ループ能力ってやっぱチートです。

 ──つまり『沙織』の仕返しなのだな。

 へたり込む僕にしたり顔で近づく彼女を見てそう思った。

 すこし鼻につくような高飛車チックな喋り方も、人形のような小さな顔のパーツも僕が小説で描写した『沙織』そのままで、僕は直感に任せて名前を呟いた。

「沙織ぃ……」

 彼女を見るとモノトーンの洋服が紅に染まった数分前を思い出して、相当気分が悪い。吐き気もする。

「で、どうして私を助けなかったの?」

 恐らく僕の声が届いたのだろう、表情を変えずにこくりと頷いた後沙織は言う。

「……どういうことだ」

「そのまんまだよ」

「……もう1回あれば助けられた」

「嘘。二度あることは三度あるって知ってる?」

「じゃあ三度目の正直なら──」

「──仏の顔も三度まで、本当に次があれば動けてた?」

 三度、三度、三度。脳のデータベースに線形探索はかけたものの、これ以上”三度”にまつわる諺は出てこなかった。

 それに次のループで動けていたかどうかと問われれば、きっと動けていなかったのだろう。沙織の顔が勝ち誇った風に変わった。

「2対1だね。……それに、本来人生には2回目も3回目もないんだし」

 ……それな。

 時間とは不可逆なモノで、1度見過ごした景色はもう2度と見られない。

 ループに突入する前の僕には沙織を助けるアイデアすら出てこず、ただ彼女が肉塊へと化すのを唖然と見守ったのみだ。本来その世界線は変わらない。

 ただそれを認めたくなくて立ち上がりながら言い返す。

「……じゃあ、どうして自殺する人間を助けなきゃいけないんだ」

「じゃあ、どうして君の小説の主人公は大けがを負ったの?」

「……僕の中には構想があった、必要なことだったんだ」

 嘘だ。

 ただ物語に展開を欲しただけだった。

 血と性と悪と……読者が好きなものがそこにあったからだ。

「私が伏線もなく道路に飛び込んで、彼が無意味に大けがを負うのが?」

 そして沙織は”ループ能力”を使うことなくそのまま物語からフェードアウトし、最後までその謎が明かされることはなかった。

 主人公の”インフレし過ぎた強さ”を抑えるためだけのイベントだ。

「……ごめん」

 自分に非があることは解り切っていた。

「まだ、君は悩むことができる。登場人物に人権を! なんて言わないけど、私たちはあの時確かに生きたかった。私たちが人間であることを理解して」

 ガードレールに寄りかかって沙織は煙草をふかす様に言った。

 彼女の吐息が白い煙に変わり、冬空へと昇っていく。

「その通りだ」

「……張り合いがないね」

「何も言い返せないだけだよ」

 だってそんなこと、耳にタコができるくらいには自分に言い聞かせるのだから。

 しかし何度繰り返しても少女1人さえ救えない僕には、『人がどうして命を懸けるのか』とか『命よりも大事なモノ』だとか、そういった”ヒーロー”の思考が全く理解できない。

「つまんね」

 沙織は、そう呟いた後。

 やっぱり殺すか。

 音としては届かなかったが、口の動きがそう唱えたように感じた。

「じゃ、じゃあどうすればいいんだ?」

 人一倍臆病な僕は、”やはり沙織は復讐の為に僕の前へ現れたのだ!”と勝手に邪推して、怯えながらも問うた。

 僕と沙織が喧嘩をして100回中99回僕が勝てたとしても、彼女のループ能力はそのたった1回を真実とする力がある。

 彼女は、僕をループに巻き込まないだろう。彼女だけが僕との戦闘経験を積み、僕はループを認識することなくたった1度の敗北でお陀仏になる、そんなチートスキルに立ち向かう術はない。

「……その負け犬精神、ホントに変わらないなあ」

「何と比べてるんだ」

「別に。やっぱりこのままじゃダメなんだって、再確認しただけ」

「……?」

 僕と同い年の設定だったはずの沙織は、人間的にどこか大人びているというか、僕とは別の視点を持っているように感じた。

「──君の夢はなんだね」

「夢?」

「そう、夢」

 よいしょと沙織はもたれかかっていたガードレールから離れ、地面に落ちていた直径4㎝程の小石を拾い上げて手の中で弄ぶ。

 本の中で散々な目にあった仕返しが、”目には目を歯には歯を方式”に僕の命を奪うことだとしたら、最終的にはきっと殺されてしまうのだろう。

 生殺与奪の権利を奪われている僕は、ホールドアップされた兵士のように沙織の言うことを聞いていくほかなかった。

「……さ、さっか作家。だけど。いや無理だとは分かってるけれど」

 人に夢を語ることはこんなにも恥ずかしいことなのか。

 人と関わらないように生きてきた僕としては、小学校で女子トイレに閉じ込められた時以来の感情が湧き出してきて、穴があってもなくても入りたい気分である。

 嗤うなら嗤いたまえ。

 赤に染まり切った耳を隠さず、沙織から目を逸らした。

 ──しかし彼女は僕の大それた不可能な夢を嘲笑しなかった。

「もっと自信ありげに言いなよ。……いい夢なんだからさ」

 代わりにフッと微笑む。なんだか、懐かしいものを見たような目をしていた。

 そうして沙織は手の中の小石をギュッと握ると。

「うりゃ」


 ──目の前のコンビニに向かって投げつけたのだ。


 思い切りのよい投擲は音もなく一直線に空を切り、あっという間に着弾。

 ガシャン!

 雑誌コーナー当たりのガラスが破砕され大きな音を鳴らせた。

 空間に一瞬の空白ができた後、沙織と僕に向かって通行人の悲鳴が集中する。

「……は?」

 何が起こったのか分からず首を捻って、ニヤニヤする沙織の顔を見つめた。

 こいつは一体何がしたいんだ?

「は、早く逃げなきゃ」

 店員が出てきて僕らの姿を認識する。

 自転車に乗っていたおばさんが慌てた様子で携帯を耳に当てる。

 近くに止まった車の窓ガラス越しに、僕らの姿が撮影されている。

 訳の分からない展開、まさに僕の物語みたいじゃないか!

「で、そんな時に──」

 沙織は何かに満足したのか、汗をだらだらと流してパニックになる僕に向かって楽しそうに言った。


 ──バチチィ。


「ホラ、この通り。……私が君の夢を手伝ってあげる」

「……」

 眩い光から視界を取り戻すと、街もいつもの風景を取り戻していた。

 コンビニのガラスは割れていないし、誰も僕らに敵対の視線を送っていない。

 何事もなかったかのように──否、ここは何事もない日常なのだ。

「もう少し嬉しい顔しなよ、せっかく助けてあげるって言ってるんだからさ」

 額を伝っていた大粒の汗も既に引いていて、代わりに背中がジワリと冷や汗によって濡れてきた。寿命が3年は縮んだように思える。

「……助ける? 復讐は?」

「復讐?」

 記憶のどこを漁っても彼女に仇を押し売りした覚えしかなくて、沙織に殺される謂れはあれど救われる意味が分からない。

 そんな疑問が僕の口をついて出ると、沙織も合わせて首を捻った。

 

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