日が暮れた黄昏時。
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駅を数個乗れば、県内有数の繁華街へとたどり着く。
夕暮れだった空は黒く染まり、そのキャンバスに夜の街が明るく光を塗りたくり、喧騒とエンジン音がごちゃ混ぜになって聞こえる。
冷たい茶色のビルの壁に背中を預けて、無意味な溜息をふぅと漏らせば白い煙にピカピカした街の装飾が色を付けて、前を通行するサラリーマンたちの情景にフィルターをかけた。
姦しい通りの中で、まるでぽつねんと自分だけが取り除かれたような感覚に襲われれば、それは僕が曖昧に好きな特別感だった。
「……相変わらずそうやって黄昏れて、悟った風に”何もしない”のが得意ね」
お手洗いから戻ってきたゴスロリ姿の沙織が、僕に皮肉を言わなければ気が済まないのか、今日だけで10数回目の毒を吐いた。
全然関係ないことだけれど、彼女が”トイレに行く”ということに違和感を得るのは僕だけだろうか。
当然彼女も人間だから食事もすれば排泄もするのだけれど、そんな日常を小説で全く書かないという訳ではないけれど、前提として済ましているものだと思っていたから、いざ”お手洗いに行ってくる”などと言われると、少しおかしくて笑ってしまう。
「何もかもお見通しの口調で腹立つなあ」
「まあ、実際全部見通してるからね。私は君の半身のようなものだし。……あ、最初の仕事だよ」
ピッと勢いよく沙織が指をさした先には、ビールの缶を植え込みに投げ入れる中年男性の姿があった。
髪はぼさぼさ、よれよれのTシャツは首元が汗でくすんでいて、使い潰した靴は素足が覗いている。
周りの人間が迷惑そうにチラチラと視線をやり、そしてそれを受けて悦に入っている──どうしてそれが嬉しいことなのか僕には理解ができなかったが、まるで自分が人気者か何かだと思い込んだように、胸を張って悪ぶれる様子もなく歩く。
「大義名分もある、君が危なくなったらタイムループで助けてあげられる。……そんな状況でまだ尻込むの?」
「……」
勧善懲悪など、物語に書いてこそいたが現実世界の僕の辞書にはない。
そもそも自分が誰かを裁けるほど正しくないし、自分の関係ないところでなら、ポイ捨てでもテロでも戦争でも勝手にやってくれと思っている程だ。
「君は変わりたいんじゃないの?」
「……ああ」
沙織に促されていつかやったマラソン大会のように、電柱を超えたら次の電柱まで、それも超えたら次の電柱までと、一歩一歩踏みしめて彼の下へ歩いていく。
こんなので本当に変われるのだろうか。
本当にヒーローとはなんなのかが分かるのだろうか。
「ああ? なんだよてめー」
そんな疑念を抱きながら薄汚い男の行く先にぼっと立つと、酒の匂いを纏わせながら彼が僕の肩を小突いた。
「ひっ、すみませんっ!」
「俺も暇じゃねぇんだ、どけっ!」
「うっ」
僕の怯えた態度に満足したのか男はニヤリとして、肩をぶつけながら通り過ぎようとしたが、僕は精一杯踏ん張って彼の行く道を阻んだ。
「……はぁ? てめぇ、やんのか?」
こんなことに意味があるのかはわからない、けれど何かしなくちゃ変わらない。
ならば一度だけ、やってみようと思ったのだ。
「あ、あの。……ちゃんと缶を捨ててください」
バカらしいことを言っていると自分でも思った。
わざわざビール缶1つの為に、まるで秩序を守るヒーローみたいに。
「悪かったよ……」
僕の決意が通じたのか、申し訳なさそうにする男に胸をなでおろす。
なんだ、案外すんなりと行っ──。
──ドゴッ!
突如頬に鈍痛が走った。
平衡感覚を失い、壁にもたれるように地面へ伏せる。
男の右ストレートがクリーンヒットしたのだと認識した。
「──ってうるせえんだよ偽善者がああッ!」
通りに悲鳴が鳴り、男は堰が切れたように咆哮して馬乗りになる。
──マウントポジションだ。
「うっ……ぐ」
ボコッ、ゴスッ!
喧嘩も衝突も、今までそういった鈍痛に襲われてこなかった僕は、未知の痛覚に視界が曇る。目を瞑って頭を守れば胸に想い拳が入り、手を下せばまともなパンチが顔に刺さる。
「どいつもこいつもぉ! 俺の邪魔ばっかしやがってッ! 特にひかりぃ、アイツだけは絶対にぶっ殺してやるよッ!」
男は叫びながら拳を振り下ろし続ける。
ボディに向けてのパンチで肺の中の空気が全て吐き出され、顔面を潰すような拳で脳が揺れて意識が朦朧とする。
ひかりって誰だよ……。
「俺は悪くないッ! 世界が悪いんだッ!」
死ぬほど痛ぇ……いや、死ぬのか?
自分の知らない誰かに向けられた痛みがオーバーフローし、腫れた目でぼやけた明るい夜空の光が、薄暗く遠ざかっていくとき。
──バチチィ!
待望していた音が鳴った。
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