それはいくら何でもできすぎた帰路である

 特に特筆することもなく道中は安全に軽快にしかし心は暗いまま帰路を走行していた。残り15kmほど。この旅も終わりが近づいている。


 部活帰りだろうか、「お疲れー」と言いながら自転車をこぐ高校生の集団を追い抜く。彼らは今まさに青春真っ盛り、私は絶望真っ盛り。

 ……あまりいじけていても仕方がない。難関が近づいていた。ナビはそろそろグネグネとしたルートに差し掛かろうとしていた。


 予想した通りどうやらこの道は山道のようだ。しかし行きの時に味わったあぜ道のような急斜面ではなくきちんと整備されたまあまあ安全な公道だった。

 この分なら問題ないだろう。一安心しながら注意を怠らず走行する。

 少し走行を続けていると目の前に突然海の風景が飛び込んできた。


 おお、これはなんとも癒される光景だ。

 私の心境を察するかのように海は空の隙間から漏れ出す太陽に照らされた光によってきらきらと反射している。驚きはそれだけではなかった。

 道は突然として海に飛び出すように急カーブを描いていた。つかの間の海上走行。原付に乗って半年。文明的な移動手段を得てから初めての道である。

 海の真上を走っているその間は心地よい海風を全方向から浴びながら、とても気持ちよく海の上を走っていた。


 そんな道はすぐに終わりを告げてトンネルへと入る。

 この時の私は初めての経験に幾分かテンションを持ち直していた。実に単純なやつである。


 そして長いトンネルを抜けると辺りは一風変わって木々が生い茂る山道になっていた。湿気が残る山道は近くの海から流れてくる海風も相まって、今日の中で間違いなく一番気持ちのいい走行だった。

 そして何より素晴らしかったのは木々の隙間から垣間見える広大な海の風景である。山道を登りながら海を眺める。何というぜいたくな体験だろう。


 先ほど目の前いっぱいに広がる海を見たが、なぜかその光景よりも木々の隙間から遠慮がちにのぞかせる海の姿のほうが私にとっては神秘的であった。

 そしてその光景のなんと美しいことか。これはなんとしても写真の一枚でも残したい。

 私も現代人である。そんなことを考えるのは当然の帰結というべきか。

 私は何としてもこの光景をスマホに収めたいと思い写真スポットを探した。


 行きついた先は山頂付近に差し掛かろうかというところにぽつんと立っていた廃屋であった。少し不気味な雰囲気を漂わせていた廃屋の近くの開けた場所に原付を停車させると、ナビとして本日大活躍しているスマホを手に取る。


 そして海に向かってスマホを構えると、なんと目の前にはこちらをじっと見つめる黒猫がたたずんでいるではないか。

 山の中にぽつんと座っている一匹の黒猫。そしてその奥ではどこまでも広がっている海。

 なんとも絶好のロケーションだろうか。私は猫が逃げないように一定の距離を保ちながら、何枚も写真を撮った。そしてスマホを再びナビにセットして見納めるようにしっかりとその光景を目に焼き付けた。黒猫は目の前の人間の奇怪な行動にも動揺することなく、その場からじっと動くことなくひたすらに私を見つめていた。

 私はそんな黒猫に「ばいばい」と軽く手を振りながら山登りを再開する。

 そうこの時には猫に話しかけてしまうほどに私のテンションは上がっていた。


 やはり山登りは山頂に差し掛かっていたのであろう。下り始めてすぐふたたびトンネルに入った。

 直感的に海の光景はこれで終わりかと、少しどこか寂しい思いをしながらトンネルを抜けると私は再び驚かされる。


 今度は周りにたくさんの家屋が立ち並んでいたのである。言葉にすればただ家々が立ち並んでいる栄えた市街地に出ただけである。


 ただしその前後が大事なのである。

 トンネルを抜ける前は木々が生い茂って海すら垣間見える大自然の中を走っていた。しかしトンネルを抜けるとどうだ、人類の発展のあかしである町並みが広がっていたのだ。先ほどまでの大自然なんて一分も感じさせない光景だ。


 それが私にとっては刺激的だった。とある有名すぎる小説の一節が頭をよぎる。

 トンネルを抜けるとそこは一面の雪景色であった。

 そんなのは物語の中だけの話だろうと。どれだけトンネルを抜けようとそんなに風景は一気に変わったりはしない。私はどこかそんなふうに思っていた節があるかもしれない。でもその考えはこの経験によって覆された。

 大自然の中からトンネルを抜けただけで街中に飛び出したのだ。それを肌身で感じてしまったのだ。


 私はほくほくとした気分で街中を走行していた。

 私も物書きのはしくれだ。この経験は必ず今書いているファンタジー小説のどこかで登場させよう。何なら物語の一章分丸々使ってもいいかもしれない。

 この経験で私は10万文字は軽くかける! そう考えるくらいにテンションはあがっていた。


 最後の最後でいいものを用意してくれているものだ。私があの時無意味に道を曲がらなければこの光景は見ることはできなかった。きっと行きと変わらない道のりをたどって家路についていたのだろう。

 しかし道を誤ったことによってこの光景に出会うことができた。あの時の行動は決して無意味ではなくなったわけだ。


 私は大部分のテンションを持ち直した状態で見慣れた街の見慣れたコンビニに立ち寄った。もうここまでくればさすがの方向音痴の私でもナビは必要ない。

 通りなれた道のコンビニだった。そのコンビニで本日三本目となるフランクフルト(行きにも一本平らげていた)を購入すると、それをほおばりながら満足した気持ちで煙草に火をつけた。


 しばらくそうやって黄昏ていると、駐車場の方で空にスマホを向けるおじさんの姿が目に入った。

 いったい何をしているんだろうか。

 おじさんがスマホを向けている方に目を向けてみるとそこには信じがたい光景が広がっていた。

 いやいやいくらなんでもこれは……。


「できすぎだろう」


 そんなことをつぶやきながら私は目の前に広がる光景を写真に納めた。

 スマホで撮った写真には天まで伸びていくような円状というよりはほとんど直線に近い曲線ででかでかと空に描かれた虹がはっきりと映っていた。 

 それはまるで今日一日の私を労うような、自然はあんなもんじゃないぞというかのように力強くその摂理を見せつけるような、そんなパワーであふれていて私はそれをひしひしと感じていた。感じさせられていた。

 もし周りに誰もいない空き地とかだったら私は泣いていたかもしれない。

 でもきっと誰もいない空き地か路肩だったらきっと私はこの虹に気づくことはなかった。私と同じように空に浮かぶ虹に何かを感じたおじさんがいなければ、私はこの虹を見ることはきっとできなかっただろう。


 タバコの火を消すころには空に描かれていた虹はうっすらと映っているだけになっており、原付に乗るころには完全に虹は消えていた。


 この虹によって私の今日一日の行動は無駄にはならなかった。

一本の虹によって私の今日の一日の行動は何の成果を得られなかった一日から一転、すべて意味のある一日へと様変わりしたのだ。

 虹が出ていたのはおそらく10分ほど。


 寝坊しなければ私はもっと早くに家の中に帰っていて虹に気づくことはできなかった。


 あの通行止めがなければ無謀にも私は先に進み、帰るころには真っ暗になりこの虹を見ることはできなかった。


 帰り絶望して一時間ネット喫茶によらなければ、これもまた帰りが早くなりこの虹は見れなかった。


 帰り道を間違わなければ、ルート的にこのコンビニに立ち寄ることはなく、そして帰りの道で足を止めて海の写真を撮ることもなく場所的にも時間的にも、この虹を見ることはできなかった。


 すべて偶然の結果生まれた行動、偶然の産物だ。でもその偶然がこうして私の一日の最後に奇跡を、ご褒美をよこしてくれたのだ。


 私はそれから家路につくまで非常に満ち足りた気持ちで走っていた。

 そして家の中に入った瞬間叫んでいた。


「いい旅だった!」


 自然のパワーを感じようと家を出て、そして自然のパワーに負けて、最後に自然のパワーに救われた、感動させられた激動の旅だった。

 これをいい旅だったといわずして何と言おう。これ以上の経験があるだろうか。


 これだから日帰り旅行はやめられない。最後まで何があるかわからないのだ。

 もちろん安部の大滝をあきらめたわけではない。この自然のパワーに屈したわけではない。私は何度でも挑むだろう。日本三大大滝の一つをこの目で拝むまで諦めることはない。

 こんなご褒美までもらったのだ。諦めるな。と、どこかの誰かがそういっているのかもしれない。

 無論私は何度でも原付で挑むだろう。片道100kmの日帰り旅行を何度でもしてやろうじゃないか。

 そんな決意を胸に私の一人日帰り旅行は幕を閉じたのであった。



 今考えてもできすぎた奇跡のような一日だったと思う。

 まるで自分が誰かのショートストーリーの話の主人公になったような、そんな錯覚すら覚える。

 ここまで起承転結がはっきりとした一日があるだろうか。


 現在時刻午前5時。深夜テンションで書き上げたこの話に最後まで付き合ってくださった皆様に感謝と、強欲ではあるが私が感じた感動、激情が少しでも伝われば幸いである。


 安部の大滝にたどり着けたその時はまた、深夜テンションで話をすることとしよう。きっと素晴らしい日になるに違いないだろうから。

 

 

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そうだ、滝を見に行こう 葵 悠静 @goryu36

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