普通という暴力
バル@小説もどき書き
私は敢えて“普通”という言葉を使わない
私の名前は
そんなことよりみんなは「普通」って言葉はどういう意味だと思ってる? どこにでもあるもののこと? ありふれたもののこと? 他のものと特に変わらないもののこと? 急に聞かれても分からない? まぁ、そういう答えが多いよね。
でも。
それって違うと思う。「普通」って言葉は気軽に言っちゃいけない、暴言と同類の言葉だって、私はそう思うんだ。
周りの人はみんな、学生生活は楽しいと言う。それが普通らしい。
周りの人はみんな、友達と一緒に笑ってる。それが普通らしい
周りの人はみんな、日々を楽しんでいる。それが普通らしい。
私には普通ができなかった。
私が高校生になったとき、私は急に学校に行けなくなった。理由は自分でも分からない。何故か、行けなくなった。何故か、怖くなった。
よく考えると私は、小学生の頃よく頭痛や腹痛で昼から登校していた。稀に仮病だったが。中学の頃には、学校に行きたくなくて昼から登校していたが、三年の頃には朝礼ギリギリレベルまで早く登校できるようになっていた。
それなのに、高校には急に行けなくなった。
高校の教室で座っているのが辛かった。
高校で誰かと話すのが辛かった。
このとき私は思い出す。これは中学生のときに感じていた感覚だと。
私の体は次第に私のものではなくなっていくようだった。朝になっても起きられない。誰かが起こそうとしても起きられない。叩かれてもベットから落とされても目が覚めない。学校に行こうとすると頭痛と腹痛に襲われる。どうにか準備して、車で学校まで行くと体に力が入らなくなる。やっとの思いで教室まで行っても扉一枚開けられない。目の前で足が竦む。先生が来て教室に入れてもらうと気分が悪くなる。授業が始まっても黒板すら見られない。何も考えられなくなる。
私の気持ちを知らない人は私に対する当たりが強くなっていった。私の周りにいる人は私の気持ちを理解しようとしない。“理由も分からず学校に行けなくなった”私のことを“おかしい”と決めつける。そんな人達に何を言っても否定されるだけだ。私は次第に人と話さなくなった。私は人のことをあえて無視するようになっていった。
私は心療内科にかかることになった。出された診断は“適応障害”。簡単にいうと、原因不明(のことが多い)で解決法は、私の場合転校すること。別の学校なら問題は無いそうだ。
学校に関わらないことなら、なんの問題もなくできる。常に体調が悪いわけではないので、仮病を疑われる。
人は私に怒りを露わにする。
「しっかりしろ」
「ちゃんとしろ」
「なんで普通にできないのか」
私の全てを否定された。
そんなこと言われてもできないものはできない。そう言うしかない私の気持ちを、理解してくれる人は居なかった。私は人と話すことが怖くなっていた。
「何も言わないとこっちもどうすればいいか分からないじゃないか!」
こっちだってなんでこうなってるのか分からないのになにか言えるわけないじゃない!
私の場合、原因は不明でも解決法はある。この学校を転校すること。これは割と最初から言われていたこと。そうすれば良くなると。
私の入った高校は県内でも三番以内に入る(県内では)難関校の一つ。簡単には辞められなかった。一番大きな理由は周りからの期待。私が中学生だった頃、なまじ勉強が出来たせいで周りの人がここに行ける、入れる、と捲し立てていた。
「せっかく入れたんだから頑張らないといけないよ」
その言葉を投げかけられるたびに私は、勉強なんてできなければ良かったのにと思った。
いつの間にか私は自分の気持ちを押し潰して、通い続けるしかないと思うようになった。
そうするならば。自分がそう思っているものと周りに思われれば。尚のこと学校に行かなくてはならなくなった。分かりきっていたことだがそれはできないのだ。何をどうしようとできないのだ。私の周りの人は不満を募らせていく。
「なんで普通にできないんだ!」
「学校に行くって自分で言ったんでしょ? なら行かないと」
「他の人は普通に朝起きて学校に行ってるのになんでできないの?」
最初の一つはともかく、後の二つは慰めているように聞こえる? 私には私をどんどん縛り付けていくなにかに思えた。
私は午前中に準備をし、他の人に見られないように午後の授業が始まるのを見計らって登校した。車で送ってもらっていた。それでも学校に行けないことの方が多く、そういうときは放課後まで車の中、つまり学校の敷地内にいるので私は教室に行っても行かなくても辛い日々だった。次第に休日になっても私の心は休まらなくなっていった。
「学校に行くって言ったやろ? なんでいかんの?」
「これからどうしようと思っとるん? 高校行かんのなら働くんか?」
ほとんどの人と話せなくなっていた私は何を聞かれても何も言わない。そんな私に相手は怒りを露わにする。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」
そのときになんと言われたかなんて覚えていない。多分脳がそうしているんだろう。人間というのは自衛本能が強い生き物だし。
私にも言いたいことはあった。あったはずだけど……分からなくなる。相手の問いに対して三つぐらいの答えが浮かぶ。それについての反論が浮かぶ。最初の答えを正当化するための、反論への反論を探す。ここで全く関係のないことが頭に浮かぶ。思考は急には止まれないようでそれについての考えを巡らせる。ここで気づく。今は、こんなこと考えてる場合じゃないぞって。それで、何について考えるべきだったか思い出そうとする。でも、思い出せない。確かこんなことだったけどどう聞かれたっけ? ここで見当違いのこと言ったら、話聞いてないって思われてもっと怒られるだろうな。いや、でもこの状況、自分がなにか言わないといけない感じだ。でもなんて言ったらいいか分からない。ここでわたしの思考は停止する。相手の質問に対する答えは、何も言えない。
何も言えない私に、相手は怒り出す。
「自分のことなのに何も考えてないのか!」
「こっちはサポートしようとしてるのに本人にその気がないならどうしようもないじゃないか!」
最初の頃は私が“学校に行けない”ようになった理由を探り、どうにか手助けしようとしてくれていたであろう人は、今は“私に怒りを向ける”人になってしまった。
私は夏休みまではと、午後登校でなんとかしてきた。しかし、夏休み中に夏季講習という形授業が進む、らしい。私は、夏季講習は時間が短いし、と教室の前までは行った。
が。教室に入れなかった。次の授業の先生に見つかって教室に入れられる。それ以外では入れなかった。
夏休みが終わると、週一の選択科目の単位がヤバイと言われた。単位は一科目でも落とすと進級できなくなる。そうなればここまでやってきた意味がない。私はその授業のある週はそれだけ出て早退するようにした。
学校に行き、教室に入って、授業を受ける。それは私にとてつもない負担と心労をかけた。
しかし、一度入ってしまえば話し相手がいないわけでもなく、先生から見ても他と変わりないようだったらしい。
夏も終わり、秋になる。この時期になると毎日ある科目以外単位が危うくなる。それは、出席しなくてはならない授業が増えたということ。私はギリギリの科目だけ出ることを繰り返し、なんとか首の皮一枚をつないでいった。単位は担任の先生が数えてくれていた。私は数え間違いがないことを祈りながら、なんとか1日を過ごしていった。
そんな私でも進路希望調査の紙を提出はしなくてはならない。私にもやりたいことぐらいある。そしてここは割と高い偏差値の高校。先生に相談した後、高校と同じぐらいの偏差値の大学の名前を書いて提出しておいた。
冬になり、そして、私の高校一年生は終わりを迎えた。
私は二年になったら、一年を無事終えたら転校するだろうと先生たちに思われていた。転校して、また一年生から始めるのは大変だろうということで。そういった温情のもとに僅かに足りなかった単位は無視し、進級が認められた。
私はなんとかやり切ったのだ。
毎日のように気に病んでいた日々は終わったのだ。ようやく解放される。
しかし、周りの人は私に優しくはなかった。
「来年度からは普通に学校に行くんだぞ!」
「クラスが変わるんだからもう普通にいけるでしょ?」
私はもう、嫌になった。このときほど“ここから居なくなりたい”と思ったことは無いだろう。
春休みの間、私は勉強の遅れを取り戻すために学校に通った。一対一だったり、自分一人だったり。他に居る人が少なければ学校に行けるということに気づいた。車で送迎はしてもらっていたが。
「今日は学校行ったのか?」
ただ、毎日聞かれるその言葉が辛かった。その質問に答えないという選択肢はない。私の答え対する返答は、行っていれば特になし。行っていなければ、
「行け」
と言われるだけだった。それが毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日繰り返される。
私が毎日どんな思いで過ごしてるのかなんて知らないくせにっ。
私は春休みの間は、ほぼ毎日学校に通った。
「もう大丈夫だね? 二年からは普通に行けるね?」
そう言う言葉がプレッシャーという物になるのだ。なんで分からないのだろうか?
兎にも角にも私は高校二年生になった。せめて初日は、と力を振り絞った。
が、それ以降は全く行けなかった。一年のときの最も酷いとき以上に行けなかった。学校に行くまでの気持ちを矢印で表せるとしたら、私の気持ちと反対の力が数倍の力で反対方向に引っ張ってくるのだ。
家←←←→学校みたいな感じ。
もう完全にどうしようもなくなった。私は完全に学校に行けなくなった。
この頃からようやく私の周りでも転校の話が出始めた。ここで人は私に問う。
「どうしたいんだ?」
「どう思っているんだ?」
と。
ふざけるな。初めからそうした方がいいと言われていたのに、せっかく入学できたのだからと、私に無理矢理登校させていたのはそっちだろうに。それでいてどうしたいか、どう思っているかなんて。
「絶対的に分かり合えないと思う」
それが私の、やっとの思いで絞り出した言葉だった。私の思考過程を知らない相手は激怒する。私に向けられた明確な怒りだった。
何はともあれ私は転校することになった。することになったのは良いのだが、転校先の高校がないのだ。転勤等の不可抗力ではなく完全なる私的理由とみなされたからだ。私だって自分の意思で学校に行ってないわけじゃないのに。そうなるとまだ浸透していない通信制の学校ということになる。候補は三つ。近くに通えるサポート高のある学校が二つ。完全通信の学校が一つ。後者には大学のように学べるものが多く魅力的であったが、大学でもできるので断念。候補は前者の二つに絞られた。
私はその二つの学校に見学しに行くことになった。本当は行きたくなかったが今の私がこうなっている以上行かないわけにはいかない。雰囲気というものが大切なのだ。
そういういろいろがあって、実際に転校できたのは夏休みになってからだった。転校したから学校に行ける。そんな単純なものではない。私はコレを拗らせて人嫌いになっていたからだ。その学校は授業はネット、マークシートで課題を提出、と言った感じだった。
私はまず、残り半年で二年生としての課題一年間分をやらなくてはいけなかった。半年で一年分というのはなかなかにハードで、しかも二回のテスト付き。出なければならない授業があったし、体育の授業もあった。そのときだけと、どうにか出席したが何も考えられないぐらい酷かった。
課題をなんとか終われせると二月になっていた。進学したいという意思はあったのでネットで大学について調べてみる。私は大学に行けるのだろうか? 入試科目に習ってない科目があった。それもたくさん。今いる高校の必修カリキュラムと入試科目、合わせて十三科目。それを一年で。できるわけがない。調べ始めるのが遅すぎたのだ。いや違う。少し前までは課題に追われていたのだ。今が私にできる最速だ。そもそも一年半も学校に行っていない時点で無理だったのだ。受験科目の少ない大学に進学できるように勉強に励む、という話で落ち着いたのだが最もショックだったのが、高一のときには行けると言われていた大学にすら行けないと判明したことだった。それどころか、今まで楽々解けていたような問題ですら全く分からなくなってしまっていたことだ。忘れてしまっていた。何もかも。薄々気づいてはいたが、こう目の当たりにすると想像以上に辛い。何もできなくなってしまったという喪失感と無力感。これらは転校する前からあったものだがそのときは泣きたくなる感じだった。今は何もしたくなくなる感じだった。
それでもやってくる私の高校生活三年目。私の代から入試を変えると言って様々な人を巻き込み大学すらも混乱させる上の人。謎の感染症で学校に行ってはいけない日々。こんな中で私はどうしたらいいのだろうか? どうしようもないのだ。どうにもできない。
それにしてもだ。なぜ私がこんな目に合わないといけないのだろうか?
人は学生生活は楽しいと言う。
私は学生生活には辛いことしかなかった。
人は学校で友人と笑っている。
私は学校では苦痛に耐えていた。
人は……
私は……
私はね、この経験から学んだことがあるんだ。
一つは、人は、自分の思いもよらないことや考えたことのないようなことを言われても分からない、理解できないってこと。私の周りにいる人で、私のように学校に行けなくなった人なんていなかった。学校に行くのが辛いことなんて思ったことのある人はいなかった。学校には毎日通うもの、それ以外に無かった。そこに誰もが思ったことのある、学校に行くのめんどくさい、行きたくない、という思いが悪い方に作用したんだ。私は私でも分からない理由で学校に行けなくなった。でも、周りから見たら私はただ駄々をこねているだけだったのだ。全く考えたこともない方向からの訴え、そこに自分の経験上一番近いものを当てはめたわけだ。それで相手のことを、私のことをわかったつもりになる。私の気持ちを決めつける。感情を超えて出てきた“辛い、助けて”に気づかない。
私も逆の立場だったらそうしてしまっていたかもしれない。でも、今の私はそういうことがあると知っている。自分の経験上知識上、知らないことや分からないことが身近にあることを知っている。私は、少しでも早くそういうものに気づけるようになりたいな。
もう一つは、言葉の持つ力について。思ってた以上に大きいんだなぁって。私にはいろいろな言葉がかけられた。
「ちゃんと学校に行きなさい」
「転校するのが一番」
「なんで普通にできないんだ!」
「せっかく入れたんだから頑張らないと」
「もう大丈夫よね?」
「なんでできない!」
もちろん大声で怒鳴れれたり、怒られたり、自分でも分からないことで質問攻めにされるのも辛かった。辛かったけど、一番辛かったのは、“ちゃんと”とか“周りと同じように”とか“普通に”っていう言葉だった。たった一単語。それがキツかった。
ちゃんとするって何?
周りと同じって何?
普通って何?
特に“普通”っていうのはキツかった。ものすごくよく使う言葉。でも普通って何? 同じような状況の人が取る行動で最も多いもの? それって多数決? ありふれたもの? 他と変わらないもの? なんで他の人と合わせないといけないの?
多分、私の住む星では昔から、周りと合わせること、少数で違う行動しないこと、様式を大事にしてきたからなんだろう。隣の星では人はそれぞれ違うもの、他と違って当然っていう考えが根付いてる。私もそっちの星にいたらもうちょっと理解が得られたのかなぁって思うけど、そんなこと考えてもどうしようもない。
私のいる星は同じことが大事。私が教え込まれたのもその考え方。
だからこそ、だからこそ自分が普通じゃないと言われたときのダメージは大きかった。頭では、普通って何? 誰かが決めたものにみんなして従ってる、その結果でしょ、とか、人っていうのはそんな単純なものじゃないんだし合わせる必要なんてない、って考えてたけど、頭じゃ整理できない、直接心にくるダメージみたいなものが大きかった。辛かった。
正直、ただの言葉、しかも一単語にここまでの力があると思わなかった。この思いも理解されないんだろうなぁ、って思うと悲しくなる。でも、今の私はそういう気持ちがあると知っている。私は敢えて“普通”という言葉を使わない。
私の経験や考え方は他の人にはあまり理解されるものではないのかもしれない。私が何を言おうと、もともと理解のある人しか耳を傾けてくれないのかもしれない。私が何を気にしても、私が何に気を使おうとも何も変わらないのだろうし何も変わる気がしない。そもそも私はこの先やっていけるのかも分からない。でも、この辛い気持ちは、キツい経験は、良くも悪くも私のものなのだ。だからこそ私は私として、
普通という暴力 バル@小説もどき書き @valdiel
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