第6話 車上

 電撃的に出現した新手により、ヘッケラーがさらわれた場面を、当然ヴォルフガングもとらえていた。鎧の筋力補正を最大稼働させて追跡する。

 しかし徒歩と翼では流石に分が悪い。引き離されもしないが、追い付くのは難しいようだった。


『どうした!ヘッケラー!ヴォルフガング!』


 セバスチャンからの通信。遠隔からは吸血鬼を補足できないので、仲間の動きと報告から予想するしかない。不可解な行動をされると連携に支障が出る。つまり死ぬということだ。


「ヘッケラーが捕らえられた。追う」


『何!?ちょっとまて今部屋を出てすぐの大通路をまっすぐ行ってるな?』


 無言で肯定。セバスチャンは近辺の地図を呼び出しては逃げ道になりそうな経路を模索する。


『まずいかもしんねえ。高速交通管が通ってる。停留所は近くだ。列車が来てる!』


「間に合うか?」


『無理やり止めれるかどうかってとこだな』


「先回りする。交通管で回り込める場所は」


『ん?下へ続いているから、そこから二つ目の角を曲がって、外から露出した管に着地すれば……。いやどうやって乗り移るんだよ。マッハ超えてるんだぞ』


「了解。救出に向かう」


『おい!』


 ヘッケラーの長い銀髪が、廊下の先にある広間へと吸い込まれた。その先で口を開けつつある高速輸送用の機関車。真空中で音速の1.2倍を出す超速交通手段。

 敵からの妨害を入れたら間に合うまい。ヴォルフガングはそう判定し、ビルの外へ走る。

 建築の外、というよりも林立したビルの植生の隙間だ。外に出る理由がある者は少ない。ために窓も無く、あるのは小さな非常口だけだった。


 緑のランプの照らすドアを抜けて、上も下も針孔のようにしか見えない外へと出る。夜は星の光を与える気力さえも失い、ネオンの街へ死んだような闇だけを投げかけていた。

 ぎしりと軋む鉄板の階段から頭を出すと、試験管のような管がいくつもの高層建築を貫いて伸びている。


『あと十五秒で通過するぞ!』


 ヴォルフガングは階段を飛ばし、壁を蹴って急降下した。金属の羽根を並べたマントが、傘のようにすぼまる。猛禽のように降り落ちる鎧がうねり、気圧の微妙な変化で、落下する軌道を交通管に直撃するものに変更した。

 真空からは音は響かない。磁力で打ち出される車両からはいかなる振動も伝わらない。それでも漏れてくるものはある。膨大な電位の移動が、ヴォルフガングの六感を震わせる。発車した。


 見て対応することはできない。相手は音速なのだ。計算から導かれた合流の瞬間に全てを賭ける。

 流線型をした列車の尖頭の残像が、強化樹脂を打ち破るときにもちらついていた。


 三画、剣が透明の壁に線を入れる。飛び道具は禁じられ、主要な武器は一つに定められた人間狼たち。だがだからこそ、その手に持つ金属の強靭性は、都市の中に在る物質のうちで最硬を誇る。

 破れた。砲弾が次々当たってくるような衝撃。真空へと殺到する風だ。ヴォルフガングの翼はその流れに乗って、通過しようとする弾丸列車にいざなわれる。


 腕だけでは足りない。脚全体で刃を固定し、海棲哺乳類のような滑らかな肌へ突き立てた。

 火花は襲撃者の身長を超えて、筒の頂点へとしたたかに叩きつけられる。音速で滑走しながら、相対速度は急激に縮む。

 その肋骨を押しつぶしそうな加速度に耐え、ヴォルフガングは立った。

 鎧の吸気口が、かすかな圧搾音と共に閉まる。筒の破断点はすでに遠い。穴も都市の自己修復機能によって瞬間的に塞がれている事だろう。抵抗となる空気が無い中では、列車の上に立とうと何の支障もない。


『無茶するぜ。真空中ではその鎧でも十分もたないぞ!』


「少し忙しくなるが、問題ない」


 滑走の痕跡は、車体の前5分の1から後尾近くまで一直線に引っ張られていた。敵を求めて歩き出す。逃げ切ったと思ったかもしれないが、救いの船はいまや弾丸内の牢獄だ。逃げれば運動エネルギーが心臓も頭もまとめて真空中の泡にしてくれる。

 追い詰められた獣は、逆襲に出るしかない。どこに隠れていたのか、数十人の吸血鬼が車上に上ってくる。そしてヘッケラーをさらった男も。


「哀れな犬よ。お前たちの虚しさの理由さえ忘れて」 


 話しかけられるが、アハトにその意思はなかった。敵は殺す。それだけが務め。あれほどの酷使に曲がりさえしない超金属を構える。


「その剣もまた、お前を縛る鎖だ。あらゆる自由が開かれているというのに、お前たちは気付きさえしない。だからこそ、我々がのさばるしかないのだが」


「吸血鬼を倒すなら、剣一つで不足はない」


 狼は駆けた。

 

 天井に開いた破孔から、蝙蝠のように群がり出てくる吸血鬼たち。相対していた分の一団は、すでに手が触れ合う間合いに迫っている。

 だがそこから先の空間は、目の粗いふるいのように怪物たちを通さない。揺れ動く一本の剣の軌跡で網の目を作って見せる。人間ではないという建前をただの事実にする、ダイナモのごとき力強い回転。


 本当に数など問題にはしていなかった。己の力に対する彼の言動は、どこまでも真実だった。

 一振りの終わりが見えない。曲がり、くねり、時には戻ってさえいるのだが、振り終わったと確信できる停止時間が存在しない。惑星が天球を巡りながら迷うように、その切先は疲れを見せず敵を滅殺する道筋を取り続ける。

 走る速度は一定。速すぎはしないが、止まることもない。


 この集団の親玉と思われる壮年の見た目をした吸血鬼。これほど不利においてなお食い下がり、あまつさえ押し返すほどの戦士など予想外に違いない。

 だが彼は別段慌てることもなく、その致死の鉄塊がもうすぐ届くという時分になっても、逃げだす様子も見せなかった。


「速く、強い。だが先へ行けるのはお前ではなくヘッケラー、あの迷える少女の方なのだ。お前はその重さゆえに沈む」


 相手に聞かせる調子の言葉ではない。そもそもその紅い目は、強襲する剣士をとらえていたのかどうか。

 ついに剣の領域に至り、ヘッケラーを抱える鬼は、まるで望まぬ労働を惰性で行うかのように牙をむき出す。


 だが、最高速に達したアハト最高の剣闘士に、ただの吸血鬼が抗える要素は無い。ほとんど突きのような直線の軌道。最小の力で肩口から胸元まで引き斬られ、返す一刀で頚骨を断たれた。

 なんの変わりも無く、アハトに話しかけた変わり種の吸血鬼は灰になった。

 周りにまだいる闇の兵たちは、指令塔を失ってはただの藪蚊である。血液の暖かさを求めてヴォルフガングに群がり、藁にくるまった毛虫を焼き払うように一掃された。


 線路は次の停車駅が近いことを感知して、磁場のタイミングをずらす。加速力は殺され、マイナス0.08Gで速度を緩めていく。

 ホームには無数の群衆がいた。電車に刻まれた生々しい傷と、その上にて美貌の少女を抱く仮面の騎士は、彼らを興奮させるのに十分な映像的エネルギーを内包していた。

 物好きは端末のカメラで黒鎧を狙い。大部分は視覚と同期した映像機器でその様を記録する。賢い者は黙って目をそらした。余計な情報は減点対象になる。


 交通管のホームの部分が隔離され、空気が注入された。内部の圧力が大気圧に達したところでゲートが開き、急ぐ者は車体に乗る不審者にも構わず、客室へ入っていく。

 ヴォルフガングは跳ぶと、人のいない床にちょうど着地した。鳥類並みの運動神経が成し得る自然さである。


 ヘッケラーはまだ目覚めない。彼は同僚を休ませる場所を探そうと、駅の中へと向かった。

 



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アハト ~Der Werwolf~ @aiba_todome

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