追憶

結城蒼空

追憶

 桜も散り始めてきた生温い季節の真ん中で僕は一人の女子を待っていた。


 「久しぶり」


 しばらく見ていなかった女子の顔。その顔は綺麗で、可愛くて、僕の心はぎゅうと締め付けられる。久々のこの感覚。胸の鼓動が早くなる。この胸の音は彼女に聞こえていないだろうか。


 「緊張してる?」


 そう言い彼女は窓際に座っている僕の隣に腰掛ける。まるで心を見透かされているかのようだ。優しい春の生ぬるい風がカーテンを撫でつつ、彼女のものであろういい匂いを運んでくる。


 「そんなことないよ」


 僕はそう口にはするが、実際は手が震えるほど緊張している。

 日向巡凛――。彼女の名だ。僕が初めて心の底から好きになった人。今でも忘れられない人。


 「確かこの教室が私たちが初めて出会った場所だったよね」


 「あぁ、そうだね」


 「懐かしいなぁ。 ここで好きな本の話をしたり、先生の癖をモノマネしてみたりしてたよね」


 本当に懐かしい。僕たちが中学時代を過ごした教室。椅子と机が綺麗に並べられた何の変哲も無い教室だけれど大切な思い出の場所だ。それもたった一年前のことだけどそれが遠い夢物語だったかのように感じられる。


 「放課後、みんな帰った後に二人だけ遅くまで話してて先生に怒られたりね」


 彼女は楽しそうに笑みを浮かべながら、思い出を語る。僕はこんな彼女が好きだったのだ。純粋無垢な性格と無邪気な笑顔。子供っぽいけどそこもまた彼女の魅力だと思う。


 「ねえ、巡凛。 僕たちって側から見たらどういう風に見えていたのかな」


 「どうだろうね。 恋人同士とか?」


 恋人。その言葉を聞いて、僕は自分の心が跳ね上がったのが分かった。


 「恋人同士か……。 そうなれたらよかったな」


 僕は独り言のように呟く。自分でも恥ずかしいことだと思うが今でも彼女とのトーク履歴や一緒に撮った写真とかを見返す。その度にこの子が彼女だったら……。なんて考えてしまう。


 「じゃあさ、やってみよ恋人。 今日一日恋人同士になるの」


 彼女の目はキラキラしていた。こんな目を向けられてしまったら頭の中で考えていたことも全て消えてしまった。


 「さ、行こ!」


 巡凛が僕の手を引く。ふと昔のことがフラッシュバックしてドキッとする。

 中二の修学旅行のこと。バスの隣の席で寝ていた巡凛が僕の手を握ってきた。今思うと中学生の手が触れ合っただけで気になってしまう現象のようなものだが、その時の俺はずっとこの手を離したくない。ずっとこの時間が続けばいいのになんて思っていた。

 ふと、窓の外を見てみるともう日が落ちかかっていた。


 「どこへ行くんだ?」


 僕は自分の前を行く巡凛に聞く。


 「月が見える丘だよ」


 この街のはずれに街を一望できる場所がある。街の光と月の光が同時に見れるまさにロマンチシズムな場所。中学生の頃は夏祭りの帰りとかに仲が良い人たちと行っていたりしていたが、高校生になってからはご無沙汰だった。


 「高校で部活とかやってないの?」


 「一応バドミントンやってるけど……」


 巡凛に手を引かれながら、僕はオレンジ色になった街を歩く。この時間になると夕飯の買い物だとか、学校の帰り道だとかで人が少しばかり多い。


 「どーせ続いてないでしょ〜」


 「あぁその通りだよ」


 「やっぱり〜」


 そう言って彼女はふふっと笑う。本当可愛らしい笑い方だ。巡凛は僕の性格や癖を知っている。だから僕が授業中ノートを取らなかった時にはノートを貸してくれたり、毎日課題を教えてくれたりして世話を焼いてくれた。そんな怠惰な性格の僕に対して、巡凛は勤勉と言うべきなのだろう。何事にも真面目で模範生徒と呼ばれるような存在だった。そんな彼女が僕は少し羨ましかった。



 「ついたよ」


 「ついたな」


 ここについた時には辺りはすっかり暗くなってしまっていた。少し見下ろした視線の先には生活の光で輝いている街の姿があった。森の中に少しだけ開けていて、ベンチがあるだけのこの場所から不思議なパワーのようなものを感じる。


 「ほんとに綺麗だ」


 僕はフェンスに身を任せ今のこの時間に耽る。


 「私、なんか辛いこととかあった時はここに来ていたんだ〜」


 ここに来てからずっと景色を眺めていた巡凛が口を開く。


 「そうなのか?」


 「うん。 ここに来ると何もかも忘れられるっていうか、現実から目を背けられるんだよね」


 僕にはその言葉がすごく重くのし掛かった。今まで彼女からこういう言葉を聞くことがなかった。彼女も一人の女の子だ。何に対しても強いわけじゃない。そう感じる。

 巡凛はそういうと、ポケットの中からお守りを出す。


 「まだそれ持っていてくれたのか」


 「当たり前だよ。 これを握りしめているとどんなものからも守ってくれるような気がして。何があってもこれだけは離さなかったんだ」


 「そうか。 役に立ったなら嬉しいな」


 僕はニヤリと笑ってみせる。それに応えて彼女もニヤリと笑う。月の光が巡凛を照らす。その光景は僕が今まで見てきた中で間違いなく一番綺麗だった。まるでかぐや姫の様な――。その刹那的な光景を僕は永遠にしたいと思ってしまう。


 「ねえ、輪廻転生って知ってる?」


 「仏教とかで信じられている生物は死んだらまた何かしらに生き返るみたいなやつ?」


 「まぁ大雑把に言えばそうかなぁ」


 「それがどうしたんだ?」


 「私は何に生き返れるのかなってさ」


 「そんな寂しいこと言うなって。 反応に困るだろ」


 「そうだよね〜ごめんねっ」


 巡凛はあははって笑いながら誤魔化すが、その顔に笑顔はなかった。僕にはわかる。


 「いつまでもずっと君の隣で笑って居たかったよ。 今日みたいに綺麗な夜景を見たり、恋人みたいに手を繋いで街を歩いたり、教室でずっとお喋りをしてたかった……」


 巡凛の目からは涙が溢れる。その横顔は綺麗だった。静かな空間にすすり泣く声が響く。僕は一体何をしているんだろうか。彼女に何もしてやれなかった。不甲斐ない自分に腹が立つ。そして僕は巡凛の腰に手を回し抱きしめる。巡凛の体温や息遣いまでもが聞こえる距離。


 「ずっと好きだったよ巡凛。 心の底からこれからも」


 これが僕が巡凛にできるせめてもの最後の償いだった。


 「私も大好きだよ」


 ずっと聞きたかったその言葉に僕は胸がいっぱいになる。


 「ねえ、いなくならないで巡凛」


 「ごめんね。 もう時間みたい」


 「嫌だよ。 ねえ、ねえってば――」


 僕は巡凛をより一層強く抱きしめる。けれどその感覚は少しずつ薄れていく。


 「本当にありがとう」


 最後に彼女はこう言ったような気がした。気付いた時には僕の腕の中には彼女は居なかった。

 僕はしばらく動けなかった。巡凛のいない現実に戻ってきたのだと認めたくなくて。

 日向巡凛は高校生になった後、急病でこの世を去っていた。彼女の持っていたお守りは僕がお見舞いの時に持っていったものだ。彼女は自分の運命が変えられないと知っていながら、僕のあげたお守りという無意味なものをずっと持っていたのだ。


 「ほんとばかだよなぁ」


 僕は誰もいなくなってしまった場所で一人呟く。僕の心のダムは壊れ、涙が止まらなかった。

 僕のポケットから落ちた巡凛とお揃いのお守りが月の光に照らされる。彼女は今どうしているのだろうか。どこかで見守ってくれているのだろうか。 


 僕の胸が少しばかり温かくなったような気がした。

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追憶 結城蒼空 @Asunoyuu

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