解釈違い

Suzunu

解釈違い

 橘君は僕の高校における、オタク界のホープである。橘君は数多くのアニメ、ラノベに精通していて、数多くの名言を残している。教室にはいつでも、彼と話をするためにファンが集まってくる。彼は口が悪いところがあるが、それ以上に、なんだか言ってる事がリアルなのだ。二次元という、本来現実と相容れないものを語っているのに、見てきたかのような口ぶりでヒロインたちの魅力を語る。力強く意見を語り人を虜にする様は、世界史の授業で見せられたアドルフ・ヒトラーの演説映像を思い出させる。彼の噂はクラス外にまで広まり、今ではオタクどころかクラスでヒエラルキーが上位のリア充までもが彼の話を聞きに来るほどだ。


 僕は彼の一年生の時からの友人で、昔の彼をよく知る数少ない人間の一人だ。僕らは彼女いない歴=年齢の根暗同士で、一年の春頃はコミュニケーションが、出席で呼ばれた時だけの日さえあった。しかし、それは初めのうちだけで、暗いものは暗いもの同士で惹かれあっていった。


 橘君が華々しい毎日を過ごしているのを片目に、僕は相変わらず高校二年生の秋を非生産的かつ漫然と過ごしていた。仄暗い将来から目を背けながら、彼のような魅力のある男になりたいと憧れていた。しかし、今となっては彼が僕の事を対等な友達だと思ってくれてるのかどうかすら不安に思えてくる……。


 ある日、橘君が風邪で休んだ。気のせいかもしれないが、彼のいない教室はいつもより静かで、窓の外から風の音が聞こえた。風に乗ったもみじの葉の赤は心なしか影が差していて、気がつけばもう紅葉も終わりかけている。たまにはこんな日があってもいいかと思った。しかし橘君はその後何日も学校を休み続け、ついに一週間が経とうとしていた。彼の生活リズムはバグってるとは言え、流石に長いと思い始めた頃、僕は担任教師に声をかけられた。


「佐々木、お前橘と家近いし仲よかっただろ、プリント届けに行ってやってくれないか?」

「プリントですか?わかりました。」

「後ちょっと様子見てきてくれないか、インフルとかではないらしい。」

「確かに僕も心配ですね、ちょっと橘君と話してきます。」


 そういう訳で授業プリントと、差し入れの漫画を届けに橘邸へと向かったのだ。




 カメラ付きのインターホンを鳴らして三分位が経ち、郵便受けにプリントを入れて帰ってしまおうかと迷い始めた時、ドアの奥から足音が聞こえてきた。

無言でドアを開けて出てきたのは橘君本人だった。彼はとてもやつれていて、髪はボサボサだったし、明らかに肌のツヤが悪くなっていた。身に纏った魅力というかオーラのようなものが色褪せてしまった気がした。しかし、深いクマの上に鎮座する二つの瞳の、その鋭さだけは相変わらずだった。僕は努めて明るく声をかけることにした。


「久しぶり!プリント持ってきたよ。」

「なんだ、佐々木か。美少女なら良かったのに。」


 インターホン越しに見えてただろと僕がツッコミを入れると、彼は愉快そうにケタケタと笑った。大丈夫そうだな。


 しかし、「大分やつれたね。高一の頃に戻ったみたいだ。」

と僕が反撃した時、予期しなかった事が起きた。我が校の、オタクの帝王たる橘氏の、千里を見通すと言われたその鋭い眼光がみるみるうちに霞み、末期患者の瞳のように濁ったかと思うと、大粒の涙が溢れ出した。この変貌には少なからず衝撃を受けた。


「え、マジかよ。大丈夫か?」

「佐々木ぃ、俺は調子に乗ってたよ……。」

「ごめん、そんなに傷つくとは思ってなくて……。」


僕がオロオロしていると、橘君は涙を落としながら彼の部屋に来てくれないかと頼んだ。



 彼の部屋で聞いた話は僕に再び衝撃を与えた。あの橘君が、ある作品の解釈に困っているらしい。しかもその作品というのは南条咲という同級生から送られたものだった。南条はイギリス人の血が混じったクォーターで、美しい金色の髪をしている。高一の頃は調子に乗ってるだとか、お高く止まっているだとか、悪い噂もあったが、今ではクラスに馴染んでいる印象だった。どちらかといえば体育会系の彼女が彼に作品を持ってきて意見を求めたのは意外だった。僕は彼から、誰にも言わないという条件で五枚の原稿用紙を手渡された。タイトルには整った綺麗な字で、”クリケット”と書かれていた。確かに橘君ではなく女性が書いたような感じがした。たまに誰かが書いた漫画やラノベを読むことはあるが、こんなに緊張しながら読むのは初めてだ。


 読み始めてすぐ、プリントと差し入れを渡してさっさと退散しなかった事を後悔した。

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クリケット


別れましょう。


 貴方はご友人に、「あいつが何を考えているのか分からない」と語っていたそうですね。私は不幸にも、その噂を聞いてしまいました。でも、なんとなくその言葉を予期していたのかしら。裏切られたとか、許せないという気持ちよりは、妙な納得感で肺の中が満たされました。なんだか全てのピースが揃ってパズルが完成したような晴れ晴れしささえ覚えます。私は貴方のことが好きです。今でも好きなような気がします。でも、もう駄目でしょう。私も貴方のことがまるで分からないのです。信頼関係とはお互いを理解して初めて芽生えるものだと思いますし、貴方も異論は無いはずです。何ヶ月も付き合って、まるで理解し合えないなら、別れた方が収まりがいいと思いませんか?


 私達が出会ったのは去年の夏でしたね。私はその頃クラスメイトと馴染めず、誰に対しても刺々しい態度を取っていました。そんな中、声をかけてくれたのが貴方でしたね。登校して駐輪場に自転車を止めていた私に「青山美生そっくり」と貴方はつぶやきました。


 調べてみると、なるほど確かにその時の私のように金髪にツインテールの可愛らしいお嬢様の絵が出てきました。当時の私はアニメや漫画は殆ど触れていませんでしたが、なんとなくツインテールにしていましたね。他にそんな子はいなかったので、私の事だと確信しました。高校に入ってから初めて人から褒められたような気がして心が弾んだのを今でも覚えています。その子がツンデレというのも、誰にでも刺々しい私の態度を温かいユーモアで包んでくれたような心持ちになりました。そして、私は貴方とサブカルチャーに興味を持ちました。その後の顛末は貴方の知る通りです。私達は密かに語り合う仲になりました。


 今思えば、その出会いからして誤解の始まりだったのかもしれません。私はいつだって貴方から優しさを見出そうとしていました。でも最近は、私の中の恋慕がそのような錯覚を起こさせたのだという疑いが、取り除こうとしても、悪性の腫瘍のように胸にこびりついて離れないのです。


 貴方が初めて声をかけてくれた時、私はお母様の形見の自転車で登校していました。あの赤い自転車はペンキが剥げていましたが、お母様の思い出を噛みしめるように乗っていました。貴方や、新しく出来た友達と登校するようになったので、禿げたペンキが周りの方々に窮屈な思いをさせるのではないかと思いました。でも思い出を上書きしたくなくて、新しい自転車を買いました。今でもお母様の自転車は大切にしまっています。


 青山美生。貴方がそっくりだと言った青山美生。彼女が、家が没落しているのに、周囲に本当は貧乏なことをバレたくなくて、無理して元のお金持ちのフリをしているキャラクターだと知った時、私はなんとも嫌な気持ちになりました。その時、ある疑念が沸々と湧いてきたのです。貴方は私の高飛車な態度と、お母様の自転車を馬鹿にしたのではないかと。金髪でツインテールのツンデレキャラはごまんと居るのに、何故比喩が彼女だったのでしょう?青山美生の出てくる”神のみぞ知るセカイ”は私たちとは世代が違いますよね。


 でも、やっぱり本当の事は言わないで下さい。貴方との出会いと、お母様の思い出を乗せた自転車だけは汚されたくないのです。貴方とお話しする事も減ると思うので、この事は言っておきかったのです。我ながら面倒臭い女になったものです。


 貴方もそうだったと仰るかもしれませんが、私は貴方に歩み寄ろうとしました。貴方の好きだというアニメやラノベを読み、理解しようとしました。今だから言いますが、私の好みではありませんでした。ただ、貴方に少しでも近づきたくて、好きなフリをしていました。でも貴方は私の勧めた本はちっとも読んでくださらなかったわね。あの時の私は貴方が多少意地っ張りで自分の趣味に誇りをもっているのかと思っていました。でも、もしかしたら、新しい世界で初心者としてやり直すのが怖いだけなんじゃないでしょうか。


 例外もありましたね。クリスマスの前にみんなでやったクリケットはとても楽しかったです。あれも、私にとって大切な思い出の一つです。また一緒にできる日が来るといいな。


 付き合った最初の頃、クラスでは趣味を公にしていない貴方は、自分の好きな作品をこっそり私にだけ教えてくれましたね。私はそれがとても嬉しかった。私にだけ心のうちを見せてくれる貴方。私も必死に応えようとして、沢山作品を見ました。私なりの解釈を伝えると、貴方は目をつぶって深く考え込みました。あの頃、私は貴方が私の考えの及ばないほど深い事を考えていて、でも口足らずで私を怖がらせたくないからどう伝えていいのか、分からなくて、それで悩んでいるのだと思っていました。学問、とさえ思いました。誰からも理解されない貴方。今考えると噴飯ものですが、ごく少数の人だけが貴方の理解者たり得て、貴方は私にその才を見出しているのかもしれないと思った事さえあります。


 でも、あれは単純にサブカルチャーが、学校で受け入れられないと不安に思っていただけなのね。オタク趣味を公にしても良いと気づいた後の貴方は人が変わったようでした。私も最初の頃は嬉しかった。でも、相手が本当に興味を持っているかなんて分からないのに、休み時間に前日見たアニメについてベラベラと持論をまくし立てる貴方を見て、私は胸が凍る思いがしました。猿山のボス猿とは貴方の事でしょうか。私の誇りだった金髪も、如何にもボス猿のトロフィーって感じがするように思えて、今更黒く染めてしまおうかなんて思っちゃいました。

 

 いろいろと作品に触れたせいで、返って貴方の話す言葉が意外と底が浅い事にも気づいてしまいました。昔は私が何を言っても深く考え込んでいたのに、今では少しも考えずに口だけ動かしているような印象です。昔黙っていたのは、何も考えていないのを隠すためだったのではないでしょうか。


 でも、不思議と、貴方の話はオタクでない人さえも惹きつけるようですね。どうして貴方のツンデレ論がアニメを見たことすらなさそうな方々に受けるのか、不思議でなりません。気がつくと貴方は学校でオタクの第一人者という立場になっていました。なんて恐ろしい事でしょうか。貴方は臆病で失礼な男に過ぎないと、クラスの中で気づいたのは私一人なのでしょうか。


 皆は貴方の事を持て囃しますが、貴方は自分の考えなんて、これっぽっちも持ち合わせていないでしょう。貴方と話す友達は日々変わるから、誰もまだ気づいてないみたいですが、貴方の言う解釈とやらは全て人の受け売りです。私がガルパンを見たときに水島さんって孤独なのかしらと言った時、貴方はガルパンは未履修だと仰いましたね。でも次の日に貴方がお友達に向かって、「ガルパンの水島は、あれで意外と孤独な奴かもしれないね。」と仰ったのを私は友達づてに聞いてしまいました。聞いた私は、恥ずかしくって情けなくって、周りから誤解される程赤面してしまいました。


 何を考えているか分からない不気味な怪物、それが今の貴方の印象です。友達の前で私を愚物と仰るのは結構です。正直にいうと、貴方の優しさにはもう期待していません。でも以前は尊敬していた方達を裏で貶すのはやめて下さい。身の丈にあっていない地位にいる事の不安が貴方にそうさせているのなら、そんな地位は捨ててしまいなさい。


 貴方の事が好きでないという事を、どもりながら言ったら、愛されるかしらなどと考えていた昔の私は正気ではなかった。その言葉を聞いて勝ち誇ったような笑みを浮かべた貴方の顔は忘れられません。

 私の好意が貴方を増長させて、怪物に育ててしまったのなら悲しいです。


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