何も想定していないでいると、今頑張ることも見えなくなりますからね。人生後悔しないためにも未来を想定、夢想とも言えるかな、することで今やるべきことが見えてくる」

「はい、何だかグダグダ悩んでいないで、行動しろって言われているみたいです。連続テレビの脚本の話、私が望んでいることだったなって、それに向けて動き出さないとね。妊娠の件も、彼とよく話し合って妊娠する前であってもお互いの意見をぶつけ合ってみようと思います。私が妊娠しないことを選ぶかもしれませんし」

 

「こんばんは」

 するとそこに春菜と麻里奈と康太と忠司、斗真と有紀が連れ立って入ってきた。

「皆さんどうしたの?」

「カフェで偶然皆が集まったから。玲美ちゃんはきっとここだろうって、押しかけてきちゃった」

 それからはワイワイ好き勝手な会話が展開され、玲美は笑顔を取り戻したのであった。

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Bar「タイムトラベル」 たかしま りえ @reafmoon

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