正義のヒーローは完全超悪。
「随分とやられたね」
気が付けば冷たいアスファルトではなく、冷たいビルの壁に僕はもたれていた。
沙織は生意気な顔でパチパチと手を叩いて僕を労う。
下手くそな口笛の真似が癪に障る。
「……もっと早く巻き戻せなかったのか?」
1発目の右ストレートがまともにヒットした時点で、既に勝敗は決していたのだから。
「”いいかい? 人はそんな簡単に学べない。痛みを受けなければ何も得られない。”──実はこのセリフ、君の小説からの引用なのだけれど」
「そんなこと書いたっけ?」
確かに僕が書きそうな薄っぺらい格言ではあるけれど。
本当に全く身に覚えがなかった。
「あ。確かに、まだ書いてないかも」
「まだ?」
どう考えても不自然な言い回しだった。
……もしかして沙織は僕の未来を知っている?
彼女はあからさまに”しまった”という顔を明確に見せると、すぐに「……その話は後で」と煙に巻く。
「……それよりも。そろそろまたあの人、ビール缶捨てるよ」
「話の逸らし方が雑過ぎるだろ。……んで、また止めろって言うのか」
身体の節々に痛みがフラッシュバックする。
殴られたのは3分後のことなのに、幻肢痛とも言える傷が僕の身体を満身創痍にさせていた。
「当たり前じゃん、何のために私がいると思ってるの」
そんな馬鹿な。
逃げ場のないループが始まると思うと、憂鬱が立て込めて足が重い。
「……小説のヒロインが現実に飛び出してきて、鶴の恩返しみたいなのが最近のトレンドらしいよ。Twitterとかでさ」
「え? どこで返す恩を貰ったのさ。ホラ、あの人どっか行っちゃうよ、早く」
「……だよね」
寧ろ復讐しに来た方が自然だって何回も言ってる。
溜息を吐けば視線の奥で男がまたビールの缶を投げ捨てた。
あからさまなデジャヴに”この世界はやはりループしている”と雑感する。
僕はさっきの僕の歩幅をなぞるように、一歩一歩を踏み出していった。
「……あの」
「ああ? なんだよてめー」
同じ表情、同じ景色、同じ声音が2度繰り返された最上級の既視感に巡り会うと、既にプレイしたRPGをもう一度なぞっているようで少し気が楽になった。
「ちゃんと、缶を捨ててください」
だから挙動不審になることもなく台詞を発することができる。
男は僕の言葉に反省した表情を見せる。
「悪かったよ……」
だがそれは罠、次の右ストレートを避けなければならないのだ。
「──ってうるせえ偽善者がッ!」
ビュッ!
「うわっ」
パリングもダッキングも心得ていない僕は、男のパンチに対して頭を抱えてしゃがみ込む。
まさしく間一髪、髪の毛を拳が掠めて鋭い音が鳴った。
男の慟哭に反応した群衆が好奇の視線をこちらに向ける。
「あ”?」
本来必中なはずの初撃をかわしてしまえば、男は絶対に当たると思っていたのだろう、僕に追撃をしてくることはなかった。
──離れなくちゃ。
ごろごろと冷たいアスファルトを転がり、必死で男と間を取った。
「……」
「……」
男は明確な困惑の表情を見せていた。
まさか避けられるとは思っていなかったという顔だ。
対して僕もこの状況への打開策を持ち合わせているわけでもないので、ぽっかりと空いた5メートルの間合いを保ち、僕らの戦線が硬直した。
「──あいつヤバくない?」
少し経って場の静寂を破ったのは通りすがりの見知らぬ女子高生。
彼女はスマートフォンを右手に携え、連れと指をさし中年の男を嗤う。
「通報したほうがいい?」「……これだから老害は」「大丈夫かなあの子」
制服を着崩した女の子の声に呼応するように、鋭い棘を持った集団心理が彼らの指さす先──酒臭く、薄汚い、荒んでいる浮浪者のような男へ向けられる。
そしたらなぜだろう、不思議と力が湧いてきたのだ。
この場では”僕が勝つことが正しい”のだと、この場にいる全員に肯定してもらえたからだろうか。
明確なやられ役のヒールと、正義を叫ぶヒーローが存在するリング。
まるでわかりやすいプロレスのようだ。
「お前、なんなんだよ……ッ」
猫背になりかけた背筋をピシりと伸ばして立つと、狼狽えたのは先ほどまで横柄な態度を取っていた男。
彼の表情は僕ではなく、僕らを囲む無数の視線を怯えているようだった。
「もう1度言います。缶を、ゴミ箱へ捨ててください」
「……」
うん。僕は煽っているわけじゃない。
ただこの常識知らずな男を指導し、より良い人間へと導いているだけなのだ。
その証拠にオーディエンスの視線は僕を全肯定している。
おじさん、これ以上動いたら人生終わっちゃうよ?
僕が笑みを彼に向けると、彼はこめかみのあたりをピクピクとさせて、僕に飛びつこうかどうか決めかねている様子だった。
……ということはもう彼は逆上することができないのだ。
「聞いてますか?」
僕に最初のパンチが当たっていれば、その勢いのまま殴り倒すことができたかもしれないが、1フェーズ攻防が終わり、冷静になってしまえば彼はもう檻の中だ。
「……ヴぅ。グッ……。──はぁー」
男は何度か胸に込み上げていたであろう暴力的な衝動を、押さえつけるかのように獣の如きうめき声を発した後、大きなため息を吐いた。
無言で見つめる僕の目──および聴衆の侮蔑の視線から逃れるように、すごすごと植え込みに入った缶を拾い去っていく。
リングからはじき出された彼は賊軍の愚者で──。
「──やった。僕がヒーローだ」
──ガンガンガンガンガン!
勝利のゴングが鳴り響く。
緊張した空気がほどけていくと、手のひらに残ったのは確かな熱さ。
小さなころ苦労して壁ボスを倒したときのような達成感と、小さく空っぽな承認欲求の受け皿が溢れるほどに満たされていく。
”いいね!”が空間を飛び交い、それを受け止めきれない足は竦んで震えた。
「これが……”勇気のチカラ”」
溢した言葉を噛みしめる。
勇気さえ出せば”悪”を正すことによって誰でも”英雄”になれる。
僕はついに世界の心理に気づいてしまったのかもしれない!
……なんてね。流石にそれは自惚れ過ぎか。
「……ねえ」
「沙織。僕は変われるのかもしれない」
「……」
群衆の興味が削がれたのを見計らって、沙織が僕に近づいてきた。
手にした感触を忘れないように握りしめ、興奮気味に僕は言った。
──さて、次は誰にしようか。
「次はどうしよう、今日はもう遅いから明日にする?」
「……」
「まあ僕としては正直まだ物足りないな~ってところではある」
「……」
「……終電まで、とは言わんけどさ。もうちょい付き合って」
「……」
「ほ、ほら。あそこの路地裏で煙草吸ってる不良、あいつらとかどうよ」
「……」
沙織は黙りこくったまま僕を見つめていた。
その無表情の中に僅かな諦念のようなものを僕は感じ取る。
「なあ、一体どうしたんだ?」
「ごめん」
「何が」
「良かれと思ったんだけど、私の間違いだったみたい」
「だから何g──」
「──本当にわからないの?」
「……」
沙織が何を言いたいのか、僕にはまるで解らなかった。
彼女は何かを間違えた?
……そんなことはない。僕に勇気を与えてくれた。
「いや、君には解りっこないよ。私はそれを解ってる」
「癪に障る言い方だな」
「ううん。行こうか、あの路地裏にさ。悪を倒しに行くんでしょ?」
そう言って沙織は指をさす。
金髪の不良生徒2人が待ち構える薄暗い路地裏を。
気味が悪くて、昨日までの僕なら見るのも億劫だったけれど。
「……おう、望むところだ」
今日の僕はひと味違うのだ。
僕と沙織のループ能力ならどんな悪も倒せるだろう。
僕らは肩で風を切って歩いていく。
彼女が僕に何を伝えたかったのか。それだけが最後まで解らなかった。
しかし、そんなことは”悪を倒す”という至上命題の前には些細なことであった。
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