イマジナリー武蔵野

江戸川台ルーペ

さようなら

 僕は、生まれてから一度も武蔵野という土地を訪れた事がない。多分、ただの一度もない。多分、というのは、誰かの車に乗ったり、電車に乗って移動した際、実は武蔵野という土地の一角を横切った【かも知れない】という程度ならあり得るからだ。


 僕は今千葉県に住んでいるのだけど、子供の頃、海外に住んでいた事がある。親の海外赴任に付き合わされたのだ。周囲に日本人がいた事もあったし、いない事もあった。静岡に住んだ事もある。チャレンジャー号が爆発した年だ。それは土曜日で、鮮やかな青空に ──というのは別の話になるのだけれど。


 何故、僕は武蔵野に一度も住まず、外国へ行ってしまったのだろう。あるいは、静岡県でおぼろげに思春期を過ごしてしまったのだろう。順番としては、千葉県から武蔵野へ移り、そして、そこから静岡なり、外国なり行けばよかったのだ。順番としてその方が真っ当だと思う。しかし幸か不幸か、僕の人生は武蔵野という場所と一切交わる事もなく、意識する事もなく、日々過ごしてきた。過ごしてきてしまった。


 何故、僕は今まで武蔵野という土地に、一度として意識を向けた事がなかったのだろう。


 この数週間、僕は武蔵野に囚われた。武蔵野という土地について考えれば考える程、そこには僕自身の一部が含まれているようにさえ思えた。何故武蔵野なのだろう? それは分からない。


 武蔵野という土地についてありとあらゆる知識を絞った。もちろん、これといった、分かりやすい武蔵野について(東京タワーとか、登呂遺跡とか)の知識は無かった。一切、無かった。武蔵野は日本にある、という事くらいだ。実際に、「武蔵野は、日本にある」と口に出して言ってみた。ひどい日本語の教科書みたいだ。


「武蔵野」という駅を思った。

 知らなければ、想像すればいいのだ。

 実在するか否かは分からない、武蔵野駅。

 手元のスマートフォンはOFFのままだ。

 どうせ調べた所で、知ったつもりになって二秒後に忘れてしまうのだ。


 秩父が近い、という知識は辛うじて僕の奥底にあったので、僕の想像上の「武蔵野」という駅は、緑が深い森林まで徒歩数分の、オンボロな駅舎という事にした。さすがに東京だから、無人駅という事はない。自動改札が二台くらい設置されている。ピッ。ピッ。


(ピッ)


 人が改札を通る様子を、目つきが悪い、独身の実家住まいの駅員が監視している。彼は、自動改札を利用した、ありとあらゆる悪事について知り尽くしている。五十も近いくらいだろうか。そろそろ、両親の介護も視野に入れて人生を設計しなければならない。長男。彼はいつも長男であることを自覚している。その責を忘れた事はない。毎朝忙しそうに改札を通る、一つ結びの妙齢な女性に、彼は何となく心を寄せている。特に人目を引くような美人ではないが、彼女の眼鏡の細い柄の先にあるひそやかな耳の形に、どうしてか目を奪われてしまうのだ。


(駅構内を抜ける)


 ささやかなロータリーがある。昔懐かしい、錆びたバス停が吹きさらしのままに駅前に設置されていて、そこにマフラーを巻いた高校生が数人、単語帳をめくりながら並んでいる。もうすぐ期末テストなのだ。季節は冬だ。武蔵野にはどんよりとした冬空が似合う。恐らく、似合うのだろう。赤ら鼻の高校生は単語帳になど、もちろん、興味が無い。前か後ろか、どっちかは知らないけれど、毎朝同じ列に並ぶ気になる異性、あるいは同性の、目には見えない小さな佇まいに、冷たい耳を澄ませている。


(空へ向かって飛ぶ。放射状に雪が向かってきて、やがてフワリと見下ろすように、雑木林の一角を捉える)


  誰かが両方の膝を白い大地に付け、吐くような格好で四つん這いになっている。きっと、随分と長い間そのままの姿勢でいたのだろう。伏せた睫毛さえ白い。誰だろう? 女性だ。二十歳半ばだろうか、年齢に不相応な、仕立ての良い赤いコートを着ている。しかし、雪が降り重なり、赤は既に白に埋もれ消え掛かってしまっている。俯いた青白い横顔から表情は伺えない。白い雪の一点から、彼女は視線を決して逸らさない。そこには母が ──父の理不尽な暴力によって死を迎えた母が埋まっているからだ。それを埋める手伝いを彼女はした。絶対言うんじゃないぞ、約束だぞ……。


 全ては想像でしかない。

 武蔵野で、楽しかろうが、楽しくもなかろうが、今日も一日をやり過ごし、大勢の人間が生きているのだろう。僕も何とか生き延びて、安い居酒屋でビールを時々啜りながら、こうして武蔵野を思いながら文章を書いている。まったく、僕はどうしてこんなにも、武蔵野に囚われてしまっているのだろう。どうしてこんなにも、武蔵野で暮らす人々のことについて、思いを巡らせているのだろう。


 コペンハーゲンに住む白人男性の夕食の献立について。


 あるいは、バンクーバーの市街バスの乗降口で、カンガルー革の分厚い財布に太い指を突っ込み、悪態を吐きながら小銭を探す老婆について、僕は考えた事はない。彼・彼女らは、無事に一日を過ごせただろうか? 顔も見た事がない、想像上だけの彼らに、僕は声を掛ける。


「元気かい?」

 え、日本語?

 バスは出発する。


 武蔵野が終わろうとしている。

 誰もがそこから居なくなり、やがて雑木林は枯れ果て、駅は没落し、虚な鉄骨が強い雨に打たれる音だけが聞こえる世界になるのだろう。


 僕はこの先、一度として武蔵野の事を考えない。まるで何事もなかったかのように、明日からという束の間の未来に武蔵野が一瞬たりとも思考に現れる事はない。コーヒーカップを手にする時も。ボールペンの芯を替える時も。コンビニの前を通る際に、空調の冷たさを足元に感じる時も。



 ささやかな世界の終わり。



 誰かが言った。

 聞いたことがある台詞、誰かの声。



 さようなら。

 さようなら僕の武蔵野。

 



(終)

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イマジナリー武蔵野 江戸川台ルーペ @cosmo0912

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