ワスレナグサを摘んできて 5


「ぁ…十さん!」


 二人で話した丘の上の公園で、俺は無事彼女との再会を果たした。何とかその日のうちに届けようと急いで車を飛ばした甲斐があった。

 時刻は午後18時。遮蔽物がほとんどない丘の上の公園は風がよく通る。昨日会ったからと公園を待ち合わせ場所にしたのは失敗だった。自分の気の利かなさにはほとほとあきれる。


「白峰ちゃん! ごめん、寒かったでしょ」


「いえ、大丈夫です。……! 十さん、その傷!」


 パラマンデスに裂かれた左腕は、応急的な治癒魔術を施した後包帯でぐるぐる巻きにした。痛みは残っているもののあんな簡単に治療できるなんてやはり魔術はすごい。



「こんなの大したことないよ。…それより」


 身をかがめて彼女の胸の前に捧げる。

 群青の包装紙で簡単にラッピングされた、小さな花束。中には琥珀色のワスレナグサが小さな花畑を為している。上質なはちみつのような色の黄は、見ているだけで活力を分け与えてくれそうだ。


「約束、果たしたよ」


「…っ。ありがとう、ございます…!」


 白い髪留めの少女の目が潤む。彼女は必死に涙を堪えながら、最後まで感謝の言葉を紡いだ。



 喜んでもらえてよかった。

 これで、少女の純真な願いを叶えられた。

 花束を持つ右手を彼女の両手が包み込む。そして、


「これは、十さんが持っていてください」


 ほんの少しの力で、小さな花束が突き返された。



===



「これは、十さんが持っていてください」


 そういうと、私は少しだけ花束を押し返す。

 ちょっとだけきょとんとした十さんに、そのまま体を潜り込ませる。大事な花束はつぶさないように、彼の腕の中にするりと入りこんで彼を抱きしめた。


 …昔から、周りの子たちより遅れた子だった。できることも、時間も、人より限られた中で生きるしかなかった。

 だから、みんなができることもできないのが当然。みんなより"先"に進むなんてもってのほか。

 そう思ってた。


 でも、今この時間、この瞬間だけは。クラスの子の誰よりも一歩大人の階段を上っているかもしれない。

 の花を持ち、コイゴコロを胸に秘めて、好きな人を独り占め…


 これが優越感っていうのかな。


「十さん。もうひとつだけ、お願いがあります」



 ……あのとき、

 初めて会ったあのとき。

 私は生まれて初めて恋に落ちた。


 あの日は、初めて尽くしの日だった。

 『一人でおつかいしてみたい』なんて、お母さんに頼んで。…お母さんたちに何でもやってもらうんじゃなくて、自分一人の力で、何かを成し遂げてみたかった。


 それで、お使いのメモをもらって何とかお店についたはいいものの、商品の場所がわからなくて…不安と不甲斐なさで泣きそうになっていると、店員さんが話しかけてくれた。


 それが、初めての出会い。


 十さんは、身をかがめて目を合わせると『お客様、何かお探しですか?』って尋ねてきた。

 …うれしかった。自分のことを気にかけてくれる人が。同じ目線になって、対等に接してくれるのが。"お客様"なんて、大人の人と同じように呼んでもらえたのが。

 自分のことを、認めてもらえた気がして。


 それを偶然の積み重ねだっていう人がいるかもしれない。単なる思い違いだって。

 たしかにそうかもしれない。あの人にとってはただのきまぐれだったり、本当は慌てふためいているを手助けしただけなのかもしれない。十さんみたいな人が世の中にはたくさんいて、たまたま初めて会っただけなのかもしれない。

 それでも、私はあのとき恋をしたんだ。


 お小遣いをもらったら一人で十さんのお店に買い物に行った。大人っぽい子だって思ってほしくて、ちょっと背伸びした雑誌を買って…かわいい髪留めも付けてみた。

 今度は"お客様"じゃなくて、名前で呼んでほしくて…結局、一回も話しかけることはできなかったけど。


 十さんが気付くとお店をやめていて、人知れず私の恋は終わってしまったのかと思っていた。…けれど、あの集会所でまた。

 偶然でもいい。私はそれを運命にしたかった。




 ………私の命はもうすぐ終わる。だけど…、だから。私は生きていたんだって、この世界に告げたかった。私が生きていたんだって、証になるものが欲しかった。


 こはく色のワスレナグサ…濃くて甘そうな黄の色は、私には陽の光に思えた。みんなに元気を分けてくれて、この世界に必要とされてる…お日様に。


 そんなワスレナグサを十さんは摘んできてくれた。どこにあるかもわからなかったものを、命の危険を冒してまで。

 他の誰でもない、私のために。


 たまらなくうれしかった。これが恋なんだって。これが愛なんだって。

 大人の世界にあるものだと思っていた感情を、このぬくもりとともに味わうことができた。




 もし、叶うのなら


「もし、叶うのなら」



 私が生きていた証として、あなたの心に居させてください。

 いつでもあなたを照らし、そして見守り続ける…あのお日様のように。


「私を、忘れないでください――――」










 彼女のことを想う。彼女は…懸命だった。年端もいかない少女でありながら、自分をもって生きていた。

 彼女は自分が生きていた証をこの世界に遺そうとしていた。そんな少女が遺したのは、小さな花束と一つの願い。


 世界が丸ごと変わったあの日、俺は"トクベツ"になったのかもしれない。

 だが、たとえ世界の真実を知っていようが、たとえ未来が聞こえようが、この漫然とした生を変えようとはしなかった。

 堕落した思想はそう簡単に変わるものじゃない。神がこの世界にいないように、生まれた意味はこの世になくて。

 何者でもない不完全な自分は、そのまま何にもならず死んでいくのだろうと。



 しかし、俺は彼女に遺していた。彼女が俺に遺したように、俺も彼女に遺していたのだ。

 その証を。


 俺の遺した証が、彼女の生を幸福にできたのなら。自分の持つ力が誰かを幸せにできるのなら、そのために尽くすのもいいかもしれない。なにより…


 それは自らに使命が与えられたとか、死生観が変化したとかじゃなくて。もっと、純粋で単純な―――


 『君との出会いで変わった俺こそが、君の生きていた証なんだ』って


 そう、彼女に言えるから。

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改竄された現世にて @gonosaki

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