第4話 狼たち
明かりがついても、廃墟には変わりない。違うのは崩れた壁や千切れた電線だけでなく、壊れた家具類が置いてあることくらいだ。
席のいくつかからバネが飛び出した大きなソファーには、柔毛の幼い男の子と、濃い青髪の少女が深く腰かけている。その後ろで外装の剥げたラジオをいじくる褐色肌の男に、佇んだまま自身の吐いた紫煙をぼうっと眺める、亜麻色の髪の、背の高い女。
反応したのはソファーの二人だけだった。少年の方がとび色の眼を丸くして質問をぶつけてくる。
「誰だ?そいつ。吸血鬼じゃん!目が真っ赤だぞ!」
思わず震えるヘッケラー。そうだ、ここは狩人のたまり場なのだ。一歩間違えれば囲まれて、ヴォルフガングに出会った時の数十倍の剣戟が己を切り刻むことになる。
そんな不安が巻き起こった時、少年の頭に手刀が落ちる。
「いだっ!」
「馬鹿ですね、あなた。吸血鬼ならわざわざこんなところまで大人しくついてくるわけがないでしょう。あいつらは敵なんですから。この子はアハトです」
「でも見た目は吸血鬼じゃん」
「見た目なんてどうでもいいのです。吸血鬼を殺せるなら立派なアハト。あなた、殺せますよね?」
冷たい眼光が喉元をひやりと撫でた。こちらも、排斥しようとはしていないが、決して歓迎はしていない。
観察しているのだ。本当に自分たちの仲間なのか。それとも、人狼の皮を被った蝙蝠なのか。
自分の世界に耽溺していた残りの二人が、会話の流れがおかしなことでよそ者の来訪に気づく。長身の女は、何を言うでもなく、じとりとこちらを眺めるだけだが、浅黒い男の方はなれなれしく近づいてきた。
「これは!綺麗なお嬢さんじゃないか。なんでまたこんなごみ溜めにいや言わずともいい誰にでも隠したいものはあるそこでどうだねもうすこし片付いたところで話でも」
「新入りだ。記号名はヘッケラー」
やかましく台詞を並べる男の隙をどうやってか突いて、ヴォルフガングが気おされていた少女を紹介する。
「なんだ、新入りなの」
「新入りかあ、初めて見たかも」
「おお、こんな乙女が新入りとは。悲しいことだ。しかし仲間になるのならよろしくしないとね」
あっさりと受け入れられる。拍子抜けを超えて、理解できない不気味ささえ覚えた。そんなに簡単に、先ほどまでの姿勢を入れ替えることが出来るものだろうか。
いや、表面上なら可能だろう。だが今やソファーの女子供たちは読書やゲームに興じている。警戒心など片鱗さえ残っていない。
友好的に話しかけてきた男にしても、見ず知らずの女を引っ掛けるのではなく、仲間と職場恋愛に勤しもうとする有様だ。まるでドラマの台本に登場人物が追加され、それを役者たちが了承したような切り替わりだった。
おかしい。ヘッケラーの持つ常識と食い違っている。それだけならいい。彼女はあくまで外部からの来訪者なのだから。では自分はどこから来たのか?何一つ思い出せる光景も、声も文章も無かった。
「そんじゃあ、吸血鬼が出るまではここで待ってな。あとは吸血鬼を殺すだけでいい」
「あ、あの!」
四つの顔がヘッケラーへと向く。反射的なものだけに、皆無表情だ。どこか人形じみている。
そのことを不気味に思いながらも、意を決して自身の状態について話すことにした。
「私、記憶が無いんです。どこから来たのか、なんでここにいるのか、今まで何をしていたのか。何も思い出せない」
眼をきつく閉じて、恐る恐る反応をうかがう。
性急すぎたかもしれない。こんな嘘くさいことを言っても怪しまれるだけだろう。だが隠し通せるとも思えなかった。
だが嘲りの声は聞こえてこない。奇異に感じて頭を上げる。
誰もかれも、意味が分からないと言いたげな顔をしていた。敵意というよりは呆れ。突如奇行に走った少女を扱いかねているようだった。
「あ、あの?」
予想外の反応に思わず声をかける。誰もが噛み切れない肉を咀嚼しているような表情だった。
セバスチャンが髪をかき分けながら尋ねる。
「ん、ああ。記憶が無いって?つまり、例えば昨日何をしていたかが分からないとか、自分の由来についての情報が無いとか、そういう意味?」
「え、ええ。そうですけれど」
「無用だ」
会話を継いだのはヴォルフガングだった。
「昨日の情報や自身の所以など、吸血鬼退治に使うことはない」
「いえ、そうだけれど、だからって!」
「まあまあヘッケラー。何を気にしているかは知らねえけどさ、そういう意味での記録情報だったら俺たちだって持ってないぜ?」
「え?」
見回す。ぼうっと突っ立っている女。眼光鋭い青黒の髪の少女。瞳をくるくると回す男児に、気づかわし気に口を開ける伊達男。
そして横でにかりと笑うセバスチャン。仮面をつけたまま、表情の見えないヴォルフガング。
「別に昨日食った飯がなんなのか分からなくったって、仕事に悪影響はないだろ?無駄だぜ無駄。過去なんて知っていたって得はないし、記録が必要ならそこの端末から呼びだしゃいい」
声やしぐさはなかったが、セバスチャンの意見に全員が無言の肯定を示していた。
だれも疑問に思っていない。この全員に記憶が無い?反論する者はいなかった。そんなことがあるのだろうか。無重力空間に放り出されたような頼りなさ。
誰一人自分の由縁を知らないというのなら、彼らは一体誰なのか?どうしてここにいる。何故吸血鬼を殺す?
私は誰?
ヘッケラーが黙り込んだのを見て、とりあえず時間が必要だと判断したのか、皆先ほどまでの作業に戻っていく。
「あー、だめだねどうも。完全にいかれたよ」
「フリードリヒ。やっぱりどうしても直んないか?」
セバスチャンが褐色の男、フリードリヒに尋ねると、ニッパーを放り出すことで答えた。
「ああ。部品の一部が破裂しちゃってるからなあ。注文するか探すしかないだろうけど、今日中には無理だろう?」
「じゃあしょうがねえなあ。もったいない。たまに音楽かかってたのに」
セバスチャンは歩み寄ってラジオをむんずと掴み取ると、隣の何もない部屋に放り込んだ。金属の裂ける悲鳴と、樹脂が砕ける音。
だれも気にしない。舞台から退場した小道具をだれも気にしないように。
「休む部屋が必要だろう」
意外にも、悩むヘッケラーに話しかけたのは鳥頭の騎士だった。まじまじとその不気味な仮面を見つめてしまう。
「案内する」
返事がないのも大した問題ではないのか、そのまま進んでいってしまう。無神経ここに極まれり、といったやり方。だがその勢いにつられて、心にかかる負担は少し軽くなった。
ラジオを投げ込んだ部屋を通り過ぎる。よく見れば暗がりの中にいくつもの粗大ごみが転がっていた。かつては狼が集う番所の中も、もっとにぎやかだったのかもしれない。
天井の高いその部屋を抜けると、四方に長方形の穴が空いた空洞に出る。電球が一個、なぜ輝いているのか疑問に思えるほど頼りなく光っていた。
その先の部屋には家具がデタラメに置いてある。寝室という事なのだろうか。適当に過ぎる。
「ねえ。この配置になにか意味があるの?」
ヴォルフガングは硝子の飛び出した目で銀髪の少女を見据える。
「意味?家具を置くのは使うためだ」
「そうじゃなくって、こんな適当においたら使うのにも不便だし、気持ち悪いじゃない」
「使えるだろう。そこに感想がいるのか?」
「ええい、分かったわよ。あなたが話にならないってことくらい。とにかく移動させるわ。兜も暑っ苦しいから脱ぎなさい」
「そうか」
銀腕が異形の頭蓋を掴むと、一目では理解できない機構が作動してロックが外れる。
素直に脱ぐとは思わなかったために面食らうヘッケラーだが、脱いだ本人はそんな驚きなど構うはずもなく、兜を背の低い箪笥の上に置く。
少年だった。想像よりも遥かに若い。年下かもしれなかった。もっとも、ヘッケラーは自分の歳さえ知らないのだが。
色が薄く、光の加減では灰色にも見える黒髪を無造作に切ってある。目は幼い犬のようだが、厭世的に細められ、その奥は淀んでいた。
「兜、脱げるのね」
出会って間もないはずなのに、勝手に鳥仮面と紐づけていた認識が崩れ落ちる。ヴォルフガングは失礼な物言いにも、被甲されていた時と同じに無表情だった。
「脱げない兜は欠陥品だ。アハトの装備に欠点はあっても欠陥は無い」
「そ、そう。まあいいわ。とにかくベッドを動かすから、手伝ってちょうだい」
ベッドに手を置いて、ぐい、と引っ張る。一人用にしては広々とした木製の寝台は、それだけで軽々と動いた。
抵抗がないのではない。ヘッケラーの腕力が負担をはるかに上回って強靭なのだ。
「助けは必要か?」
「……いいえ。自分でできる」
紙の模型を動かすように、あっという間に片付いた。力の桁がおかしい。なにもかも、ここで目覚めてから今まで、ヘッケラーを構成する常識の世界から外れたことばかり起こる。
ヴォルフガングは黙ったままだった。ヘッケラーは思案する。吸血鬼が出るまで待機するのは分かる。ここにいる騎士たちとて人間なのだから、眠りもするだろう。
しかしこんな環境でどれだけかも分からない期間生活してきたのだろうか。第一、太陽も無いこんな密室でどうやって時間を知るのだろう。時計さえ見当たらないのだ。あるいはそれで皆正気を失ってしまったのだろうか。
「ねえ、あなたたちどんなふうに生活しているの?寝るのに順番はあったりする?」
「順番?眠くなった者が寝る。全員は同時に眠らない。吸血鬼が出れば、全員が起きて出動する者と管制する者に分かれる。それだけだ」
「原始的ってものじゃないわね……。よく今まで破錠しなかったものね」
「今までなど知らない。今そうやって運営されている。次もまた同じだろう」
「ああ、そうね。記憶がないんだからね」
ヘッケラーは静かになるしかない。発想が違い過ぎた。そうだ。このアハトと呼ばれる非人間たちに、昨日など無いのだ。過去が無ければ未来に絶望もしない。ひたすらに今を行い続ける。
では一番初めはどうだったのだろうか。彼らとて、無から発生したはずはない。どこかで生まれ、育ち、ここへ来たはずだ。
「ねえ、私は新入りで間違いないのよね」
「そうだ」
「じゃあ、貴方たちの中で一番の先輩は誰なの?どういう順番でここに来たの?」
ヴォルフガングは即答しなかった。ほとんど能面のような顔だったが、どこか困っているようにも見える。
まだ表情を作るのが苦手な子供のようだ。過去を思い返すことの無い彼には慣れない作業だったのかもしれない。かなりの時間、立ったまま思考を回転させていた。
じれたヘッケラーが話を変えようとしたときにやっと、重たげに口を開く。
「……俺と、フリードリヒ、クララは旧い。セバスチャンはその後で、ファニーとシューマンは新しい」
「細かい順は、覚えていないのね。そのクララとかファニーって?」
「クララはいつも黙って立っている女だ。フリードリヒは口が軽い。ファニーはソファーで遊んでいた二人の内の女の方。シューマンは子供」
「ああ、なるほど」
ようやく顔と記号名の整理がつく。なんとなくだが、番所の中での優先度のようなものも、古参であるほど高い気がした。
あるいはこうやって記憶の断片を探っていけば、彼らの来歴、そして自分自身のことも調べられるかもしれない。
ヘッケラーがこれからやるべきことを確認している時に、空虚な部屋を渡って警報が叫ばれた。
「吸血鬼が現れた!!ヴォルフガングとヘッケラー、クララとあとファニーが出ろ!」
兜がいつの間にか消えた。むしるように持った鉄仮面を装着すると、ばきりと鋼が閉ざされる音。
「行くぞ」
「え!?私鎧とか持ってな」
「問題ない。都市がそう判断した」
反論は一切無視。腕を取るやいなや、引きずるように駆けだす。待機場所に入ると、出動を命じられた者たちが装甲を取り付け終えているところだった。
「ちょっと、新入りの分の鎧は?」
ファニーが細く形のいい眉をしかめて指摘する。やはりおかしなことらしいと、ヘッケラーは無意味に安堵した。
「貰ってないから無いぜ。いらねえって都市が考えたんだろ」
セバスチャンが無慈悲に告げる。
「そ。じゃしょうがないか。出動!」
「へえええええ!?」
容赦も逡巡も邪魔とばかりに、鳥兜をつけた騎士たちは、まさに飛ぶような速度で運搬機械へと走っていった。
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