「光」

「しばらくはうちに泊まるとして、仕事の方はどうしましょうか」

 助手席の寛周が後部座席に座った暁に、首だけ振り返った。

「あんた、紹介してやればいいじゃん。親父のコネなんていくらでもあるでしょ」

 運転したまま、芙雪が会話に参加する。

「それはいくら何でも世話になりすぎだって。仕事くらい自力で探すよ」

「でも、前科持ちって雇ってくれるとこ、だいぶ限られるんじゃないの?」

 即座に断った暁に対し芙雪がストレートな物言いで返す。

「まあ、いろいろと当たってみる」

 あっけらかんとした態度の暁に、寛周が口を挟んだ。

「どうして、父の後ろ盾を断ったんですか?」

 責める風な物言いに芙雪は「ちょっと、」と止めようとするが、寛周が遮る。

「情状酌量の余地が認められて、六年と九ヶ月で出られたものの、本来ならもっと軽くしてあげられたのに……」

 寛周の心にはずっと、くすぶったその思いがあった。暁とは大学に入って知り合ったが、暁の短絡的な性格に何度も救われていた。

 金を使わない遊びだって、いくつも教えてもらった。何より、親が政治家だというのを一切気にしなかったところを、父にも気に入られた。

 全員が黙り込んで、車内の空気が一気に重くなる。車の走る音だけがこだまする。

「ありがとな、チカ」

 寛周が思わず振り返ると、暁が笑っていた。

「弁護士のことも、いろいろと。親父さんにもすごくお世話になった。俺のことずっと気にかけてくれて本当に助かった。でも、これでいいんだ。今まで俺は人の力に頼ってばっかだった」

 暁が吹っ切れたように話し始める。

「俺がしたことは愚かだった。今思うと、本当にバカだったよ。けどあの頃は、復讐するためだけに生きてた」

 暁は過去を振り返り、自嘲気味に笑う。

「実際ヤツが息絶えたのを目の当たりにして、俺がしたかったのはこんなことだったのか、って自分がちっぽけに思えた。いきなりどうでもよくなった」

 寛周と芙雪は何も言わず、暁の言葉を受け止める。

「周りの景色も、自分の感情も、すべてが褪せて見えた。だけどさ、『あいつ』が現れたから、俺はまた生きる気力を取り戻せた。どんな顔だったか、もうぼんやりして思い出せないけど……寛周は覚えてるかな」

「あの時の少女、ですね。やっぱり彼女は暁くんにとって……」

 寛周が独り言のようにつぶやいた。

「あら、暁ちゃん彼女いたの? お姉ちゃんに隠してたのね?」

「違います」

 寛周が代わりに答える。

 芙雪は苦笑して、わざと明るい声を出した。

「まあ、さ! 過去の過ちはどうしようもないし、これからのこと考えよっ!」

「ふゆ姉……」

「ワタシは、暁ちゃんのこと弟みたいに可愛く思ってて、それはずっと変わらないよ。暁ちゃんがどんな罪を犯しても」

 芙雪はひたすら前を見ながら、暁に微笑みかける。

「本当に、ありがとう。二人とも、いっぱい迷惑かけてごめん」

 頭を垂れた暁の声には、わずかに涙が交じっていた。寛周と芙雪は一瞬互いを見合って、頷く。

「ひとまずは、暁ちゃんの生活用品買わなきゃね?」

 芙雪はショッピングモールに向け、車を走らせた。


「ちょっとぉ、お財布すっからかんなんだけど!」

「それは芙雪が自分の服とかアクセサリーを買うからでしょ」

 ショッピングを終え、運転手は寛周に交代していた。家とは違う方向に切り替え、車はスピードを増していく。暁が違和感に気づき、前に座る二人の様子を窺おうとする。

「うちに帰る前に寄りたいところがあるんですけど、付き合っていただけます?」

 不思議そうな暁の視線を受け、寛周が可笑しそうに笑った。

 次第に、薄いブルーのきらめきが顔を覗かせる。

「ここって……」

「思い出の海、なんですよね?」

 車は浜辺の近くで止まる。夕日になりかけの日差しを浴びて、波が静かに漂っている。

「ちょっと歩いてきていいか?」

「ごゆっくりどうぞ」

 寛周が笑顔を作る。そう言うだろうと思った、と言わんばかりの瞬時の返答だった。

 暁はありがとうと言って車から降り、浜辺へと足を踏み出す。そんな暁を、芙雪と寛周は車の中から優しく見守っていた。


「うまくいくといいね。あ、もしかしてワタシたちってキューピッド?」

 全開にした車の窓枠に芙雪が肘をつき、外を眺める。芙雪の言葉に、寛周がため息をつく。

「そうだね」

「どしたの、そんなに黄昏ちゃって。娘を嫁に出す父親モード?」

 芙雪は寛周という人間のことをよく分かっている、と寛周は思う。その見た目から、不真面目で適当に生きていそうなイメージを持たれがちだが、実は家族のことを一番に気にかけているのは芙雪かもしれない。

「さあ、どうだろうね」

 姉弟だからこそ、プライドがあり、安心感がある。何も言わなくてもきっと、伝わっている。

「あんたたちって何で友達になったんだっけ」

 外の景色に目を移したまま、唐突にそう芙雪が尋ねる。

「何なの急に。大学の学部が一緒でって話はしなかった?」

 芙雪の方を横目で見やる寛周。メガネの奥は訝しげな目をしている。

「それは聞いたけど、学年も性格も違うじゃない。きっかけとか、あったんでしょ?」

 なぜこのタイミングで聞きたがるのかは分からないが、こうなると、とことん引かない性格なのは重々承知の上で寛周は食い下がってみる。

「あると言ったらあるけど……今話さないといけないことなの」

「私は聞きたいけどなあ」

 案の定、意地の悪そうな顔で弟を見つめている。そんな姉に向かって、寛周はわざとらしくため息をつく。

「……じゃあ簡単に言うと、僕は大学で一切友達も出来ず、研究に没頭してサークルにも入らず、一人ぼっちだった。それで暁くんが話しかけてくれた。以上」

 十五秒で説明が終わった。

「それだけっ?」

「そうだけど」

 素っ頓狂な声を上げた芙雪に対し、そっぽを向いてあしらう寛周。もちろん、芙雪は引き下がらない。

「いやいや、もっとあるでしょ! 出会いのエピソードが! 今の説明だと、チカちゃんがただコミュ障の陰キャラ理系オタクってことしか分かんないよっ?」

 うるさいな、と悪態をつきつつ寛周はしぶしぶ口を開く。

「……チャラい集団にからまれてたら、そこに暁くんが現れて助けてくれたの。僕が首席で新入生代表として入学したから、目立ったんじゃない。その集団がたまたま暁くんの知り合いで、うまく言いくるめてくれたってだけだよ」

「そっか~、そうだったんだ~。うんうん、二人の間にそんな物語が……。お姉ちゃん、感動しちゃった」

「はいはい」

 芙雪が腕を組み、いかにも大げさに頷いている。頷きに合わせて、芙雪の明るいショートボブヘアーがさらりと揺れる。目の前に広がる海は遠くまで晴れ渡り、車越しでもその壮大さが伝わってくる。

「でも、本当に暁ちゃんみたいな良い友達、見つけられてよかったね」

 ふいに芙雪が寛周をまっすぐに見つめ、微笑む。寛周が一瞬、はっとする。

「ありがとう。姉さん」

 自然と笑みが少しだけ、こぼれた。


 砂の音がする。踏むたび、さらさらと暁の心を撫でていく。足に残った砂の感触が、いつまでも途切れない。

 暁は立ち止まって、水平線の向こうに目を細める。誰もいない砂浜。船もいない海。遠い昔、父親と母親に連れられて来た時は、たくさん人が泳いでいた。まだ寒いから、人なんて来ない――。

「……雨」

 一粒、雫が当たって、急にしとしと降り始めた。

 海の向こうは、晴れやかな夕空。車に戻ろうかとも思ったが、暁はなぜか惹かれるように足を止め、砂の上にしゃがんだ。


 ざ、と自分のものではない音が唐突に交じり、暁の頭上に影が出来る。暁が弾かれたように仰ぐと、女性が暁に向かって半分、傘を差し出していた。

 ――赤い番傘。胸ほどまでの金髪。幼さの残る端正な顔立ち。その人物をはっきりと認識して、暁は目を見開く。彼女のワンピースが、一瞬強まった風に揺らめく。

「こういう天気、狐の嫁入りって言うんでしょう?」

 そう言って、彼女は綺麗に笑った。

「キ、オ……? 本物か……?」

 六年半ぶりに、その名を呼ぶ。暁は立ちあがり、キオに渡されるまま傘を持つ。

「さすがに私の影武者なんていないわよ」

 苦笑しつつ、キオは車の止まっている方に目を向ける。

「まさか、寛周……博士は知ってたのか」

「あの人が政治家の息子で助かった」

 したり顔のキオ。暁と視線が交わる。

「本当に、久しぶり。ちょっと老けたわね。髪も、短くなって。でも、そっちの方が似合うんじゃないかしら」

「どうして、ここに?」

 戸惑ったまま、暁は純粋な疑問を投げかける。緊張した面持ちで、一呼吸置いてキオが答えた。

「私ね、日本に住んでるの。私、今は都内で塾のセンセイやってるのよ」

「え……」

 暁には聞きたいことが山ほどあった。質問が矢継ぎ早に口から出そうになり、キオに手で制される。暁が口をつぐんだのを見て、キオは続けた。

「あれから、母国に帰ったわ。初めて日本に来て、アキラと出会って、日本を離れて……考えたの。私がこれから何をやりたいのか」

 暁は黙って耳を傾ける。夢でも見ているかのような表情で。

「何年もかかって、やっと見つけた。私は、もっと日本を知りたい。日本の人にも、私の国の事を知ってもらいたい。違う国の人同士の繋がりを大事にしたい。それを実現しようと思った。アキラのいる、この東京で。……私、もう二十二歳になったのよ」

 キオの話す言葉一つ一つを頭の中で吟味していた暁が、キオに向かって笑いかける。

「確かに、成長してる」

 暁が視線を下げた先に、キオの控えめな胸が映った。

「身長だって毎年、三ミリ伸びているし」

 キオが腰に手を当て、わずかな膨らみを主張させる。

「うん、三ミリは大事だよな」

 暁は無意識に、キオの頭に手を乗せる。キオも振り払うことはせず、されるがままになっている。ふと急に、暁が手を下ろす。

「ありがとう、キオ。でも、俺はキオにそんな風に思ってもらえる人間じゃない。そんな資格ない」

 暁が眉を下げ、悲し気に笑う。負の感情に呼応するかのごとく雨が勢いを増す。暁は身震いをした。

「自分を責めるのはもう止めて」

 キオが、傘を握った暁の手を包み込むように自身の手を重ねていた。暁が困惑した様子でキオを見つめる。

「アキラは毎日、償ったでしょう? 狭い檻の中で、六年と九か月も」

 キオのまっすぐな目は、きっと誰だって逸らすことは出来ない。出会ったときからそうだった。忘れたなんて、嘘だ。

 光が強くなる。雨粒が反射して、まぶしくきらめく。橙に染まりだした雲は、太陽を遮ってときどき影を作る。

「……いつも、キオには助けられてばっかだな。いや、キオだけじゃなくて、俺はずっと守られてるだけだった」

 暁は目尻を拭い、こみ上げそうになる感情を抑える。

「俺さ、これから自力で必死になって生きていきたい。いっぱい恩を返さないといけない人がいるんだ」

 キオが微笑んで、頷いた。

「もう少し経ったらさ、一緒に桜を見に行かないか? キオがよければ」

 キオを優しく見つめた暁の目には、確かに光が差していた。

「ええ、もちろん。私も、アキラと見たいと思ってた」

 いつのまにか雨は上がり、暁が傘を閉じてキオに返す。あのころよりも少し大人びた少女に、鮮明な赤はよりいっそう馴染んでいた。

「この傘ね、博士の家に置いて行ったじゃない。ずっと保管してくれてたみたい」

 二人は自然と手を繋ぎ、波のかかりそうな浜辺の際を歩き始める。

「そういえば、言い忘れてたわ」

 穏やかな時間を楽しんでいたキオが、急に立ち止まった。

「ん?」

 暁がキオに向き直る。そこには、最高の笑顔があった。

「ただいま、アキラ」

「あー……それ、俺から言うべきだったな」

 暁は、キオと繋いでいない方の手で自分の頭をかく。一つ、咳ばらいをした。

「おかえり、キオ。そして……ただいま」

「おかえり、アキラ」

 笑い合った二人は、再び歩みを進める。

「つまらないかもしれないけれど、聞いてくれる? 私の話。アキラの話も、たくさん聞かせて」

「いくらでも」

 光の波長が長くなっていく。海も、砂も、徐々にオレンジで彩られる。引いては寄せ、寄せては返す、波のさざめきが二人を包む。

 柔らかい潮風が春の訪れを祝福していた。



                                  ―了―

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ライツ 春留'ing @haling

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