第5話 吸血鬼
昇降機はヘッケラーを含め四人をのせてもまだ広々としていた。それなりの加速にもかかわらず、一向に到着する気配を見せない。この都市の馬鹿げた規模からすれば、エレベーターの容積は必要を満たすための前提なのだろう。
しかし、ここに乗り合わせる一団を他人が見たら、はたしてなんと思うだろうか。姫を守る騎士たち?あるいは囚われの姫君とそれを護送する悪の異形戦士だろうか。
残念なことに、怪物の鎧武者を率いる闇の女王あたりがしっくりくるのと自己分析できるほどに、ヘッケラーは冷静であった。
会話はもちろん、息遣いさえ聞き取りづらい。本当に彫像か何かのようだ。己は貨物であると自己暗示しているかのように、身じろぎも、あらゆる生理学的反応も鎧の内に封じている。
そんな中でも個性というものがでるのだから不思議なものだ。ヴォルフガングは絵にかいたような直立不動で、クララは力の抜けた棒立ち。ファニーも肩ひじははっていないが、周りの眼を気にするのが見に染み付いた自然体。美しい立ち姿だ。
ヘッケラーは夜の黒潮の海にも例えられるだろうドレスを纏い、緊張のためかどこか張りつめた気配を漂わせている。初陣を控えた指揮官、という形容もそこまで間違ってはいない。
幸か不幸か、彼女はアハトと吸血鬼の戦いを観戦してはいない。騒ぎを聞きつけて、吸い寄せられるように向かったところでヴォルフガングと接敵したためであるが、だからこそ、漠然とした恐怖と、そう大したことはないのではないかという根拠ない自信が同時にあった。
どこへ行くのかは聞いていない。先達たるヴォルフガングたちとて聞いてはいないし、知ったところでなんになろう。
どうせあるのは白い廊下、暗い部屋。人はいるかもしれないが、大した問題ではない。
市民が見えない何かに殺されたところで、それを員数外の人間の責任にできるわけでもない。できれば助けた方がいい。そんな漠然とした命令になんとなく従っているだけだ。そんなことを聞いていた。
動く者もいない中、ヘッケラーはひときわ異様な気配をかもし出す、クララの方を見る。謎がどうとかの前に、はたして人格が有るのかを疑うような存在だ。
これまで一言もしゃべっていなければ、心中を伝える行動を起こしてもいなかった。
かろうじて意味があると思えたのは、煙草に火をつけ、兜の隙間から吐き出した紫煙をぼんやりと眺めることだけ。それとて機械的なランダムの行動と言われればそれまでだろう。
「クララさん、でいいのかしら?」
「……汝、妄念と…………ない……姫」
話しかけてみてやっと、何かを小声でつぶやき続けているのが理解できた。
どういう内容なのかは、あまちに突拍子の無い単語の集合で、糸口もつかめない。
「無駄だよ。クララはほとんど意識が飛んでるからね。まあ仕事になるとめっぽう強いから、不便なことはないけど」
ファニーが仮面に遮られてくぐもった声で説明する。どちらかといえば新参らしかったが、面倒見は先輩のヴォルフガングよりもずっといいらしい。
「昔から、こうだったの?」
「むかし?昔なんて言われましてもね。今日はこうなんだし、その前もこうだったはずだからずっとこんな感じでは?」
実に曖昧な演繹的論理だが、実際アハトとして生きる分にはこの程度の認識でもまるで問題はない。
そもそも今日以前を気にするヘッケラーの方が、この無機質で不気味な都市の中では例外かもしれなかった。
アハトが過去を知らないのは、都市からなんらかの改変を受けたためだろうか。それなら普通の、記憶には無いがどこかにいるはずの一般市民はどうなのだろう。
「ファニーは、市民を見たことはあるの?」
「市民?市民ならたまにいますよ。おかしなこと聞くのね。さっき言ったように、市民がいたらできるだけ殺さない。血を吸われていたら吸血鬼ごとぶった切る。助けたらアハトとか吸血鬼のことを喋るなと言い含めて逃がす。それだけ頭にあるんなら十分よ」
まったく、途方もない情報規制だった。つまり化け物退治に最低限必要な知識以外、誰も何も知らないということ。
クララもあるいは、記憶の操作を受けて、結果なんらかの事故で自我が崩壊してしまったのかもしれない。もちろん確かめるすべなどないのだが。
百を数えたところで飽きたカーブの感覚。大きく右に回転すると、ついにマイナスの加速度が加わった。
剣を持たないヘッケラー以外の全員が抜刀する。まだ寝言のようなものを語り続けているクララでさえ、剣を抜く所作に迷いはない。もはや本能に根差した、獣が牙をむくような動作であった。
ヘッケラーもとりあえず戦闘準備として、酔っ払ったカマキリのような構えをとってみる。
「隙が大きい。ただ立っていろ」
ヴォルフガングが脇を掴んで猫の子のように引っ張り上げた。皮膚の薄い部分に触れられて、髪が逆立つ。
「いきなり触らないで!」
「一言行った」
「了解をとるのよ!女の子に触るときにはね!」
「そうなのか?」
ヴォルフガングがファニーに尋ねる。
「別にいいと思うけど。ヘッケラーがやれって言ってるんならそうすれば?」
「そうか」
「……専制…活動を…………急禍に備え…………」
やたらとにぎやかになったエレベーターが制止し、ちーん、と間の抜けた金属音が鳴り響く。
それは一種のゴングであっただろう。扉が開き斬らないうちに、野獣は狩場へと疾駆した。
驚いた、という表現も生易しい。ヘッケラーはちょっとの間思考が追い付かなかった。
人がいたのだ。それも大勢。なぜ分析用のカメラなしに分かったかと言えば、彼らが捕食されていたからに他ならない。
そう、喰われていた。生き血をすすられていた。人より寡勢だが、それでも少なくはない数の吸血鬼たちに。
肉食獣じみた牙が頸動脈に突き刺さると、あっという間に顔色が紫に変わり、まるで空気が抜けたようにしおれてぺしゃんこになる。
血というよりもっと根源的な中身を奪われたようだった。少なくとも水分がうしなわれただけで、あそこまで形は崩れない。
民間人がいても無視しろ、とは言われたが、こんな状況で精神活動を乱さないのはそれこそ人間ではないだろう。
だからこそ、彼らは人間ではなかった。人の皮を被った狼、人狼。人間たるもののしがらみから解放された、鳥のように自由なものたち。
クララがその長身を活かしていの一番に突っ込んだ。剣技というほどのものはない。走りながら斬る。あるいは勢いのまま突き通す。それだけ。
だが速度と質量が全てを解決する。まわりの人間まで含めて切り払い。四肢や胴体が藁のように刈り取られていく。
クララは古参兵だというが、正気でなくともこの戦闘力はなるほど伊達ではない。
「続きますよ!当方は頭を落としますから、ヘッケラーは心臓を獲って!」
「ええ!?でもどうやって」
「都市が武器なしでいいっていったんだから素手でできるでしょう!」
「そんな」
無茶な、と呼びかけようとして、自身の文字通り怪力を思い出す。大の男が二人がかりで苦労する家具を、おもちゃのようにひきずって持ち上げられた。
吸血鬼が飛びかかってきた。電子部品の付いた燕尾服を着ているが、よだれと血液の混合液がしたたる口は、礼装が似合わないことこの上ない。
ファニーはまだ十代前半の見た目に反して、実に落ち着いて対処する。半身になって突進をいなしながら膝の裏を切り付けて動きを封じ、振り返った獲物が体勢を崩したところに一刀。生白い首が大根のように落ちた。
「片付けて!次!」
「は、はい!」
思わず敬語になってしまう。別の出入り口からも、他の番所から運ばれてきただろうアハトの群れが押し寄せてくる。だがファニーとヘッケラーのように、話し合いながら戦っている者はいない。
恐らくはヘッケラーが例外なのだろう。アハトは皆記憶を持たないらしいが、それでも使命は神経に刻み付けてある。自分が何者かも分からずに不安におののく者はいないようだった。
そんな余計なことに気を取られて、足元の注意がおろそかになる。歩きにくいとは何故か思えないハイヒールを、かぎ爪のついた手が掴んだ。吸血鬼。首なしでも平然と動いている。
隣で転がる生首の眼がかっと見開き、どのような筋肉の作用なのか、ヘッケラーの足首に食らいつこうとする。
「ひゃ!」
危機感のままに脚を引くと、吸血鬼の身体も合わせて持ちあがる。人体の重さが麻縄か何かのようであった。
力を自覚する。己にはとてつもない大力が秘められているのだ。狙うのは心臓と、指示を思い出す。
上げた足で虫を振るい落とすように、首なし死体の胸目掛けて踏み込んだ。
肉が爆ぜた。胸骨が粉々に砕かれ、床に蜘蛛の巣が張る。
血のりが顔に付く前に灰に変わって散り。後には丸くへこんだ床だけが残る。
「いいですよ!次!」
息つく間もなく腕が落ち、首が舞う。ヘッケラーは相手の五体を識別するのを止めた。とりあえず真ん中を蹴ったり殴ったりすれば灰になる。その簡単な作業だけに集中する。
気が付くと敵の数はもう少ない。アハトが圧倒的に優勢になっている。もとから大群でもって押しつぶすやり方だが、やはり一部の強い者が大部分を抹殺したのが大きい。
ヘッケラーとファニーもけっこうな敵を灰化させていたが、やはり目を引くのは他の仲間たち、クララとヴォルフガングだった。
ほとんど貪り食うように無造作に相手を切り刻み打ち砕くクララの剛剣は、一太刀で数人まとめて両断していた。
それにも関わらず、最も殺害数が多いのは間違いなくヴォルフガングの方。
剣線が見えない。いつの間にか身体が移動して、当然に握っている両手剣も連動して動く。その途上にある物体が、自然に切り離されていた。
まるで野菜を粒子に変えるミキサーのように、休むことなく弛みもせずに処理していく。猛烈に製品を押し出していく工場を見学するように、敵を失ったアハトたちが見入っている。
「ファニー?あの二人ちょっとおかしくないかしら?強すぎるわよあれは」
一通り敵を倒し終えて、剣を杖にしていたファニーが、暴れている二人の方を一瞥した。
「ん?ああ、ふう、あれです。あなただって大概だと思いますけど。まあ、あの二人より強いアハトは、ちょっと見たことないですね。別格です。当方は周りと比べても強いとは思いますけど、それもあの二人が周りの奴をだいたいやっつてしまうから、生き残り易いのが大きいのだと思います。ほんとう、なんであんなに元気なのやら」
ふざけた話だが、部屋に居た吸血鬼に倍する数の躯を見れば納得も出来る話だった。
普通に考えて、鬼と近接武器しか持たない人間ならば鬼の方が強いに決まっているのだ。ヘッケラーの馬鹿力には敵わないとしても、その半分もあれば鎧ごと人間を引き裂ける。
今だってヴォルフガングの隊がいなければ死者はこの3倍では聞かなかったはずだ。戦いもまだ半ばに行くかどうかだっただろう。戦術に直接的な暴力で影響を与えているのだ。
最後の鬼の右側が三分の一ほどこそげ落ちた。その損傷に反応する前に、ヴォルフガングは下段から切り上げている。首がボールのように回転し、その速度のまま身体ごと両断された。
灰がさらさらとなめらかな丘を作っていき、強くなった空調に吹き払われる。残るのは血と死体。猟犬として使われる人間狼たちの戦いの跡だけだった。
初めての討伐が終わり、害意あるものが存在しなくなったと確信して、ヘッケラーはようやく座り込んだ。
「なんなの?本当になんなの?こんな世界じゃなかったはず。そうに決まってるのに……」
「ヘッケラー。座り込んでいてはいけません。これからすぐ帰るんですから、寝込むのはそのあとにしなさい」
ファニーの叱責は容赦のないものだったが、まだ未熟な肉体の彼女が最も消耗しているのは分かり切っている。
へたり込んではいられない。多分自分が年上なのだから。気合を入れて、思い切って立ち上がる。
「ええ、ごめんな」
ファニーの隣に、大柄な男がいた。古めかしいマントに、シルクハット。凍り付いたような肌。こちらを詰めたく計測する眼孔の奥は、血色で満たされていた。
力任せだった。猫を噛む鼠のように、後先考えず両足で踏み切る。
仮面の上からでは窺えないが、驚愕に固まっているだろうファニーの姿が横に流れ、目の前には黒々とした深山のような巨躯。
だが体格に勝っていようと、ヘッケラーには原因不明の超腕力がある。それは突然現れた得体のしれない滴にも作用した。
トラックに跳ねられた猫のように、地面を跳ねながら滑走していく。力は上回っている。勝てる、と踏んでヘッケラーは拳を握った。
HecklerHecklerHecklerHecklerHecklerHecklerHecklerHecklerHecklerHecklerHecklerHecklerHecklerHecklerHecklerHecklerHecklerHecklerHecklerHecklerHecklerHecklerHecklerHecklerHecklerHecklerHecklerHecklerHecklerHecklerHecklerHecklerHecklerHecklerHecklerHecklerHecklerHecklerHecklerHecklerHecklerHecklerHecklerHecklerHecklerHecklerHecklerHecklerHecklerHecklerHecklerHecklerHecklerHecklerHecklerHecklerHeckler
何かを思い出した、
気が、
した。
意識が途切れる。吸血鬼の男はヘッケラーを抱えると、重力を無視した挙動で飛行し、誰もいない出口を通って逃げ去った。
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