episode:3-16 【晴読雨攻】

 一色が近くにいるからか、セーラは俺の耳元に顔を寄せて、コソコソと耳打ちをする。


「というか、何で告白なんてしたのさ。恋愛がダメそうならアキトくんのために作戦とか色々練ってたのに」

「その場の勢いだ。さっさと行けよ」

「これだからアキトくんは……。勝手なことをされても困るんだよ?」

「うるせえ」


 この歳まで恋愛経験どころか初恋すらまだだった俺に何を期待しているのか。


「あっ、コーヒー淹れました──って、ああっ!?」


 一色が俺の前で転がしていたクレヨンに躓いて転けそうになり、コーヒーカップが飛んできたので仕方なくコーヒーを被りながら一色の肩を支える。


「……慌てすぎだ、一色。肩、大丈夫か?」

「す、すみません。あっ、や、火傷とか」

「大丈夫そうだな。……セーラ、さっさと行けよ。真面目に」

「いや、こっちの方が面白そうなんだし」


 セーラはニヤニヤとしながら俺にタオルを手渡し、そのタオルで頭から被ったコーヒーを軽く拭う。


「面白い面白くないじゃないだろ。他のやつの負担にもなるからさっさと行け」

「えー、あいあいー」


 しっし、とセーラを追い払いながら、ワタワタと慌てている一色に笑いかける。


「大丈夫だから気にするな」

「えっ、何この扱いの差」

「分かるだろ。理由」


 わざとらしく不満そうな顔を見せた後、ケロッとした様子で外に出て行く。

 というか、屋外でも白衣のままなんだな、アイツ。


 一色にタオルでわちゃわちゃと髪を拭かれ、もう十分だから止めようと一色の手を握る。


 途端に手の動きがなくなり、顔を真っ赤に染め上げた一色と目が合う。


「あ、あぅ……え、えっと、な、何でしょうか」


 奇しくも少し前に告白したときと同じような状況、同じ場所。ばっと手を離して、タオルで顔を拭くふりをして表情を誤魔化す。


 絵の衝撃やコーヒーをかけられたことで有耶無耶になっていたが、今更ではあるけれど、どんな顔をして一色を見たらいいのか分からない。


「え、か、顔火傷したんです?」

「いや……」


 タオルを取りながら、一色から顔を逸らす。


「……邪魔して悪いな。セーラを借りたくてな。気にせず描いてくれ」

「い、いえ、気になりますよ。んぅ……火傷は、してないみたいですね。 ごめんなさい、その、転けて」

「一色に怪我がないなら別にいい」


 ぺこりと頭を下げた一色は、そのままぺたりと床に座り込む。


 俺だけ椅子に座っているのも気まずく、近くにある椅子を一色に勧めるが、どうにも椅子があまり好きではないらしく気乗りしない様子である。


 上から見下ろすのも気まずいので、椅子から降りて床に座る。

 三角に膝を折って座っている一色は、落ち着かなさげに白い素足の指をグーパーと繰り返して動かす。


「……あれ、手の絵か?」

「えっ、あっ、はい。どうですか? 描いてる途中なんですけど」

「珍しく、写実的じゃないな」

「ん、そうですね。見た目通りじゃないです」


 話が途切れる。


「上手くいっているようで良かった……が、無理はするなよ」

「あ、は、はい。あの、何かあったんですか?」


 青年に襲われたことを言うべきだろうか。ほんの少し迷って、ゆっくりと首を横に振る。


「ここと暦史書管理機構を行き来するのは大変だろ。一色が良ければ、暦史書管理機構の部屋を借りてそこに居住スペースを作るつもりで、その部屋を見繕ってきてもらおうとな。あのトンネルの中の造りはセーラが詳しいから」


 適当な嘘をつき、ついでに一色の安全を確保出来るようにする。


「そこってアキトさんのいるお部屋です?」

「いや、別の部屋に決まってるだろ」

「んぅ……お引越し、ですか」

「やっぱりしんどいか? 面倒なら、俺も手伝うが」

「えっと、そうじゃなくて、知らない人がたくさんいるのは気まずいかな……って」


 一色は気弱そうに頰をかく。俺やまどか相手には人見知りをしていなかったが、どうにも暦史書管理機構の連中を相手にすると弱気になるようだ。


 一色なりの警戒心の表れだろうか。それとも……俺が斬られてから、いつも少し怯えているように見えるのは、気のせいではなかったのか。


「まどかに頼もうか? 一緒にいるように」

「……あの、何かあったんですか? セーラさんもバタバタしてました、何回も電話してて。その、行き来の手間はありますけど、引っ越すのにも手間がありますし、怪盗さんに頼むようなことでもないですし」


 勘がいい。一色はパチパチと瞬きをして、不安そうに俺を上目で見つめる。


「いや、大したことじゃない。けど、雨が降る度に移動が制限されるのもな」

「……何か隠してませんか?」


 青年のことがバレると、余計な不安を与えてしまう。そう考えて、首を横に振る。


「大丈夫だ」

「……あと、怪盗さんの呼び方が変わってます」

「街中で怪盗って呼ぶわけにもいかないだろ?」


 一色は不満げに口を尖らせて、バッと、急ぐように口元をパーカーの袖で隠す。

 明らかに混乱した様子で目を白黒させて、それから『ふう』と息を吐き出した一色は首をかしげる。


「今、僕、怒ってました?」

「いや、知らないが……怒られたのか? 怒らせるようなことをしたなら謝るが」

「いえ、怒っているわけでも……。ん、んんぅ? ど、どうなんでしょうか」


 なんだこの会話は。

 一色は勢いよく立ち上がってから『コーヒー淹れますね』と俺に言う。

 今の落ち着いていない様子だと、ミスをして火傷でもしてしまいそうに見えたので、続いて立ち上がり、邪魔をしない程度に一色の近くに立つ。


 一色は思ったよりも本格的なコーヒーメーカーの前に立ち、手慣れた様子で扱っていく。


「一色ってコーヒー好きだよな」

「えっ、あっ、はい。いい匂いがするので」

「やっぱり産地とかで味が変わったりするのか?」

「んぅ……そういうのは気にしたことがないですね。いつも減ったら勝手に増えてたので。多分怪盗さんが継ぎ足してたんだと思うんですけど」


 毎度のことながら、まどか頼みすぎる生活だ。

 一色はぼうっと、コーヒーが出来るのを待ちながら、ゆっくりと口を開く。


「……アキトさん。僕」


 俺の名前を呼んだのに、俺の方を向かない。

 言い淀むわけではないけれど、詰まりそうになる口調。何か、言いにくいことを口にする瞬間のようだ。


「味覚がない。か?」

「えっ……あっ、その、なんで、ですか?」

「いや、ビールを間違えて飲むなんて普通はあり得ないだろ。あれ、だいぶ苦いしな」

「あ、そうなんですか。……なんで僕が、そのことについて話そうってしてたのか、分かったんです?

「なんとなくな」

「アキトさんも充分、超能力者です」


 一色は誤魔化すような笑みを浮かべて、俺はその横顔を見つめる。


「……いつのまにか、なくなってました。 絵を描いてるうちに」

「そうか」

「……アキトさんには知ってほしかったので、でも、だからどうってわけでもないので、気にしないでください」

「いや、気になるだろう」

「気になっちゃいますか」

「そりゃ、気にするなと言われてもな」

「……確かに気になる気もします」


 なんだこの会話は。

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画竜転生を描く〜異世界帰りの絵描き美少女を助けたら惚れられてしまいました〜 ウサギ様 @bokukkozuki

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