てのひらくるくる。

 つまり僕が危惧したあれこれはどうやら杞憂だったらしい。

「あぁ、つまり私がされたアレコレの仕返しに来たと、君は思ったわけだ」

「……まあな」

「アレコレを自覚してて書くのってどういう神経よ」

「マジでごもっともでござるよ」

 何も言えねえ。

「にしても復讐ね。別に、考えなかったこともないけど。言われてみれば確かに筋は通ってるし。……君の小説よりもさ」

「最後の一言余計じゃない?」

「ただの事実でしょ。……まあ、もう時間も経ち過ぎたし、そんなに怒りって長く覚えておけないものなんだよね。そんなにカリカリしても意味ないっていうか」

 苦く笑った沙織はゴスロリのポケットからココアシガレットを取り出し、1本だけつまんで口に咥える。

「時間が経ちすぎた? まだ1年も経ってないだろ」

 新人賞の結果が帰ってきたのがつい最近のことだから、書いたのは今年の夏なはずなのに、沙織はまるで遠い昔のことのように語る。

「色々あんのよ。……さてと、君の主人公育成プロジェクトだけれど、じゃあまずは。今」

 無理やり話題を変えて、沙織が指をさすのはついさっき”悪夢”を見た横断歩道。

 赤い大人が四角い液晶の中ではっきりと輝き、その前を高速で車両が往来している。彼女は”ここを渡れ”と僕に言っているのだ。

「や、やっぱり殺す気じゃん!」

「え、えぇ? そんなことないよ~。いや、ホントホント」

 ……これ助けるなんて嘘だわ。

 なにせ勢いよく手をブンブン振る沙織。……怪しすぎる。

 ”復讐しに来たのか”と問うた時は、あんなにあっさり否定していたのに、”殺すつもりなのかと”言えば急に焦りを表す。

「信用は0だよっ」

「えー。そんなこと言われたってねえ。こうやればいいだけなのに」

「待てって」

 僕の忠告に耳を貸すことなく沙織は、目を合わせたまま後ろ歩きで横断歩道へ足を踏み入れる。甲高いブレーキ音に彼女はウインクをした。

 伸ばした僕の手は彼女に触れることはなく──。

 ぐしゃぁ。

 何度見ても慣れない、地面に赤い華が咲いた。

「うっ……。あぁ」

 不敵な笑みを称えていた沙織の顔は、ピクリとも動かずまた右半分が潰れている。

 むき出しになった腕の骨と謎の体液があふれ出してあふれ出してあふれ出して──


 ──バチチィ。


「ね?」

 ケロッとした声で沙織は言う。

 当然視界の先に死体はないし、彼女は僕の狼狽する顔を見て口角を上げる。

「……いや、無理だろ」

 ブレーキ音が脳裏にこびりついて離れない。

 例え沙織が過去へ確実に戻してくれるとしてもできっこないことだ。

「どうして。ちょっと”勇気”を出すだけだよ?」

「どうしてって……。そりゃこっちの台詞だって。僕はそんな簡単に自分の命を粗末にできない。普通に考えてそうだろ」

「ノーリスクなのに?」

「……リスクは、ある」

「ふぅん?」

 沙織はコテッと首を倒した。

「僕は”無意味に命を捨てること”を勇気だとは思えない。それを”勇気”だと定義してしまえば、もう二度と本当の勇気を手に入れられない気がするんだ」

「へえ。随分立派に語るけど、それはつまり君の小説に出てくる登場人物の死が、ナンセンスなベニヤ板ってことになるけど?」

 沙織だけじゃない。僕はのことを覚えている。

 トラウマを覚えさせるためだけに主人公が放った跳弾で殺した幼馴染、伏線もなしに謎の絆が発動して主人公の肉壁となった友達、突然裏切って主人公に射殺される後輩……もっともっと僕は沢山の登場人物を理不尽に殺してきた。

 人より下手くそな文を書くぶん、誰よりもその罪の意識を持っているつもりだ。

「……解ってる。全部解ってるんだよ」

 唐突に鋭くなった沙織の眼光から僕は顔を背けて吐いた。

「どうしても、小説を書かなくちゃいけないの?」

「……まあな」

「でも書いてて辛そうじゃん、君。……なら、どうして小説を書いてるの?」

「どうしてか? そんなの……、だ。僕は執筆しなくちゃならない」

 勉強、運動、人間関係。

 沢山の物を捨ててきて、最後に残ったものがこれだから。

 花は咲かなければ子孫を──跡を残せない。このまま開花せずに腐っていく人生に、僕はこれっぽちの価値すら見いだせなかった。

「……そっか」

 すると何が沙織のスイッチを押したのか、彼女は遥か高みから見下すようなニヤけ顔だったり、したり顔をやめて、眉に皺を寄せ何かを考え始めた。

「──計画変更」

 慣れた所作で人差し指と中指に挟む、沙織のココアシガレットが丸々1本消費されたところで、車の排気音を主とする雑音を切り裂いて彼女が口を再び開いた。

「え?」

 

「──ごめん、実際さっきは。……そんな焦った顔しなくてもいいよ。もう計画変更したから。やっぱり、


 自分のこめかみがピクリと引きつったのが分かった。

「いやいやいやいや、やっぱり殺すつもり……」

 何がノーリスクだよ。完全にリスクでマスクされてたじゃねーか。

「心配しないで、本当に恨みとかはなかった。……ただ殺す気だっただけで」

「よっぽどタチが悪いよ」

 死生観バグってんじゃねえか?

 ……いや、僕の物語の登場人物なら、案外そういうものかもな。

「ただある人にお使いを頼まれてね」

「スーパー行く感覚で人を殺そうとするんじゃねえ」

 段々と冷静になっていく頭にふと浮かんだのは、”どうして沙織は僕を殺さなかったのか”ということで、ただ殺すだけならわざわざ自殺させなくても、お得意の能力タイムループで僕を刺殺でも絞殺でも圧殺でもなんでもできたはずなのだ。

 わざわざ回りくどい手段を使って、しかもその計画を破棄したという所に僕は確かな違和感を得た。

「ところで、僕はこれからどうすればいいんだ?」

「それ。計画を変えたところで、どうしようか何も考えていないのだけれど」

「そりゃ僕を殺す気だったんだからな」

「そんな怒んないでよ。ニコチン不足?」

「……ココアシガレットで満足すると思うな」

 不満を表しながらも、沙織が差し出すココアシガレットを口に咥える。

 まあ、おいしい。ニコチンは入ってないけど。

「あ」

 沙織が思いついたように声を漏らした。

「どうした?」

「君はヒーローになりたいわけだよね?」

「正確にはヒーローの気持ちを知りたいってだけだけどな」

「じゃあなろうよ、ヒーロー」

「……はぁ?」

 また変なことを言いだしたよ。

 肺に溜まった煙を吐き出すように、ほわーっとしたため息が空へ浮かんでいく。

「それがいい、善は急げ。早く行くよ」

「いや、話の全貌が掴めないんだわ。身構えずにお前について行ったら、命がいくらあっても足りないだろう」

「いやいやだから、命はいくらでもあるんだって」

「僕をゾンビアタックさせるんじゃない」

 本当に僕の命をなんとも思ってない。

 時間を巻き戻せば全部元通りだと思ってるクチだ。

「……はあ、面倒くさいなあ」

「そこをなんとか」

 ”そもそもなんで僕がこいつに従ってるんだ”と思わなくもないが、一歩間違えれば沙織に殺される状況の中では下手に出ざるを得ない。

「そこまで言われたら仕方ないなあ」

「ああ、(10代後半にもなってゴスロリ着るような悪趣味で、高飛車でおっぱい小さくてすぐ調子乗るクソガキだけど)ありがとな」

 心の中で思いつく限りの悪口を詠唱して感謝を述べた。

 まあ沙織の衣装も性格も体型も何もかも、僕は気に入っているんだけどさ。

「……なにその間」

「なんでもない」

 沙織はジト目になるが、すぐに「まあいいわ」と切り替えた。

「とにかく君はヒーローになるの。……ねえ、悪い人ってどんな人だと思う?」

「悪い人?」

「そう」

 また唐突に変な質問だなあ。

 うーむ。

 自分の都合のいいように沙織たちを殺してきた僕に、”アイツが悪い!”なんてことは言えなくて、少し考えた後逆説的に僕が導けた答えは。

「僕みたいな人間かなあ」

「そんなみたいな答えは要らないんだよなあ」

「だよね」

 解ってはいたけれどどうやら彼女の求める答えとは違ったらしい。

「質問が悪かったのかもだけど。うーん、なんかもっとわかりやすい、”悪”ってどんな人だと思う?」

「えーっと……」

「早く。5、4、3、」

「……”ポイ捨てする人”とか?」

 車窓から煙草をポイ捨てするのが見えたので、何の気なしに言ってみる。

 誰かのことを悪いというのは、小心者の僕として気分が悪かった。

「そういうこと。で、それから?」

 ダウナーになっている僕のテンションに反して、沙織は”それだよ、それ”と身を乗り出して反応する。

「……じゃ、じゃあ”屯ってる不良”とか。”悪徳な商売人”とか?」

 ステレオタイプな”悪人”をポンポンと引き合いに出していく。

 すると満足げな沙織はニコニコと頷き、こう言った。

「そゆこと、そゆこと。


 ──じゃ、片っ端からそいつらを懲らしめに行こうか」


「──は?」

「ヒーロー育成計画、開始です」

 

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