1500勝0敗

 

 翌年4月の第2日曜日。

 私は将棋会館での例会を終え、千駄ヶ谷せんだがや のカレー屋さんでチーズキーマカレーを食べていました。

 

 本日の戦績は1勝3敗。うーん、正直言って伸び悩んでいます。


 私の計画では中3の時点で奨励会三段リーグを勝ち抜いて四段プロになってるはずなのですが、現在の私は研修会C1クラス。奨励会入会にはやや遠いです。プロ棋士の推薦があれば奨励会入会試験も受けれますが、師匠からも「秋山さんにはちょっと早いですね」と難色を示されてます。


 おかしいなぁ、私は世界最強の棋士のはずなのに。

 ……いや、ひょっとしてひょっとすると……私は世界最強ではない?


 キーマを咀嚼しながらナニカ大切な真実に気づきかけていると上の方から声をかけられました。


 「あら? 春香ちゃんじゃない。お久しぶり」

 「ん? あ、ごじゅしゃたしてます女王」

 「ふふふ、飲み込んでからでいいのよ」


 この人は一条いちじょう星羅せいらさん。女流棋士のタイトルの一つである『女王』の保持者です。

 私とは年齢も棋力もだいぶ違うのですが、同じ振り飛車党であるためか懇意にして頂いてます。

 

 「相席良いかしら? あ、ナッツキーマカレーくださーい」

 

 そう言うとこちらが返事する前に向かいの席へ座った。相変わらずマイペースな人だ。


 今日の星羅さんはライトグリーンのワンピースを深緑のウエストベルトで結んでいる。膨張ぼうちょう色の生地をウエストでタイトに締めることでただでさえ豊かな胸がさらに強調されており女の私から見てもドキドキします。さすが女流棋士でありながら写真集出すだけありますね。

 

 「春香ちゃんは今日例会だったんでしょ? 何勝したの?」

 「……1勝3敗でした」

 「しょっぱい戦績ね。C1で苦労してるようだと女流棋士はともかくプロ棋士になるのは難しいよ」

 「わかってますよう」

 

 嫌な気持ちを抑え込むようにカレーをかき込み、ゴクゴクと水を飲み干す。

 

 「はぁー…。星羅さんは何しに千駄ヶ谷へ? 今日は対局ないですよね?」

 「本山先生の研究会に参加してたの」

 「ああ、本山先生住んでるのこの辺でしたね」


 研究会とは多人数で行う実践形式の練習対局のことだ。本山先生は振り飛車の名手と知られており、同じ振り飛車党のよしみで星羅さんも呼ばれたのでしょう。


 「とても刺激になったわ。先生方もと刺激になったみたいね」


 色々という言葉に含まれている意味を察知して思わず渋面を受かべてしまう。


 「げぇー…、誰かからアプローチされたんですか?」

 「ふふ、それは本人たちの名誉のため黙っておきます」


 そう言って唇に人差し指を立てクスクス笑っている。

 聖羅さんは恋多きことでも有名で、私が知ってるだけでも6人彼氏が換わっています。恐ろしい21歳ですよ。


 「研究会クラッシャーにならないでくださいね?」

 「それは今後の展開しだいね。春香ちゃんは彼氏作らないの?」

 「作ってるよゆーなんてないですよ。ただでさえ負けが込んでるのに」

 「それは違うわよ春香ちゃん」


 先ほどまでのふわふわとした笑顔が影をひそめ、静かに私を見据えている。

 普段ゆるい人なだけに表情の落差にドキリとする。


 「私たち棋士は人生の9割を将棋に捧げてる生き物だけど、残りの1割も大事よ。趣味だとか、学校行事だとか、そういうこともおろそかにしちゃダメ。もちろん、恋愛もね」

 「よくわかんないです。その『残りの1割』とやらがなんの役に立つんですか?」 「ウダツが上がらないとき力になってくれるわ。ちょうど今の春香ちゃんみたいなときにね」


 ウダツが上がらない、かあ。

 否定しようないですがハッキリ言われるとグサリと来ますね。聖羅さんが言葉を続ける。


 「想定通りに勝ててるときはひたすら将棋に打ち込めばいいと思うわ。今の方針がうまく行ってるってことだもの。だけど、いくら勉強しても全然勝てないときってあるのよ。ムカつくけど」

 「意外です。聖羅さんも負けるとムカつくんですね」

 「あなた私をブッダかなにかと勘違いしてない? 人の子だもの。負けたら怒ることも泣くこともあるよ」

 

 聖羅さんは「まったく失礼しちゃうわね」と言いながら、運ばれてきたナッツキーマカレーを頬張った。うむ、ナッツの方も美味しそうですね。


 「でもちょっと分かった気がする。あなた人より観察眼が劣ってる。だから勝てないのよ」

 「観察眼? それ将棋と関係ありますか?」

 「あるに決まってるじゃない。勝負の本質とは『相手が嫌がることを積極的にヤる』に尽きるわ。相手が何を嫌がってるか観察しないでどうするの」


 むう、確かにそんな気もします。今までの経験から言って相手が何を嫌がってるか分かるときはほぼ勝ててます。


 「そして人間一番観察力が上がるのは恋愛よ。恋ってスゴイのよ。相手の小指の先まで見ちゃうんだから!」

 

 星羅さんの顔が上気している。この人、この話がしたかっただけちゃうんか。話の展開的に嫌な予感がします。


 「というわけで春香ちゃんも恋愛してきなさい!」


 うわ、やっぱりきた。即座に否定する。


 「いやいやいや、恋愛なんて急にできるもんじゃないですよ!」

 「できないと思ってたらいつまでもできないわよ。デートに誘える子もいないの?」

 

 いる。デートに誘える男子なら一人だけ心当たりがある。


 だがあの男、こちらからお願いすると調子乗りそうだしなあ。あっちから誘ってくるなら検討してあげなくもないが私から誘うのはナシだ。ここは「いない」とすっとぼけておくのが良手でしょう。


 「……いません」

 「ずいぶん間があったわね。そんなに拓馬くんって誘いづらい?」


 Oh、バレテーラ。


 「知ってたんですね拓馬くんのこと」

 「あなたとしょっちゅう一緒に子だもの。覚えるわよ。棋力はイマイチだけど男の子としては全然悪くないわ。初デートの相手としてはアリよりのアリよ」


 びっくりだ。星羅さんが拓馬くんを知ってたのも驚きだし、好印象なのも意外だ。

 いつの間にか私が知らないとこで会話してたんだろうか。

 なんだかモヤモヤしてきます。


「あの人の印象いいんですね。あんな性悪大根のどこがいいんだか」

「そんな憎まれ口叩いて。あなただって彼のいいとこ、いっぱい知ってんじゃないの? 」

「そんなの知りませーん」


 そりゃあ彼の長所も1つ2つは知ってますが、聖羅さんに彼の長所を喋るのは大変しゃくだ。この話題も終わらせたいしシラを切るに限ります。


 「ふーん……。じゃあ私が拓馬くんをデートに誘っちゃおうかな?」


 それは面白くない。非常に面白くない。


 このタイトルホルダーはソッチの方面でも実績がありすぎるから本当に誘いかねないし、ヤツも思春期真っ盛りの青少年だ。こんな美人に誘われたらホイホイついていくでしょう……。


 イイように振り回されてるが仕方ない。ここは聖羅さんの指令に従うか。


 「聖羅さんがデートに誘うのはよくないですね」

 「あら、なんで?」

 「ヤツも今まで将棋一辺倒のピュアボーイです。初デートの相手が聖羅さんでは刺激が強すぎるでしょう」

 「まぁ私、イイ身体してるからね。春香ちゃんに比べれば♡」

 

  オノレ、一言多い…! 私だって別に貧相な身体ちゃうわ!

  怒りは口にせず話を続ける。

 

 「ですので、かの少年の健全な発育を望むなら見慣れた相手の方がふさわしいでしょう。とどのつまり、私のような幼馴染が最適です」

 「ふふっ、やっとその気になった? 今度デートの感想聞かせてね」


 私を思い通りに動かせて実に満足そうだ。ええい憎たらしい女王だ。

 いつか将棋でギャフンと言わせてやりたいが現時点では棋力が足りない。こないだ角落ちでも負けちゃいましたからね。今は嫌味を口にするのが精一杯だ。


 「はぁ、聖羅さんは本当に人を振り回すのが好きですね」

 「もちろん!人も飛車も世間も振り回すが私の生き方だから!」


 そう言って聖羅さんは得意げに豊満な胸をそらした。

 まったく憎たらしい胸だ。突き出た部分を小突いてやると「いやん」と笑われた。

 ハリがあるのに柔らかかった。まったく憎たらしい胸だ。





 2日後。私の部屋。

 

 実に妙な話だが、これから拓馬くんをデートに誘わねばならない。とはいえ私から「デートしてください」って言うのはプライドが許さない。

 だって今まで無敗ですよ? 圧倒的に勝ってる方がデートをお願いするって変じゃないですか?

 ちなみに友人の高坂こうさかさんと天野あまのさんに「変じゃない?」って聞いたら「変じゃない」「はよ誘え」って言われました。解せぬ。


 友人の意見はともかく、私は納得いかないのでプライドを保てる誘い文句を考えてきました。


 名付けて罰ゲーム大作戦。 


 これから電話して作戦を決行します。

 成功は確信してますがさすがに緊張しますね。


 ドキドキしながら発信ボタンを押します。


 40秒ほどスマホ片手に固まっていると、ハタと呼び出し音が止んで馴染みの声が聞こえてきました。


 「おう、お前から電話してくるなんて珍しいね。どったの?」


 拓馬くんだ。いつも通りの口調に心が落ち着きます。

 意を決して考案してきた作戦を言葉にします。


 「いやぁ、今日は拓馬くんに一つ罰ゲームをお願いしたくて」

 「罰ゲーム? なんで??」

 「考えてもみてください。私たち、対局戦績1500勝0敗ですよね?」

 「……おう」


 先日の金曜にちょうどこの数値になっていました。罰ゲームという名目にするにはもってこいですね。


 「正直、もう拓馬くんと指すの飽きちゃってるんですよ。勝つのが分かりきってるから」


 半分嘘です。勝つのが分かりきってるのは本当ですが、拓馬くんと指すのは今でも楽しい。

 これは拓馬くんの心を揺さぶるための駆け引きです。


 「私は東日本で一番カワイイ上に関東平野のように心が広いですからこれからも指してあげなくはないのですが…… 今後も対局を続けるにあたって、何か刺激が欲しいですねえ?」

 「……俺にどうしろってんだよ」

 

 効いてる効いてる。

 拓馬くんにとって一番きついのは私が対局を嫌がることだ。私がほんのちょっとそれを匂わせるだけで意のままに操れると踏んでいました。

 ここまではシナリオ通り。反応は上々。本題を切り出すのは今です!


 「そうですねえ、遊園地をおごってください」

 「は? 遊園地をおごる?」

 「ええ、富士吉田にスジ急ハイランドってあるじゃないですか」

 「あるねえ」


 スジ急ハイランドとは富士山のふもとにズギャンと広がる巨大遊園地です。ちまたでは『スジ急』の愛称で親しまれてますね。ジェットコースター、ウォータースライダー、ホラーハウス、観覧車などのアトラクションが揃っており私たち山梨県民はもちろん、全国から人が集まる大人気スポットです。


 「あそこのジェットコースター前から乗ってみたかったんですよね。だから罰ゲームとしてスジ急おごってください!」


 これが私の筋書きです。

 デートのお誘いではなく罰ゲームとして遊園地をおごってもらう! これなら拓馬くんは実質デートだと気づかないし、私も1500勝無敗のプライドを保てる。

 我ながら非の打ちようのない完璧な作戦!

 ああ怖い。私の明晰なる頭脳とカワイサが怖い。


 「……俺とお前が一緒に遊園地へ?」

 「ええ」

 「それっていわゆるデートってやつでは?」


  !? あ、あれ? 秒で気づかれた?

  ま、まずい、すぐに訂正せねばシナリオが崩壊する!


 「デデデデデートではありません!罰ゲーム!罰ゲームです!!」

 「いやぁ年頃の男女が二人で遊園地行ったらデートでしょ」

 「ちゃうて!」

 「そうかぁ、春香も男をデートに誘う年になったかあ。うんうん、健全に発育してるようでお兄ちゃんは嬉しいよ」

 「誰がお兄ちゃんかああああ!!」


 バカな。私の完璧なる作戦が…! これじゃまるで私がキリのいい対局戦績にかこつけて前からデートに誘いたかった男を口説いてるみたいじゃないですか。うわぁ、またドキドキしてきた。だがこれは電話をかける前のドキドキとは違う。私の尊厳の危機を告げる心音だ!


 「いいぜ。その罰ゲームとやら、受けてやるよ。いつがいいの?」


 あ、罰ゲームってことにしてくれるのか。ふぅ、なら尊厳を保てますね。


 「2週間後の土曜日でどうですか?」

 「いいぜ。富士吉田なら電車でだいたい2時間ぐらいか。信玄像前に8時集合でいいか?」

 「8時ですね。いいですよ」

 「じゃそういうことで」

 「わかって頂けてよかったです」

 「デート楽しみにしてるよ!」

 「罰ゲームですってば!!」


 ハハハという笑い声とともに電話が切れた。まったくあの性悪大根め。


 2週間後か。

 まず美容室予約して服を新調せねば。お年玉なくなるなぁ。あとこれを機会にメイクも覚えたい。メイクの仕方が書いてあるファッション誌買っとかないと。バッグも今の2980円のじゃなくてオトナなモノを仕入れたい。

 ああ、そうそう。許せないことに彼氏がいる天野さんにどんな会話してるかも聞いとかないと。

 

 ふふっ、ずいぶんと忙しくなってきました。


 

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