episode:3-15 【晴読雨攻】
角が俺の肩に手を乗せながら、ポンポンと頭を叩くように撫でる。
「まぁ、世の中を広く見た方がいい。女なんて星の数ほどいるんだぞ、月並みな言葉だけどな」
「……上手いこと言ったつもりのドヤ顔が腹立つな。一色はお前がフラれた相手とは違うんだよ。アイツは、龍人の前に自分から飛び出して人を守ろうとするんだ。そこらの凡俗と同じにするな」
「若干めんどくさいな、時雨」
「アキトくんはシキちゃんのことだとちょっとナイーブなんだよ。察してあげて」
少なくとも、一色はイケメンが好きというような性格ではないだろう。たぶん、きっと。そもそも、関わった人間は少なく、テレビなんて見ないだろうし、人間の顔がどんなのが好まれるとか分かっていない気もする。
「別に、まだ諦めていないからナイーブでも何でもない」
何を差し置いてでも一色は手に入れる。
「……それで、どうする? 私としては一度、別の場所に連れて行くのが一番かなぁと」
「とりあえずそうするしかないが、これといった場所もないからな」
「……私達の隠れ家なら、多少空いてるところあるけど。監禁には向いてないけど」
「閉じ込めて放置ってわけにもいかないからどうにもな。人員が足りない」
「私の仲間は、私以外には武闘派いないからなぁ。任せられない。……まぁ、監禁するかどうかは別として、路上でごちゃごちゃするわけにもね」
頷きながら路上を歩いていると、違和を覚えて立ち止まる。
「あ、ヨミヨミくんの能力かな。反響してる音と道の形が違う。おーい」
まどかの言葉に反応したように路地の一部が、紙のページをめくったかのように景色が変わり、先ほどの青年をベルトで縛り地面に倒しているヨミヨミの姿が見える。
「早かったな。じゃあ、一度機構の方に戻るか」
「ああ、ヨミヨミさん。それなんですが、罠の可能性もあるので別の場所に運ぼうかと考えています」
「……罠? まぁちゃんとした考えがあるなら従うが」
ヨミヨミはまだ意識があるらしい青年を担ぎ上げて車のトランクに詰め込む。
手慣れた様子に引きながら、まどかに目を向ける。
「……暴れるかもしれないから、お前は助手席のままな」
「えっ、悪くないかな」
「この中で一番弱いだろ。何かあったときに取り押さえられないしな」
「怪我してるアキトくんよりかはマシだよ。うう、異能力とかずっこいよ」
それは同感だ。俺もまどかも常人としてはトップレベルの運動能力を持っていると思うが、それでも通用しないほどに青年は強く、そしてそれだけの強さを持っている青年をヨミヨミは簡単に捕らえている。
俺の怪我が治ったとしても、勝てる相手ではないだろう。
「まどかは道案内、ヨミヨミさんは男が暴れないかの警戒を、角は……酒臭いから窓を開けてそっち向きで呼吸してくれ」
「りょーかい。と、セーラにも何か伝えておく?」
「……というか、俺よりも異能力に詳しいから呼んだ方がいいな」
「シキちゃんも呼ぶの?」
「こんな危なっかしい奴の近くに一色を置けるわけないだろ。俺が代わりにいれば問題ないだろ」
「フラれた当日によくそういう提案が出来るよね。メンタル強い」
「……ほっとけ。ああ、ヨミヨミさん、セーラって免許持ってますか?」
ヨミヨミは首を横に振る。まどかの隠れ家まで四人を連れて行った後、そのまま一色のところに戻り、セーラに車を渡してくるつもりだったが……ないとなると面倒だな。
「あっ、駅の近くにあるから大丈夫だよ」
「ああ、じゃあこっちに車を置いて行くか」
まどかの道案内を頼りに向かうと、普通のアパートの前で止まるように言われる。
「……隠れ家? なんか普通のアパートだが」
「そりゃ、隠れ家なのに目立っちゃダメだし」
まどかに連れられてヨミヨミと角も降り、角はトランクから青年を取り出して気だるそうに持ち上げる。
青年は意識はあるようだが、縛られた状態でトランクに入れられたせいで車酔いをしたのか、ぐったりとした様子で抵抗もなく運ばれていく。
「アキト、歩いていくなら一応気を付けろよ。特に尾行とかはな」
「了解……あと、まどかが話したがらないことを無理に聞き出すとかはやめておいてくださいね。味方同士ですから」
「あー、怪盗業についてか。分かった」
ヨミヨミに車の鍵を投げ渡して別れる。
特に急ぐ必要もないので、尾行がないかを確かめるために無駄に遠回りをしながら駅へと向かった。
電車で移動してから、また歩いてアトリエへと移動する。
一色に会いたいような、会いたくないような。
無駄に回り道をしているのは尾行の対策のためなのか、それとも一色と顔を合わせるのが気まずいからなのか、自分でもよく分からない。
路地に着くと、やはりいつものように扉が存在していないように見える。けれどそれは絵でそういうように見せているだけのものなので、実際にないわけではない。
手探りで取っ手を探し、カツリと当たったそれを掴む。
一瞬手が止まり、ゆっくりと開ける。
「一色、セーラ。入るぞ」
慣れた感触の扉が嫌に重い。
心臓の音がうるさくなる、様々な顔料が混ざった匂い。
考えていた通り、絵を描いている一色と、それを見つめるセーラがいる。フラれたことを努めて気にせずに声をかけようとして、一色が描いている絵を見て……手が止まる。声が、息が詰まる。
肺に水が詰められたかのような、溺れるのにも似た異常な感覚が頭を支配する。
それが気のせい、勘違いであることを理解しているが、けれども実感としての体の動きは理性とは噛み合わない。
ぐらりと歪む視界、その場でよろけそうになり踏みとどまろうとした脚が、まるで底無し沼にでも使ったかのように力が入らず、踏ん張ることも出来ずに倒れかける。
そうやって倒れかけたおかげで絵から目を離すことが出来、溺れたような感覚から解放される。
「……ッッ!ハァッッ! 何だよ、これ」
絵を見た瞬間。
目で捉えたのと同時に、俺が理解したいと考えたわけでもないのに、無理矢理に絵に描かれている情報が眼孔から脳へと押し込まれるように情報が流れ込んだ。もはやそれは絵と呼べるものなのか。
壁に寄りかかって倒れないようにしながら、ゆっくりとセーラに目を向ける。
「ね? ヤバイでしょ? 古くて貧弱なパソコンが最新の3Dゲームを突っ込まれたときってこんな気分なのかな」
「……先に言え」
「いや、ちゃんと伝えたよ」
「語彙力が低いんだよ」
「他に言いようも……まぁ、びっくりするだけで害はないし。多分、現状は、少なくとも即効性はない、はず」
絵に対する評価とは思えない言葉。けれどそれを否定することも出来ない。
一色はペタペタと塗っていた手を止めて、ゆっくりとこちらに振り返る。
「……アキトさん? あ、えっと……」
「悪い、邪魔したか?」
「い、いえ、丁度、ちょっとコーヒーでも飲んで休憩しようと思っていた……ところで」
一色はおずおずと絵の具を横に避けて、手を濡れた布巾で拭いて椅子を俺の方に運ぶ。
「えっ、集中するから話しかけるなってシキにゃんが言ったところなのに……」
「ん、んぅ……気のせいです、気のせい。えっと……あっ、い、淹れますね、コーヒー」
一色は顔を赤く染めたまま、パタパタと走って奥に向かっていく。
セーラはその様子を見て苦笑いをしてから俺に目を向ける。
「どうしたの? 何か変な感じになってたけど。もしや告白でもしたとか?」
「……一色から聞いたのか?」
「えっ……えっ?」
目を開いたセーラを見つつ、一色が置いていった椅子に腰掛ける。
「先程話した敵をヨミヨミさんが確保した。懸念要素もあるから組織の方ではなくまどかの隠れ家に連れていった。これ、住所だからさっさと準備していってくれ」
「了解……というか、え、告白したの?結果は?今の様子だったらオッケーだったっぽいけど」
「フラれた。分かったらさっさと行けよ」
「フラれたの? えっ、あー、ま、まぁ気を落とさずに」
「さっさと行けと言ってるだろ……」
大きくため息を吐いて、パタパタとコーヒーを持ってくる一色に目を向ける。可愛い。
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