1501勝0敗

 

 2週間後。

 デー…もとい、罰ゲーム当日、朝4時30分。


 セットしたアラームがけたたましく鳴ります。

 集合は8時に甲府駅信玄像前ですが、準備に3時間はかかると見たためこんなニワトリみたいな起床時間です。

 眠い目をこすりながら母を起こします。今日ちゃんと身支度できるか心配になってきたので母に手伝ってもらうのです。お願いしたとき、母は苦虫を10匹ぐらい噛み潰した顔をしていました。

 身支度中、母から「朝シャンが長すぎる」「私のバッグをどうするつもりだ」「値札ついてんぞ」「メイクが一朝一夕で身につくと思うな」「はいはいカワイイカワイイ」「はよ行け」などと抜き身の言葉でギャアギャア言われました。助言はありがたいのですが、もすこし娘のかよわいメンタルをおもんぱかって欲しい。

 ちなみに途中で起きた父に「体調悪くなったらキャンセルしてもいいんだぞ」と言われたので「ご心配なく」と答えたらさめざめと泣いていました。 

 

 そんな混沌の坩堝るつぼみたいなお出かけ前だったわけですが、こうして7時45分には信玄像前に着いています。東日本で一番カワイイ上に将棋も強く、その上礼節まで知ってるなんてもはや究極生物アルティメットシイングと言っても過言じゃないですね。

 ちなみに本日のファッションは新調した桜色のワンピースに半袖のデニムジャケットを羽織って中学生らしい快活さとカワイサを表現しました。髪はいつものポニテですが昨日美容室キメて整えてます。本当はここに母から拝借したブランドバッグがあるはずだったのですが、怒髪天されたので普段から使ってる2980円のショルダーバッグです。チッ。


 信玄像に近づくと拓馬くんが立ってるのが見えました。相変わらず人を待たせない人です。


 「おはようございます。天気良くて良かったですね」

 「………!」


 拓馬くんは私を見ながら口をあんぐりとしてる。ははーん、さてはバッチリお洒落した私のカワイサに衝撃を受けてる感じですかね。


 「どうしました? 私が東日本で一番カワイイって気づいちゃった感じですか?」

 「『東』はいらねぇんじゃねえの?」


 そう言ってニカリと笑った。

 なななな何をサラリと言いますかこの眼鏡大根は! こんなに素直に褒めてくれるなんて。ちょっと泣きそうなんですけど。

 情緒を平静に保つため話題を変える。


 「た、拓馬くんも今日は随分とお洒落ですね? そんな服持ってましたっけ?」


 今日の拓馬くんのファッションは光沢のある白シャツにカーキ色のジャケットを羽織っています。ボトムはタイトなシルエットのデニムズボン。まぎれもなく新品ですね。高級ブランド、ペーター製のトートバッグも肩にかけてます。


 「今日のために小遣いはたいて買ったんだよ。俺がダサいとお前が恥かくだろ?」


 なっ、なっ、なっ…!

 またサラリとそういうことを…!

 心拍と体温が上がっていくのを感じます。


 完全に情緒を破壊された私はスジ急に着くまでの2時間、上の空でした。

 拓馬くんが色々話しかけてきてくれるのですが「うん」とか「はい」みたいな返事しかできず申し訳なかったです。それぐらい拓馬くんが先ほど言ってくれたセリフが頭の中でリフレインしてました。


 それでもスジ急ハイランドの最寄り駅を降りて、観覧車やコースターが見えてくると調子を取り戻せました。今までの人生、土日はほとんど将棋で潰れてたから遊園地行ってみたかったのは事実だし、正直超楽しみなんですよね。


「何から乗る?」


 スジ急の正門をくぐった所で拓馬くんが声をかけてきました。彼も楽しそうです。


「やはりジェットコースターからでしょう!ジェットコースターは将棋に例えれば大駒!ゲットすれば勝負が優位に進みますよ!」

「なんの話だよ」


  拓馬くんは苦笑しながらも同意したようです。ショートケーキの苺は最初に食べる派なんですよ私は。

 

 コースター乗り場に着くとそこには長蛇の列ができていました。


 「コースターに乗れるまで30分はかかりそうですねえ。さすがは我が山梨が世界に誇る人気施設。待ちが生じるのも仕方なしですか」

「やっぱなあ。持ってきといてよかった」


 そう言うと拓馬くんはトートバッグから何か取り出しました。

 取り出した物は黒い布と2本の金属枠で出来ており、金属枠を左右に広げると椅子になった。折りたたみ椅子だ。

 そして拓馬くんは「どうぞ、お嬢様」と私に差し出した。私のために持ってきたのか!


 「そんな、悪いですよ!」


 両手を胸の前に出して拒否してしまった。また情緒がおかしくなってる。ちょっとしたパニックです。


 「立ちっぱなしだと疲れるぞ」

 「でも列が進んだら椅子どかさないといけないじゃないですか」

 「そんなの俺がやってやるよ」

 「でもでも! 一人だけ座ってたら周りから浮いちゃうじゃないですか!」

 「うーん、それもそうかぁ……」


 そう言って拓馬くんは椅子を折りたたんでバッグにしまった。


 なぜ拒否してしまったのだろう。

 周りの目が気になったのも事実だが、それだけじゃない気がする。自分のこの動揺の正体を読んでみる。


 ……


 きっと自己嫌悪からだ。

 彼は私のために準備してくれてるのに、私は自分を着飾ることしか考えてなかった。なんて幼稚でなんて無思慮なんだろう。

 私はこの情けない自分のまま彼の厚意に甘えるのが嫌だったのだ。


 彼のために私ができることはなんだろう? 考えてみる。

 ……うまいアイデアは出てこない。こういうのも日々の積み重ねなんでしょうね。

 今の私にできることは彼の厚意に感謝することだけだ。


 「拓馬くん、気を使ってくれたことはすごく嬉しいです。ありがとうございます」


 そう言うと彼はニカっと笑った。


 「いいってことよ。デート楽しもうぜ。あ、罰ゲームだっけ?」

 「もうっ!」


 まったくこの性悪大根め!

 許せなかったので頬をつねった。もう手を伸ばさないと頬に届かない。

 ほんとにこの人、大きくなったなあ。




 午後4時。

 ウォータースライダー、ホラーハウス、ティーカップなど一通りのアトラクションを体験しました。心地よい疲労と、味わったことのない高揚を感じています。うむ、たまには将棋盤から離れて童心に帰るのもいいですねぇ。

 

 「そろそろ時間だけど最後乗りたいものある?」

 

 拓馬くんが尋ねてきました。もう最後ですか。なんだか名残惜しいです。


 少しうつむくと自分の影が長くなっていました。日没が近いんですね。

 それなら高いとこ行けば夕日に染まる富士山が見えるかもしれない。一日の締めくくりに丁度よいと思われます。


 「観覧車乗りたいです。まだ乗ってないですし」

 「そういやそうだな。ふぅん、最後すごくデートっぽいじゃん。あ、罰ゲームだっけ?」

 「もうええっちゅうねん!」


 カーッ! まったくこの男は!!

 頬をつねりながら観覧車へ向かいます。



 スジ急の観覧車「エレクトリカル・フラワー」は全長88メートルで一周15分かかるそうです。

 しかしまぁよくこんな巨大建築物を造れるもんですねぇ。人間の叡智ってすごい。


 係員のお姉さんに導かれて二人でゴンドラに入ります。


 ゴンドラ内では拓馬くんと向かい合う形で座りました。

 夕日に拓馬くんの顔が照らされています。


 「お前、なんだか顔赤いけどどしたの?」

 「ゆ、夕日の加減でしょう!」


 なんだかこうして狭い空間で彼と向き合ってるとすごく照れくさいです。

 おかしいですね、普段将棋盤を通して向かい合ってるのに。


 盤がないだけでどうしてこんなに気持ちが変わってしまうのだろう?

 なぜ私は彼の瞳を吸い込まれるように見ているのだろう?


 その理由を探ろうとするとドキドキしてしまう。認めたくない事実を認めてしまうことになる。

 ゴンドラのように心が揺れるのを感じる。私はこの人とどうなりたいのだろう?


 「あ、そうだ!」


 拓馬くんが嬉しそうに声を上げ、トートバッグから何か取り出しました。

 一つは折りたたみ椅子、もう一つは30センチ平方ほどの将棋盤でした。盤はマグネット式になってるようで駒が並べられた状態でくっついてます。

 彼は折りたたみ椅子を私たちの間に置き、盤を椅子の上に置きました。


 嫌な予感に顔をひきつらせながら拓馬くんを見ました。

 口角を上げ、ナニカを期待した瞳で私を見つめています。


 「まさかとは思いますが…… ここで一局指そうってんじゃないでしょうね?」


 我が意を得たりと彼がうなづきます。 


 「お前と向き合ってると指したくなるんだよ。15分もあるんだしいいじゃないか。今日なら勝てそうな気もするし」


 ハァー…。

 私も根っからの将棋好きを自負してますが、この人は狂人ですね。将棋狂人。

 フツー女子と二人でゴンドラ入って対局希望します?

 若い男女を狭い密室にツッコんだら、もうちょっと他にヤることあるでしょう!? まったくロマンチックのかけらもない!


 でも、不思議とこの人のワクワクした顔を見てると怒る気が失せてきます。

 今なら私に勝てると本当に思ってんでしょうねぇ。

 それは間違いだと訂正してあげねばなりますまい。


 「はぁー…、しょうがない人ですねぇ。どうせ言っても聞かないんでしょう? さっさと始めましょう」

 「さっすが! 話がわかる!」

 「言っときますが、地上に着く2分前には盤と椅子片付けますよ。見られたら恥ずかしいったらありゃしない」

 「ガッテン承知!」


 ささっと駒を整え、1501局目を始めました。

 世に将棋指し数いれど、観覧車で指したって人は世界で私たちぐらいでしょうねぇ。あー、せっかくの観覧車がもったいない。

 でもなんだかトクベツなことをしてる気もして興奮します。飛車も唸るぜ。




 30手まで進めたところで地上が近づいてまいりました。

 急いで椅子と盤を拓馬くんのトートに戻し、何食わぬ顔でゴンドラを後にします。

 これが犯罪者の心境か。悪くないですね。


 「そこのベンチで続きやろうぜ」


 周りを気にしてか、小声で拓馬くんが語りかけてきます。顔には屈託のない笑みが浮かんでいます。・

 

 「しょうがない人ですねぇ」


 同意すると、彼は嬉しそうにベンチに駆け寄り将棋盤を置きました。

 マグネット式なのでゴンドラ内の盤面が保存されてます。


 「早くしねぇと閉園時間になっちまうぞ」と言って私を急かします。

 きっと今日こそ勝てると信じ込んでいるのでしょう。もう私には1501勝目が見えてますが。

 

 ……今日のお礼にわざと負けてあげるべきでしょうか?

 今日の拓馬くんにはそれぐらい感謝してます。楽しかった。

 拓馬くんが気持ちよく帰ってくれたら私も嬉しい。


 でも、もしわざと負けたのが拓馬くんに見抜かれたら……彼はものすごく怒るでしょう。それこそ拓馬くんの厚意がすべて無駄になってしまう。


 やはり全力で指すほかない。

 決意すると胸がチクリと痛みました。


 彼が私を負かせるぐらい強かったらいいのに。



 12分後、私は1501勝目を上げました。

 いつもの拓馬くんなら「チクショ――ッ! 次は勝ってやる―――ッ!!」の捨て台詞とともに泣き走りながら帰宅してるのですが、今日はさすがに我慢してます。でも顔が悔しさで真っ赤になって紅葉もみじおろしみたいです。私も勝って痛快!爽快!とはいかずやるせない気持ちです。


 「拓馬くん、今日はありがとうございました」

 「……うん」


 かろうじて返事だけしてくれます。

 行きは私が上の空でしたが、帰りは逆になってしまいましたね。

  

 帰りの電車、私たちは車内の両サイドに配置されたロングシートにはす向いになる形で座りました。

 私の隣に座らないのを見ると、まだ悔しくてしょうがないようです。

 気持ちの整理ができないのに、私を一人にしないのは彼の優しさなのでしょうね。


 彼のまだ赤い顔を見ていると、この斜向かいの距離を愛しいと思いました。

 そして同時に、もどかしくも思えた。隣にいてくれたらいいのに。



 ああ、もう観念してしまおう。


 私はこの人が好きなのだ。



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春香と拓馬の長い棋譜 ~天才美少女棋士である私が幼馴染のお兄さんに負けるまでの物語~ 吉田ジゴロウ @yoshida256

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