桜の舞う頃に
山科リタ
桜の舞う頃に
季節は春、三月の中頃。卒業式に満開の桜なんて出来すぎている、って誰かが言ってたけど本当にその通りだと私も思う。
でもまあ実際、桜の花びらが吹雪みたいに風に乗ってわぁっと押し寄せたかと思うと重力に引かれてゆっくりと舞い落ちていく様子は、思わず息を呑んでしまうほどに綺麗だし、そういう素敵な風景というものが人生の門出という特別な瞬間と同時に起こったということが、少し誇らしい。桃色の絨毯と天に向かって手を伸ばす枝を彩る桜色に挟まれて、私たちの立っているこの空間はまるでピンク色の部屋の中にいるみたいだ。
高校の卒業式だから小学校から数えて通算三回目の卒業式だけど、やっぱ泣いてる子は結構いて、私は卒業証書が入った筒を手で弄りつつそういう子たちを眺めていたらその中に浜中美玖がいるのを見つける。
ふと目が合うと美玖は泣いて赤くなったで私を見つめていて、それがちょっとエロいなあなんてアホっぽい感想が私の頭に浮かぶ。だって美玖は超美人だし、性格もよくて同性にだってすごい好かれているのだ……そして私も美玖のことを好きなうちの一人。ていうかかなり美玖のことが好きだ。かなり? それじゃあ足りないかも知れない。めちゃくちゃ好き、って口に出して言いたいくらい好きだ。多分、他の誰よりも美玖のことを好きな自信がある。
私は美玖に、本気で恋をしてるのだ。
女の子同士の好き?なんてどうせ生まれたての子イヌや子ネコに対して「可愛い〜〜」って言ってるようなもんでしょ、って他の人に言われるかも知れないけれど、ひょっとしたらそういう風に誰かは女の子同士で好き合ってるのかも知れないけど、私はこの感情がそんなふわふわした浮ついたものや一過性の気の迷いだなんて思えないのだ。
私を見つけた美玖は手の甲で涙を拭ったあと、にっこりと笑って近付いてくる。
「卒業おめでと、ちぃちゃん」
「ありがと……美玖も泣くんだね」
「意外だった? 私、結構涙脆いから」
えへへ、と目を細めて笑う美玖はやっぱり可愛い。そんな美玖の笑顔を見て私は、まるで好きな子に見つめられてあたふたしてる小学生みたいに顔が赤くなっていくのを感じる。耳まで真っ赤だ。どうしよう、めっちゃ恥ずかしい。
でも美玖も周りの卒業生たちも、派手に泣いたり笑ったりしていつもよりも感情をオーバーに表現している感じだったから、私がちょっと赤くなったくらいで変に思われることはないみたいだ。
「ちぃちゃんは、泣かないんだね」
美玖が私の名前を呼ぶのがくすぐったい。彼女の声は少し涙声だったけど、それでもいつものように透き通っていて私の鼓膜が喜んでしまうようなそれはまるで女神の歌声みたいに思える……それは流石に言いすぎだろうか? でも恋に落ちた相手の一挙手一投足や何気ない特徴までも自分でもびっくりするくらい虜になってしまうことって自然じゃないだろうか?
「私は……ほらドライだからさ」
思わずちょっと自虐的な台詞。泣こうと思えば泣けるくらいには私だって感傷的にはなっているはずだ。ただ、卒業式で泣くっていう当たり前すぎる文脈を構成してしまうのが何だか悔しくて自分で自分の涙の堰を止めていた気がする。……でも、美玖が泣いているんだったら私も泣けばよかった、なーんて少し後悔している自分。今からでも泣こうかなあ……でもなんかそれって好きな人の前で涙を流して気を引こうとする典型的な女子のアプローチっぽくてやだな……とか、いやでも皆も泣いてる中で泣き出しても別にそういう意図にはとらえられないで自然に思われるんじゃないか……とかぐちゃぐちゃ私が考えてたら美玖が言う。
「ちぃちゃん、あのね。話したいことがあるの」
「なに?」
「今日の六時にね、校舎裏の体育倉庫の前に来てくれる?……ひとりで」
えっ?……と私は思わず聞き返しそうになる。何それ? 客観的に見て、私の希望的観測を頑張って考慮から外しても、まるで女の子が告白で相手を呼び出すテンプレートみたいな設定じゃないか?
さっきまで赤かった顔の更に色が強くなるのを感じながら、私はやっとのことで声だけなんとか平静を装って「うん。わかった」と言う。
「良かった」と、安堵の溜息を漏らす美玖の顔を私は見ることが出来ない。だって……林檎みたいに真っ赤になってる今の私の顔なんて見せられない! それに多分、顔の色だけじゃなくて表情も、美玖の言葉が嬉しくてにやにやしてるのと突然のことでびっくりしすぎてるのが混ざり合って酷いことになってるだろう。
幸いにも美玖が私の顔を覗き込んだりすることはなくて、そのまま「じゃあ、また後で」とだけ言って彼女は人の輪の方へ戻っていく。
私は暫くその場に残されたまま呆然とした。頭の中で美玖の台詞を何度も反芻している。さっきまで少しだけあった卒業式の余韻なんて、風に吹かれて桜の花びらと一緒にどこかに飛んでいってしまった。
さて、それから数時間の記憶はあまりない。誰かに卒業式後の打ち上げに行こうよ〜みたいに誘われた気もするけど断って、学校を出てから美玖との約束の時間までぼーっとしながら近所の公園とかをふらふらしてたんだと思う。
それで約束の六時の三十分前くらいになってちょっと早すぎるかなあなんて思いながら再び学校に戻ると、もうすぐ沈みそうな夕日が橙色に校舎と校庭を染め上げている様が綺麗で見惚れてしまう。校庭に残ってる生徒はもういなかった。生徒がいなくなったその場所は主役を見上げるほど大きなコンクリート製の建物に譲り渡していて、オレンジ色の校舎に西日を反射する窓ガラスのきらきらがアクセントになってなんかの芸術作品みたいだ。
なんだかひとりで突っ立ってる私はその場所にいることがひどく場違いな感じがして、ていうかもう卒業したしここは私の場所じゃないのは本当か、なんてちょっと感傷的になりながらゆっくりと校舎裏に回る。段々と、その場所に近づくのに連れて心臓が早鐘を打つのがわかった。脈打つ鼓動が私の身体の隅々にまでエネルギーを運んでいる実感を感じながら、ゆっくりと、私が校舎裏を覗き込むとそこには既に美玖が立っていた。
「早っ!」。だってまだ約束まで三十分くらいあるのに。思わず私は声を出してしまい、美玖はこちらに気付くと「ちぃちゃん!」と元気いっぱいの可愛い声で私を呼ぶ。
「あ、えっと……早いね」
「そっちこそ〜。一旦家に帰ったの? 友達とどっか行ったりしてた?」
「ううん。ずっとそこらへんふらふらしてた」
「ごめんね。わざわざこんな日に呼びつけたりして」
「いや。別に全然いいよ。それで……話って?」
私は訊く。
「綺麗だねえ、夕焼け」
美玖は私の質問には答えず手を庇にして西日を仰ぐ。
「もう卒業かあ……ちぃちゃんにも会えなくなっちゃうんだね」
寂しそうに美玖は呟いた。私は自分の発した質問が宙ぶらりんなままで、何も言えない。
やっとのことで「会おうと思えば会えるよ」なんて台詞を私は絞り出す。月並みな台詞。でもそれは半分真実であって、半分は嘘だった。学校という場所とそこで与えられた役割によって繋がれた私たちの関係が、その場と役割を失ってなお以前と変わらぬままで存在することは、有り得ないだろう。確かに会おうと思えば会えるかもしれない。でもきっと、会おうと思うことは減ってしまうのだ。私はそれが寂しくて、だから、美玖がこの場に私を呼び出した理由が、これから彼女が紡ぐ言葉が、新しく私たちを繋ぎ止める《何か》にならないかという期待を、せずにはいられなかった。
「会おうと思えば、か……」
美玖も同じようなことを考えているのだろうか。遠い目をして私の台詞を繰り返す。暫く二人の間に流れた沈黙を先に破ったのは、美玖の方だった。
「遠回しなのは好まないから、はっきり言うね」
美玖が私の方を向く。
「ちぃちゃんのことが好き。……私と、お付き合いしてくれませんか」
私の感情は大きく膨らんで今にも破裂しそうな風船のようで、真摯な眼差しの美玖の言葉が細い針となって風船に刺さるのを感じていた。大きな音を立てて割れた風船の中身は、ハートマークいっぱいの桜色の便箋みたいに甘々で、ああ、私はなんて答えればいいのかを、美玖が私に尋ねる前に知っていたのだ。だって私のこの答えは、遠い昔に決めてあるのだから。私が彼女のことをいつも視界にとらえていることに気が付いてしまった、あの日に。
「喜んで……!」
涙声の私の返事。嬉しくても涙は出る。答えるのと同時に美玖が私を抱き寄せた。私は、自分よりも五つは歳上であろう女性の胸に顔を押し付ける。泣いてるのを見られるのは、この際もう構わないけど、涙でメイクがくずれてるところは見られたくない。折角卒業式では泣かなかったのに。そのぶんの涙が今、溢れて止まらない。
「でもいいの……? 生徒に告白したりして」
「だってもうちぃちゃんは卒業したんだもの。私たちの関係は、《先生と生徒》じゃなくて《赤の他人》でしょ。だから今度はそれを《恋人同士》にしよう」
彼女はゆっくりと、私を抱き寄せる腕に力を込める。
「それに、ここは職員室からは見えないから」
美玖はそう言って悪戯っぽく笑う。私も釣られて泣きながら笑った。彼女の腕の中で、服越しにもわかる人肌の暖かさを感じながら、微睡みに落ちていくときみたいな安心感を感じていた。
「いつから私のこと好きになったの?」
「初めて見たときから」
「私とおんなじだ」
そう言って笑い合う私たちを照らす夕日はもうすぐ沈むけど、そうしたら今度は月が昇って、私たちの歩く道を示す光になってくれるだろう。
桜の舞う頃に 山科リタ @akihira0907
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