子どもは親に似て育つ。

 ****


 金髪の2人組は近所の高校の制服を着て、「ギャハハ」と酒で焼けたような声で笑いながら煙草を吹かしていた。

 彼らは一体何に対してゲラゲラと笑えるのか。

 風当たりも強いであろうその人生をどうして謳歌できるのか。

 もしくは本心では泣いているのか。

 ──いや、そんなことは関係ないんだった。

 彼らは法令に違反している、つまるところの悪人なのだから。

 ”悪人に口なし”、僕が彼らのバックグラウンドをわざわざ考えてやる必要はない。

「おいおい、君たちぃ。高校生かい?」

 ずけずけと薄暗い通りに押し入り、舐めた口調で金髪の2人組へ突っかかる。

 恐れることなどない、ループ沙織の能力を持っているこちら側が負けるはずないのだから。

 何度かこっぴどくやられるだろうが、正義に痛みはつきものだ。

 そしてそれも一瞬で魔法みたいに消えてなくなる。

「……なに、なんか用?」

 小さい方の金髪はどうやら困惑している様子だ。

「誰、アンタら」

 背丈の大きい方は鋭い切れ目をこちらに向けて僕らを威嚇する。

 誰……って。

「……悪を裁く正義のヒーローだけど」

 恥ずかしげもなく胸を張って名乗ると、彼らは途端に顔をしかめた。

 ライダーベルトもなければ木村拓哉でもない凡庸な人間が、目の前で自分を”ヒーロー”だというのだから当然だろう。

「もしかして危ない人?」

「糖質じゃねーの?」

「……差別用語はよくないよ」

「ああ?」

「しかも君たちが吸ってるの、タバコでしょ? 煙草は20からだよ」

「は? 何、アンタ」

 正論パンチ、正論パンチ。パンチパンチパンチ。

 こいつらが何も言い返せないの気持ちいいでござる。

「もしかして自分らがカッコいいとでも思ってる? 煙草吸ってる俺カッコいー、みたいな。……いやいや単純に違反だから」

「……だからどうしたよ」

「しかも君たち谷川高校でしょ。あそこ髪染めるの禁止じゃなかった?」

「……ちょっとネーちゃん? こいつマジでなんなん?」

 とうとうグーの音も出ないのか、僕を無視して沙織に話を振る。

 全く歯ごたえがないなあ。

「さっき言ってたでしょ。……正義のヒーローらしいよ」

「そうさ」

 沙織は無感情に1歩引いたところから言う。

「……ハハッ。なんじゃそりゃ」

「子どもはもう寝る時間だぜ?」

 違いねえ、ギャハハ!

 何が楽しいのか汚い笑い声をあげる。

「マジでウケる。ははっ」


 ──ゴスッ。


「カッ……ハ」

「……あんま舐めてんじゃねぇぞ」

 ドスの利いた声と共に突如腹部へ熱い痛みが走った。

 おじさんの拳とは比べ物にならないエネルギーが僕に膝をつかせる。

 ウッ……、絶対許さねえからな。

「ショウ君やる~」

 小さい方が蹲る僕の頭に足の裏を乗せて囃した。

 額が地面を擦り、じわじわと冷たい屈辱が温まった身体を回っていく。

「ぐっ……うぅ」

「あんまり調子に乗らない方がいいぜ、兄ちゃん。ほら、ごめんなさいは?」

「そうそう、センセに逆らったら痛い目見るんだぜ」

 調子に乗ってるのはお前らだ。

 そろそろ時間は巻き戻る、そして僕がお前らを教育してやるよ。

「う、るせえな。……ゲホッ」

 口を開ければ砂粒が入り込んできてむせた。

「うるせえのはてめぇだよっ!」

「授業中におしゃべりすんなって習わなかった?」

 ──ゴスッ! ガスッ!

「ぐぅ……」

 右腕と左腕、それぞれにローキックが一発ずつ入る。

「俺はなあ、お前みたいなやつが一番気に食わなくてなあ。ホントはお前も? 仲良くやろうぜ、底辺をよお」

「……どういうことだ」

「そのまんまだ、俺は頭はワリーけど同類を見る目はあんの」

「……」

「何もできない掃き溜めのクセに、何かしたいからいい人ぶってる。偽善者って言うんだっけ? らしくないぜ、本当はただのクズとして死ぬだけだろ?」

 うるさいなあ、底辺が。

 僕は正義のヒーローで、タイムループしたらお前らなんて。

 ヒロイズムは屈せず、背の低い方の金髪が僕の頭から足を離すと立ち上がった。

「僕は──」

「──勝手に席立っちゃいけないねえ」

 ──ドッ。

 腰に足の甲が食い込んで、慣性のままビルの壁にたたきつけられた。

「あっつ……!」

 ジジッ。

 首筋に熱源を押し当てられる。これはきっと彼らの煙草だろう。

 脳が張り裂けそうな悲鳴を出して再び地面に蹲る。

「これ、正当防衛だから。俺らのシマ荒らされた」

「ギャハハ、そういうことだぜ」

 ビルに打ち付けた頭がジンジンとして意識が朦朧とする。

 軽い脳震盪が平衡感覚を失わせているのだ。

 もういいだろう? 十分だろう?

 早く時間を戻してくれないか?

 タイムループを繰り返して、こいつらを。

「沙織ぃ」

 歯を食いしばって沙織の方を見た。

 しかし沙織と目は合わなかった。

 ゴスロリを身に纏う少女は、目の前の惨状などどこ吹く風で空を見上げていた。

 蹲る僕の体勢からは彼女の目に映る夜空は見えなかったが、夜空を映した彼女の瞳はずっと無機質なままで、まるで僕たちには興味がないようだった。

「……早く戻せよ」

 言葉を発する度身体のあちこちがズキリと痛む。

 沙織はまだ空をぼーっと眺めている。

 そしてこう言うのだ、


「え、戻さないけど」


 ──は?

 戻さないけど?

「……おいどうい──ガハッ!」

 強烈なキックによって肺に入っていた空気が全て漏れだした。

 呼吸が苦しい……。

 痛みと相まって頭が真っ白になる。

 僕は梯子を外されたのだ。

「おいおい、私語厳禁って言わなかったか?」

「ショー君やりすぎっしょ。ギャハハッ」

「こんぐらいじゃ死なんべ」

 下卑た会話は幽かにしか聴こえず、頭の中がぐるぐる回ってこの痛みが現実のものだと思い知る。時間が巻き戻らないなら、僕は彼らに勝てないのだ。

 勝てないならヒーローじゃなくて、ヒーローではないならどうして僕はここにいるんだ?

「あーもー、コイツ動かなくなっちゃったよ」

「そっちの姉ちゃん、こいつの彼氏? やめた方がいいって」

「そんなんじゃないけど」

 彼氏でもなければ仲間でもないらしい。

「しかもメイド服って。こいつに着させられてるんだろうな。かわいそ」

「そんなんじゃないって言ってるよね」

 ギャハハハ!

 不快なノイズが耳の奥を鳴らす。

 呼吸をすれば耳からヒューヒューと音が鳴り、酸素を求める肺は砂粒を吸い込んでえずいた。

「生意気な奴だな。……まあいい。こっち来て遊ぼうぜ」

「こいつよりは絶対いいコト教えてあげるからさ」

「悪いね。タイプじゃな──」

 ──ガッ!

 金髪は遠慮なく沙織の胸倉を掴み、彼女を宙に浮かせた

 襟で首が締まり、みるみる内に彼女の白い肌が赤色に染まっていく。

「やっぱり。エロい体してんじゃん、こいつ」

「さっさとヤっちゃおうぜ」

「悪いな兄ちゃん、お先にいただきます」

「ちょ、ヒド過ぎだって」

 またギャハハ、と2人は笑い合う。……何がそんなに面白いんだ。

 僕は這いつくばったまま何もできない。

 かろうじてまだ立てるが、重たいキックの感触が扁桃体を過剰に刺激して気力が湧いてこないのだ。

「この服どうやって脱がすべ」

「着せたまんまでいいって。メイドコスプレイ」

 沙織は腕を抑えられ無抵抗なまま、目を虚ろに空をぼんやりと見上げていた。

 ──なんでそんな無関心でいられるんだ。

 カチンときた。不良に対してもあるが、沙織に対してだ。

 ”ホンモノの勇気”だとか”主人公”だとかを偉そうに講釈する癖に、自分自身のピンチに全く戦おうとする気がない。

 お前がその気なら、この一瞬はやり直しが効かないんだぞ!

「……チッ」

 室外機に座らされた沙織は服を捲られ、ショーツをするすると脱がされている。

「黒のパンツって、これ俺らのこと誘ってんの?」

「いや、別に」

 しかし彼女は無反応に、まるで空っぽなのだ。

 そしてまるで僕のようだとも思った。

 僕が創り出した子なのだから、似ているのは考えてみれば当然なのだが、しかし僕と彼女は決定的な違いを持っていた。

 ──せめて、空っぽの器なら。プライドくらいは詰め込んでおけよ!

 僕は小説家になりたいんだ。

 情動も、勇気も好きなモノも何もかもない空っぽの器でも、そこだけは張り通してここまで生きてきた。

 こんな状況になってまでも僕は何かを変えたかったのだ。

 プライドだけ詰め込んだ入れ物は、架空の才能を信じていたのだ。

 だから! お前が僕の子なら!


「何も……かも。最初ハナっから諦めてんじゃねぇよ!」


 僕は立ち上がって沙織を睨む。

 人生で初めてお腹の底から声を出した。

 自分でも驚くほどの圧力が口から発射された。 

 その弾丸は殺傷能力を持たず、ビルの壁で何度かやまびこのように跳弾して、勢いを保ったまま繁華街へ飛び出して行った。

「……そっか、叫ぶんだ」

 人は叫ぶんだ。

 自分が認められない概念に出会ったとき、どうしても伝えたいナニかがあったとき、人は叫ぶのだ。

 ……体が高揚する。

 ヘレンケラーが言葉の意味を知ったように、僕は身体を奔り、焦がし凍らし壊し、そして躍らせる”情動”が、確かに現実のものであると観測した。

「こいつ。誰かに気づかれたか……?」

「知らねぇ。けどとにかく逃げっぞ」

 彼らは沙織を地面になぎ倒し、撤収の構えを見せる。

 ──作戦成功。……なんてのは格好つけすぎか。たまたまうまくいったらしい。

「……ぐえっ」

 彼らは腹いせに僕の腹をもう1発殴って光り輝く世界へ抜けていく。

 今日何度目かの地面との抱擁を済ませ、ひんやりとした冬の路地裏が身体の熱を冷ましていく。分泌されたアドレナリンが引いていき立つことすらままならない。

 沙織もまだ空を見つめていて、しばらく僕らはそのままだった。

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主人公になろう! 花井たま @hanaitama

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